いちばんの褒め言葉は。
こんにちは。
バリスタ用のnoteと、コーチ用のnoteをこのアカウントで統合しました。
混乱しないよう、バリスタの仕事に関するものは《BARISTA-NOTE》というマガジンにまとめています。
(提供しているサービスに関するもの、考えかた、活動記録など)
はじめてこちらのマガジンをご覧になる方は
この記事から読んでいただけると嬉しいです。
自分がどんなバリスタなのか、知ってもらうために書きました。
コーチングの仕事に関するものは、加筆修正ののち転載をし、こちらもマガジンにまとめていきます。
さて、今日はその1つめです。
どんなひとがコーチングをするのか知ってもらうために書きました。
長いですが、興味がある方は是非読んでみてください☺︎
いちばんの褒め言葉。
こういうことを言葉で伝えてもらえるとすごく嬉しい、ということ。
それが明確にある人が好きです。
自分がどう褒められたいかをわかっている。
何を大切にしているのかを表明し、どこを見て欲しいかを意識して行動している。
それは、自分をどう人と関わらせていきたいかを考えているからできることです。
あなたらしい。
自分にとってはこれがそう。
関係が築けている人に限りますが、そういう人たちに
「ああ、それはあなたらしいと思う」
そう言われたら、間違ってないな、よし。と思う。
勝手に答え合わせ。
逆にその相手が、たぶんすごく苦しんで出してきた答え--それは言葉でも行動でも作品でも--に対して、自分がその人らしさを感じることができたら、その時は本当に本当に、うれしい。そして、少しくやしいかもしれない。
数として多くなくとも、本当に価値観が合って同じ深さにいる仲間の存在はそれだけで羅針盤になります。
「その選択は自分らしいか?」
【自分の答えを導く質問】を私はいくつか持っていて、それである程度、自分が進む方向を決めています。あくまで ”方向” が合っていることが大事であって、そこへ向かう手段となるプランの部分は、固定しないことのほうが大事だと考えています。
コーチングセッションはそれを精査する時間でもあります。
目標に対しての手段や、そこまでの小さな目標をクライアント本人が、本人の価値観から離れずに決められているか。私はここをとても重視しています。
コーチは本人の価値軸とのズレを感じないか、これまでに聞いた話や感じたことと、記憶を総動員してチェックをし、感じたままにフィードバックをする。
「私にはーーーのように感じられるけど、どう(ですか)?」
言い回しはソフトでもその横槍の効果が思いのほか大きいのは、いっさいの忖度がないからです。
保身のために言うべきことを言わないで済ますのは、コーチングではありません。それではコーチのいる意味がない。
コーチングでなくても、どんな現場でも求められているのは、自らが得意なことであり、相手にとって、本人だけでは難しいとされていることではないでしょうか?
ひとりではできないことをやるから、コーチが必要になります。
そういう意味で、本当にその人のことを考えた行動がとれるかを問われている。
これは仕事で指導を行う際にも気をつけていることですが、
【誰のための行動か】を問うていくと【相手のためではない行動】は驚くほど多いものです。
《個人の価値》 の変化
コーチングを学び始めたのは2019年の春。
COVID-19が既存の価値観やルールを一転させた現在のような状況を予測していたわけではありません。
それでも絶対に必要だと感じていました。
ここまでの変化と、これから起こることを予想すれば、容易にたどり着く結論として。
というのは、
《個人の価値》の基準が変わってきていることをひしひしと感じていて、だからこそ、自分も《技術(能力)一辺倒ではない働きかた》を確保しようと動いていたからです。
それまで、バリスタと調理師の二足のわらじを履き、同時進行で両方のスキルアップを図っていたのもそのためです。
朝はコーヒーショップで思い切りエスプレッソマシンを使い、忙しい時間にワンオペレーションで作る杯数を独占する。午後は移動して、ほとんどの食材を自家製するレストランで自分に必要な食材の扱いを学ぶ。
傍からみて理解されにくいことだとしても、限られた時間で技術の向上を求めると必然の選択でした。
たとえば、イタリアンレストランのように「エスプレッソマシンのあるレストラン」のような業態もありますが、ひとつの店でどっちもできる、という状況ではなく、
それぞれの専門性の高い場所(コーヒー=コーヒーショップ、調理=レストラン)を求めることを譲らなかったのは、
《ラテアートができる調理師》も、《調理師免許をもったバリスタ》も多くはなかったから。希少性を価値と捉える考えかたです。
これは「その人がその人であること」を求められないことを目指すほど、
それは取って代わられやすい、と考えていたため。
技術だけ、肩書きだけ、時間だけ、そういった能力の提供の仕方をしている場合がこれで、突き詰めると代わりはいくらでもいる、ということになる。
その競争に負けない能力がある人はそれでもいいのでしょうが、自分はそうではありません。
どんなキャラクターで何ができるか。
それを求められる時代になってきたことを感じていて、【何ができるか】だけで仕事があった時代には見向きもされなかったことが重要視されてきていると感じています。
これは紛れもなく、その人らしさである、と考えていて、
「そのひとだから、そうなった」という結果、そこまでの経過、すべてに付随する何かです。
ここからの、
【あなたはどうするの?】なんだ、と考えていました。
ここをサポートできるのがコーチングという手法で、だから学びたいと思いました。
(以前の自分が情けないくらい「自分がどうするか」という思考がない状態だったことで痛いめを見たことはこちらに書いています↓)
悩みのもとは 「できなさ」 より 「わからなさ」
「自分自身がどうしたいか、に向き合うサポートをしたい。」
雇われていても、属していても、まずは自分であるということ。
何かを決める段階で自分の価値観と可能性を手放さないでいてほしい。
願いのような動機は、コーチングのモニターを募ってたくさんの人に話をきくうちに、確信に変わっていきました。
他者の目を気にしたり、過干渉をされることでやりたいことを諦めたり、《本当にしたいことではないこと》に忙殺されること。
失敗したり、間違えたりするいわゆる《できなさ》ではなく、自分は本当はどうしたいのかという《わからなさ》に苦しんでいるひとが多いこと。
人は《うまくいかないことそのもの》に傷ついているわけではない。
自身から離れたところで下した決断に傷ついているのではないか。
他人を納得させられるような根拠はない。
けれど、ただの仮説としてスルーもできない切実な問いでした。
同時に《わからなさ》に向き合うよりも、《できなさ》をつかまえて、何かしらの改善をするほうが楽なので、対症療法に追われるような場面もたくさん見ました。
これは、今の出血は止まるけど、また同じ怪我をしてしまうような感じ。
バケツの穴を塞ぐようなやりかたではなく、もっと上流で食い止めることはできないのか?
決めたことがうまくいっても、そうでなくても、【自分で決める、それを行う、結果を引き受けるという行動】が社会に増えること自体が大きな意味があることなんだ。
大げさかもしれませんが、そんなふうに考えています。
疑問と答えのあいだ
自分自身の話になりますが、
22歳からの数年間、国内外を転々とする生活を続けるうち、たまに帰省したときの違和感に耐え難くなっていく自分がいました。
「それは、自分の頭で考えた答え?」
これが違和感の正体で、誰かが言ったこと、なにかで見たことが自分の考えとして語られる場面に耐えられなくなっていきました。
それを言っておけば誰にも突っ込まれないという、《自分を通していない言葉》への違和感だったのだと思います。
それに際し、自分はどうするのか?と考えることができたのは救いでした。
わからないから人に聞いたところで、
答えを押し付けられたり、助言をありがたく受け取るように迫られたりするのはもう嫌だったし、そうなったときに流されないとは言い切れない自分も嫌でした。
だから当時は【わからないから考え続ける】という答えしか用意できなかったんです、結果的に。
でもそれを持ち続けたからこそ、時間が経って、コーチングという答えに結ばれたのかなと今はおもいます。
ではその答えが出るまでのあいだ、自分はどう過ごしていたのか。
やっぱり自分で決めていたんですね。
どこに行き、誰と、なにをするか。いつまで、どんなふうに続けるのか。
その経験自体の良し悪しはわかりませんが、より自分になることができたという意味で効果は大きかったとおもいます。
というのは、
なんというか、それ以前の自分は自分のことをひとりの人というより何かの機能として見ていた気がするんです。
端的にいえば、何かができるから価値があるという考えかたでした。
他に考えかたのバリエーションを持っていなかったんですね。
いろんな人と出会い、その人たちの考えや指針やバックグラウンドを聞くことで、このバリエーションが増え、どんどんグラデーションが細かくなっていきました。
実際に本人から聞くというのはおもしろくて、どんなに突拍子もないことでも、作り話をしているのか、実体験を話しているのかというのはなんとなくわかってしまうものです。
あと、利害のない場面でわざわざ相手を騙したいと考える人は多くないというのも、この時期に学んだことでした。
いちばんの褒め言葉をもっていること。
それは【自分がどうありたいのか】の大きなヒントになります。
たとえば私なら、
いちばんの褒め言葉が あなたらしい、ということから【自分が自分でありたいと思っていること】がわかります。
誰かではない自分として、「今回の人生どうしたいの?」というところが、最重要になっている。
自分でそれを知っていることが大事で、人より何かができても、できなくても、ものすごく嫌なことがあったとしても
【自分が自分でなくなるわけじゃない】
それがわかったときに、ものすごい《だいじょうぶ感》がありました。
それまで感じていた自分のスペックの低さや一般的ではない経歴から、
競争は避けてきていましたが、あらゆる場面で ”比較” からはなかなか逃れられなかったんです。
しかし、コーチは常にクライアントのロールモデルであることが求められます。
自分のしたいことが、【自分で決めるサポート】であり、
伝えたいことが「比較をやめていい、そこをゴールにしなくていい」というメッセージである以上、
他人との比較に終始するような自分では、コーチングをすることができません。
コーチという道を選んでいちばんよかったのは、ここかもしれません。
それを選んだことで誰より自分が、明確に比較をやめる、やめないといけない理由ができた。
ずっとやめたいとおもっていたことを、だいぶやめることができました。
人生は与えられた時間のかたまり。
時間の使いかたが生きかたである、という話を友人たちとよくします。
終わりにも始まりにも手をつけることができない、一方的に与えられてしまって その中で【どうするのかだけを決められる】時間のかたまりの中にいる。という話。
変えられることと、変えられないことのバランスは人によって違うものでしょうが、私自身は、せめて決められることのなかでは悔いのない選択をしたいとおもう。
押したら扉かもしれないのに壁と思い込んで立ち往生している場面は多いし、以前は壁だったものが扉に変わっている可能性もある。その逆も。
今、自分にとってそれはどっちなのかを見極めたい。
そこからがスタートで、社会に自分を放ってみるときに、
自分がどうするのか、どうありたいのかがあったほうが、
それがもうある人と出会える。その人はきっとあなたに必要な人です。
そういう人たちと出会っていきたいし、我慢し合うより頼り合う関係を持ちたい。
今日は私がコーチングという手法を選ぶ理由と《いちばんの褒め言葉》について書きました。
読んでいただきありがとうございます。
これからの10年、ひとは【自分を前向きにしてくれるもの】に最もコストを払う、といわれています。
何が自分を前向きにするのか?
逆に、後ろ向きにするものは何か?
「思っている以上に自分で選べる」という文化がもっと浸透するように、自分の使いかたを考えていきたいとおもいます。
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