孤高のダブルダッチャー

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最近の記事

男子畢生危機一髪

 なんだかんだ言って永遠に『モテキ』に囚われている。『モテキ』にはサブカルの要素が全部詰まっている。今のオサレカルチャーを辿っていけば必ず『モテキ』に行き着く。  どこかで見たアメカジオタクのようにサブカルクソ野郎はそのサブカル知識で自分を守っている。逃げて逃げて下北沢のヴィレヴァンのような自室を作り上げてその中に籠る。けれど下北沢が再開発され、サブカルが全然サブカルなんてものではなく普通にメインカルチャーだったことに気づかされて、現実に否応なく向き合わされる。  自分の

    • 終わりなき旅

       毎度のことだが、下北沢に人が多すぎる。上京してからというもの、毎週末人が増え続けている気がしてならない。  思うに、4年前の下北沢の方が楽しい街であったように思う。ゲーセンはあったし、パチンコもあった。中古ゲーム屋も今よりも規模が大きかった。いつの間にか、どの店のラインナップも同じのチェーンの古着屋があの極狭空間に林立し、ドンキができ、雰囲気だけの高い居酒屋になり、中古ゲーム屋はカードゲーム専門店になった。  明らかに世の中が歪な資本主義になっていることの象徴である。み

      • 強い気持ち、強い愛

        随分と久しぶりにこのnoteを書いている。こんなにも間隔が開くことなんてなかったように思う。今まで欠かさず書いていたのにどうしてだろうか。書くことがなくなった、これに尽きるだろう。

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        • 若者のすべて

           あっという間に夏が過ぎ去ってゆく。フジファブリックの『若者のすべて』を聴いてもいまひとつ響かない。男同士で市民プール行って、マッチを飲む。素晴らしい夏ではないか。それなのにいまひとつ響かないのはなぜなのか。大人になってしまうからなのだろうか。  今まで『若者のすべて』を聴いて何かに浸れていたのはまだ学生のままだという謎の安心感に包まれていたからなのかもしれない。けれど今年の夏は最後の若者の夏である。自分自身はもう2年間、学生であり続けるが、周りはほとんど社会人になる。僕だ

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        • 深夜に流されて
          8本
        • 拗らせ大学生の奮闘記
          9本
          ¥500

        記事

          やさしさに包まれたなら

          ついこの間、つらいことがあったので仲のいい友人とその彼女に愚痴るついでに飲みについてきてもらいました。店で飲んだ後もその友人宅にお邪魔し、愚痴って騒いで夜深くまでその日は楽しまさせてもらいました。結局その日はそのまま泊まりました。朝起きてふといい匂いがするなと思っていると、友人の彼女が朝ごはんを作ってくれたと言います。何を作ってくれたのだろうかと楽しみにしていると、なんと切り干し大根の煮物でした。 その瞬間、僕は一生この二人についていくと決めました。思い返してみればそうです

          やさしさに包まれたなら

          はじめてのチュウ

          突然ですが、キスって素晴らしいですよね。キス、接吻、チューなどいろいろな言い方があります。それだけでキスにも様々な意味があるということがわかります。 個人的なことですが、好きな人や気になっている人と見つめ合って、キスしようかどうかお互い目で探り合っているあの時間が世の中で最も尊い時間なのではないかと思います。もちろん、キスをする立場であっても、映画やドラマでそのシーンを観る立場であっても。 『ノッティングヒルの恋人』という僕の好きな映画があります。その中で主人公の冴えない

          迷子大学生

          いや、実に面白くない。もう春の陽気が訪れているというのに一向に気分が晴れない。個人的には寒い方が好きということを差し置いても、だ。 京都で学生生活を過ごすと分かる、一種の独特な雰囲気というものがあるらしい。なんとなく分かる、いわゆる『四畳半神話大系』みたいな雰囲気。おそらく東京では得られないだろう。 いかんせん、東京、特に23区内には自然がほとんどない。確かに公園や緑道は多い。しかしそういう意味での自然ではない。河川敷や裏山といった意味での自然である。これこそが東京の学生

          2つに1つ

          僕はどうしてすぐ浸ろうとするのでしょうか。やはりこれは現実逃避なのでしょうか。今もなぜかaikoを聴いています。下北沢のせいにするつもりはありませんが、これは完全に下北沢のせいです。 まあaikoを聴いても気分が晴れることはないでしょう。どれだけ恋心を歌ったものだとしても所詮理想論、自分の世界に浸る肴にしかなりません。たかが曲の歌詞に共感して浸るとか馬鹿らしいなどと思っていましたが、少しその気持ちがわかるような気がします。 恥ずかしながら友達に教えてもらうまで知らなかった

          つぎのメリクリへ

          気づいたらコート着ているし、夜空にはオリオン座が輝いている。いつの間にか聖夜の足音が近くなっていて、テレビでは年末特番が流れている。冬なんだなって。 どうやら今年はJR SKISKIの30周年らしい。それで今までのCMソングを収録したベストアルバムが発売されたっぽい。いや、たまらない。BGMでDEPARTURESが流れてるような冬がいい。でもそんな冬は多分もうこない。 冬のMVといえば、ジュディマリのLOVER SOULが記憶に残っている。あの曲に冬のイメージはなかった。

          僕と映画とブルースウィリスと。

          僕は映画が好きだ。特に洋画。幼い頃から数えるとかなりの数の映画を見てきたと思う。それも何度も。同じ映画ばっかり何回も見ていて母親に呆れられていた。父親も意外と映画を見ている方で、特に夜にBSとかで映画を放送していたら半分を過ぎたくらいからでも見たりしていた。昔はそんな父を見て途中から映画を見て何が面白いねんとか思ったりもしていたが、最近自分も平気で途中からでも映画を見るようになってきている。遺伝なのだろうか。何か知らんけど途中からでも最後まで見てしまう。そんな魅力が映画にはあ

          僕と映画とブルースウィリスと。

          最終回の前に

          なんとまあ、僕がこの駄文たちを書き始めてから2年が経つらしい。毎回毎回同じようなことを書き続けてきたが、これほどまで自分が長く続けられたものはないかもしれない。 今までこのブログは深夜とともにあった。深夜の寂しさに咽び泣き、ちょうど見ていた映画とかドラマに影響を受ける。そして早く寝なければならないという焦燥感に駆られながら文章を書く。振り返ればそんなに悪くない深夜生活だったように思う。 書き始めたきっかけは友達がやっていたから。彼ほどの文才は僕にはないことは書く前からわか

          夏の終わりに

          結論から言うと、この夏は何もなかった。気付いたら寒いくらいに涼しくなって秋の装いになっている。夏の匂いを追いかけるまでもなく、そもそも夏の匂いさえ感じられなかった。 夏の匂いって何だろうか。夕立が上がったときの蒸しっとした匂い。太陽が照りつけるアスファルトの匂い。僕は蚊取り線香の匂いだと勝手に思っている。 最近、蚊取り線香の匂いを嗅ぐことがなくなったなと思う。周りの住民で焚いている人はほとんどいない。大学の守衛室でしか嗅いだことがない。けどやはり夏の匂いって蚊取り線香の匂

          記憶

          旅行中によく聞いていた曲を久しぶりに聴くと、その旅行の記憶が蘇ったりすることは頻繁にある。映画のサントラを聴くとその映画のシーンが思い浮かぶことも多い。その逆の、景色を見て、曲が頭の中流れるなんてことも割とある。音楽がいかに特定の記憶や映像と結びついているかがわかる。 先日、[Alexandros]のワタリドリを何の気無しに懐かしさから聴いた。イントロの時点で言葉では表現できないくらいの温かい感情が溢れた。旅行の記憶が蘇るのとは比にならないレベルである。 つくづく不思議だ

          藤沢ルーザー

          つい最近まで雨ばっかりだったのにもう梅雨が明けたらしい。一気に日差しが強くなって空もより一層青くなって、ああ夏だなと思う。 僕は夏よりも冬の方が好きだけれども、夏の空は好きだ。冬の空は晴天の日でもなんか霞んだような青さだけど、夏の日の空は気持ちがいいくらい透き通った青さになっている。 なぜだかわからないけれど、今年の夏は夏らしいことをしたい気分になっている。いつもなら海だとか、湘南だとか、花火大会だとか別にいいやなんて思っていたけれど、今年はまあやってみてもいいかななんて

          東京、夏

          夏が近づいてきている。 夏と言えば湘南、湘南と言えばサザン。サザンと言えば湘南、湘南と言えば夏。こんな感じで世界は回ってる。それでも僕はいまだに胸騒ぎの腰つきなんてものは知らないし、いとしのエリーさえも現れない。 夏で好きなのは夕立が上がったときのあのなんとも言えない雰囲気。くるりの東京を聴くと僕はいつもそれを思い出す。思いを馳せるような「君」などいないのに。 去年のちょうど今頃、ドラマのモテキを観た。なんか、俺は変わるぞぉぉ!!なんて思ったりもしていたけれど、全然変わ

          トゥエンティ+1

          全てを放ってしまって、列車に乗って遠くに行ってしまいたい。上野発の夜行列車に乗って、夜明け前の薄暗い日本海を窓の外から眺めたい。 今にも僕のディタラトゥエンティが終わろうとしている。いやそんなものはそもそも始まってなかったのかもしれない。単なるトゥエンティのままだったのだろうか。僕は多分一人で夜明けを迎えられるから。 でもどこかで一人で夜明けを迎えられない自分にもなりたかったとも思っている。20歳で迎える大学2年生。大学生活にも慣れ、最も充実する一年だと思う。次の年からは