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飲食バイトを大学4年間続けた感想は「人が嫌いになるからやめとけ」に尽きる

たびたび「きつい」「やめとけ」の声が挙がる飲食業ですが、4年間経験した僕個人としても同じく「やめとけ」という結論に至りましたので、その理由が何なのかというのを記しておきたいと思います。
できる限りフラットな立場で述べていくつもりですが、主観や愚痴などの個人的なお気持ち表明が混ざるため、苦手な方は読まないことをお勧めします。

■ 飲食業の構造の問題―特有の労働環境と拘束時間


少子高齢化や時勢もあり人手不足という言葉が叫ばれて久しいですが、事飲食においては絶えぬ問題です。その理由は至極当然です。「きつくて辛くて忙しいから」。

例えばCDショップや釣具店だとか(勿論、それらの仕事に従事する方々を軽んじているようなことは決してありません)と何が違うのかと言うと、衣食住の「食」ばかりは、それなしに生きて行くことができないからです。

朝昼晩、一日三食という言葉が示すように、飲食を必要としない時間帯など、本来は存在しません。故に食事を提供するこの業界はいついかなる時も必要とされ、忙殺されます。

GW、お盆、クリスマス、年末年始……といった年中行事は、まさに書き入れ時です。世間の休暇とは即ち、飲食業の応接不暇を指すのです。
労働基準法を守っていてはお店が回りません。これに関してはそもそもその状況がおかしいのですが。

こういった理由からくる長時間の拘束、休みの少なさ、業務量過多、立ち仕事、水仕事による手荒れ、食品を扱う故の衛生環境、そして接客とそれに関わる心理的ストレス(これについては後述)……。
細かい部分まで論うとキリがありませんが、このような理由を挙げれば挙げるほど、数多ある職種の中で特別に飲食業を選んで働く意味などない、ということだけは自明であると思われます。

また、それを解決するインセンティブとしての賃金などは、飛びぬけたものでなければ、飲食業のイメージや繁忙を理解してまで働こうとする動機にも誘因にも足り得ません。というかそれがデフォルトだと思います。

僕は性格上、忙しなく働く方が合っていたりだとか、田舎の方にしては賃金が高いからとか、そうした理由で気が付いたらここまで続けていましたが、半分惰性です。誰かに「働いてみたい」と言われたら、迷わず「飲食業はやめとけ」と返します。

……さて、ここまでは労働自体の辛さについて記してきました。これだけでも「やめとけ」とはなりますが、題にある「人が嫌いになるからやめとけ」という理由としてはやや妥当性に欠けるものと思えます。

せいぜい忙しさからくるギスギスとか、どこにでもあるような人間関係の面倒臭さとか、そのぐらいです。

以下からが本題です。飲食というか、殆どの仕事に付いて回る「接客」というものが、これがまあものの見事に飲食業で働くことを殊更に馬鹿馬鹿しくさせてくれます(語弊あり)。
やや誇張も含めると、これは日本人の民族性のようなものが非常にタチ悪く関わってくると思うのです。

■ 接客の問題―主に利用者側の意識について

まず誤解のないよう大前提として、殆どの、普通の、大概のお客様方については、何の問題も要望も文句もございません。例えアルバイトであっても、案内し、もてなし、滞りのないように利用して頂き、満足してお帰り頂くための努力義務が存在します。
そしてお客様にはその権利があります。また飲食業の辛さは、そうした人々のせいでは一切ありません。

さて、だとするならば、題において、一体なぜ「人が嫌いになる」だとか大仰な物言いをする必要があるのでしょうか?
それは、その「普通でないお客様方」によるものです。これは非常に傲慢な態度ですが、積極的にもてなす気にどうしてもなれない人々が悲しいことに存在してしまう為です。

「食」は生きる上で付いて回るということは先述しましたが、この特徴が接客というものを一層面倒で混沌としたものにさせているのだと考えます。

※説明が遅くなりましたが、ここでいう「飲食業」とは、ドレスコードが必要であるとか、価格等の設定によって客層を極端に絞っているとか、特別な理由のない、普遍で大衆的な飲食業を指すものとします。

①お客様は「神様」ではないし、従業員はその「奉仕者」でもない

誰が唱えたか「お客様は神様」という言葉があります。居なければ成り立たないという意味では、百歩譲って経営者側が感謝の気持ちとして表現するのは分かりますが、何故か利用者側がさも神様であるかのように振る舞うケースがこと日本においては多いように思えます。

海外においては、銃社会だとか、性別年齢立場でなく公平公正を重視する文化とかが関係しているのか、客と店員の関係はむしろ店舗側の方が優位であるケースが多いようです。
参考文献としてはなんの説得力もありませんが、ヤフー知恵袋にて興味深い質問があったためリンクを貼っておきます(2017/12/6 6:11の方の解答が興味深いです)。

閑話休題。しかしながら日本のそれはただの苛政猛虎の為政者であり、偉大と尊大を履き違えています。神はそのような態度を取りません。そもそもその発想が時代錯誤です。

以下は自身が遭遇した「お客様」の例です。
・「おい」と呼びつける
・会話をしても相槌でしか返事がない
・「男の店員は注文を取りに来るな」と殴ってくる
恐ろしいことに、中には従業員のことを「意思のない喋るロボット」だと思われている方が一定数いらっしゃるようです。最後に至っては対応次第で警察が来ます。

……従業員には丁重にお客様をもてなす義務があります。だとするならば、利用する「お客様」の側にも、もてなされるべき態度というものがあるべきです。お客様に失礼の無いように振る舞うことを当然としておきながら、なぜそこについては軽視されがちなのでしょうか?

また前提として、人と人は対等な関係であるべきです。それがなぜ「客と店員」という構造になっただけで、従業員に敬意を払わなかったり(敬えというのではなく人としての倫理道徳という意味)、粗雑で乱暴な物言いをしたりすることが許されるようになるのでしょうか?

確かに商品の価格は人件費などが加味されたものですが、それはサービスへの対価であって、正当な理由なく目の前にいる人間個人に横柄な態度を取って良いという理由には全く成り得ません

ですから「お金を払ったから何をしてもいい」というのはそもそも論理として成立しないというのが個人としての見解です。

これは僕の意識の問題なのですが、そういうこともあって、これまでの接客について振り返ってみると嫌な記憶ばかりが蘇ってきます。良いお客様もその分だけいたはずなのに、です。

②何故か中高年男性の態度の悪さが目立つ

これまた賛否の起こりそうなタイトルです。

理由について説明しようとすると、性差がどうとか、テストステロンの優位性がどうとか、昨今のジェンダー問題に繋がりそうなのでその点については割愛しますが、社会経験のせいなのか、はたまた個人の性格のせいなのか。どれだけ公平な立場から物事を見ようとしても、この手のお客様の態度が物凄く目立ちます。

いつどこで、誰が見ているかも分からないのに、「客」という立場になるとなぜ踏ん反り返り、見ず知らずの他人にここまで傲岸不遜な振る舞いをすることができるのでしょうか?それとも、僕もいつかそんな人間になってしまうのでしょうか?

多くの女性の方は対等に接して下さったり、きちんと会話が成立したりと、これまた非常に偉そうな物言いですが、とても良い印象のお客様が多いです。

しかしなぜか、これがカップルや夫婦になると、情けないことにパートナーに対しても横柄な態度を取る男性が目立ちます。亭主関白とも言うべきか、こうした態度は強さや権威の主張などでは到底なく、僕の目には幼さや情けなさとして映ります。
主観が強く出てしまい恥ずかしい限りですが、これは自分自身への戒めとして残しておくこととします。

③子供連れのお客様が最も汚して帰る、という事実をどう考えるか

またまた賛否のありそうなタイトルです。

まず前提として、子育てをされている親御さんに関しては、頭の下がるばかりです。落ち着きがなく、目を離した瞬間に居なくなってしまうちびっ子達を見ていると尚更そう思います。自分の事だけで手いっぱいな僕からすると、自分以外の誰かを背負って生きることは如何に大変でありましょうか。これは皮肉でも何でもない、心からの言葉です。

しかしまた、退店された後に清掃に時間のかかるような席は、大抵子連れのお客様である場合が多い、というのも事実です。
これは非常に複雑な問題であり、僕自身の葛藤も含みます。大変さを理解していながらも、席を自分の家のように使い、テーブルや床を汚して騒ぐことを、子供がしたことだから、という免罪符にするかのように振る舞われるのは、何か理屈が通っていないと感じてしまうのです。

立つ鳥跡を濁さず、という程ではありませんが、子を持つ親であるならば猶の事、自分達の責任は自分で取るべきではないのか?と考えてしまいます。

家族大人数でご来店されて誕生日のお祝いをされたお客様が居たことがありました。これに関しては何も問題無く、むしろ温かく微笑ましいものです。しかし違和感を覚えたのは、帰られたあとに大きなプレゼントが入った段ボールとそのゴミが、子どもが開けた跡のまま置かれていた時です。

子どもの面倒を見たり、団欒を過ごすことはとても良いことなのだけれども、おかしなことにその周囲の利害関係者(他のお客様や従業員)に対する思慮だけが何故か欠けているケースが多いように感じます。

きっと仕方のないことなのです。許せない僕が人として浅いのです。しかしそういった場面に出会う度に、最も優しくするべき人々に対して何故かとても冷めた感情を持ってしまう、というのが正直なところです。これに関しても、いつかの僕自身への戒めという形でして残しておきます。

①~③で共通しているのは、従業員である僕自身も、ただ批判するのではなく、そうならないようにするべきであり、だからこそ反対の立場になったのならば敬意を払うべきである、という意識です

■おわりに―やっぱり飲食はやめとけ

4年間続けて、今まで良かった、楽しかった、で終わりたいところではありますが、自分に正直になったところこのような記事が出来上がってしまいました。経験を可能な限り脚色なく、偏見無く書いたつもりですが、どうしても刺々しい言葉を使ってしまう部分がありました。不快な気持ちをされた方に関しては申し訳なく思います。

接客に関しては、勿論、非常に物腰の低くて、ひたすらに真摯で真心を込めたもてなし方をする人々を沢山見てきました。一方で、優しくない人間によってそうした人々が傷ついていくことが堪えられません。

そして、自分の接客で相手の心を動かす、という志を持った人がいるならば、心の荒んでしまった僕は、それは素晴らしい働きかけではあるが、性善説を矢鱈と信じ過ぎていやしないだろうか、と思ってしまいます。

心の通じない人間に誠意を切り売りするよりかは、接客業に従事せず、教師や法師にでもなって、人々の人格を薫陶させる生き方をした方が、遥かに効率が良いだろうと感じずにはいられません。能力を発揮する場所は、何も飲食業でなくとも良いはずです。

そういう訳で、僕には接客の適性も、様々な人々を許せる器量も、どちらもありませんでした。ただ忍耐力や総合的な仕事力は身に付きました。それが分かっただけでも良い経験になったと思います。

ですから、どんな仕事やアルバイトをしようか考えている皆様へ。
飲食はやめとけ


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