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終わりなき旅

 毎度のことだが、下北沢に人が多すぎる。上京してからというもの、毎週末人が増え続けている気がしてならない。

 思うに、4年前の下北沢の方が楽しい街であったように思う。ゲーセンはあったし、パチンコもあった。中古ゲーム屋も今よりも規模が大きかった。いつの間にか、どの店のラインナップも同じのチェーンの古着屋があの極狭空間に林立し、ドンキができ、雰囲気だけの高い居酒屋になり、中古ゲーム屋はカードゲーム専門店になった。

 明らかに世の中が歪な資本主義になっていることの象徴である。みんな安定しか求めていないのである。アングラは不安定であるからいいのであって、今の下北沢は安定したアングラである。みんなレールを踏み外したくないのである。闇市のあった下北沢の方がよっぽど良かったであろう。

 かくいう自分もレールを踏み外すのが怖い。周りの目が怖い。ゲームひとつとってもレールに沿った遊び方しかできていない気がする。どうしても攻略を見る。自由に、好きなように遊べばいいのにそれができない。家庭環境に恵まれ、いい大学へも行き、そこから外れることへの恐怖心。

 しかし、要するにこの世の中は資本主義であるのだ。何が怖いって金がないのが怖いのである。好きな仕事をしても、どうしても自分よりも稼いでいる周りを見て嫉妬してしまう。たとえ彼らが自分にとって全く興味のない仕事をしていても、である。

 こんなことを言っていても、結局これらのことは言い訳である。自分は何をする気にもなれないことへの言い訳なのだ。そもそも自分に社会性が備わっているのかすら怪しくなってきた。漠然とした将来への不安。

 信憑性のない自己啓発本を蔦屋書店のテラスでスタバ片手に読んでいる人たちの方がよっぽど幸せなのかもしれない。自己啓発本を読んで啓発されるなんて素晴らしいことだろう。実際にスタバのコーヒーを躊躇なく買えるお金の余裕がある時点で少なくとも僕よりは成功している。
 
 今日もツイストパーマにガチガチセンターパートの爽やかお兄さんが厚切りジェイソンのお金の稼ぎ方の本を読んでいた。誰があんな本読むねんとか思っていても、少なくともあのイケメンお兄さんは読んでいる。多分、めちゃくちゃかわいい彼女がいる。それだけで僕のプライドがズタズタになるのには十分なのだ。

 要するに自分の努力不足である。4年間その積み重ねであった。自分のピークはいつだったのか。どうしてあれほど真面目に勉強できたのか。つまり、夢がない。

 今まで心のどこかで嗤っていた下北沢の人たちのほうがよっぽど夢がある。生きる気力ってなんだろう。そして話はここで戻る。そしたら自分の好きなことして生きればいいではないか。永遠ループになる。

 でもさすがにこれでは良くない。やはり、周りの多くが社会人になる年代になった。彼らは多かれ少なかれ前に進み出している。自分も行動する必要がある。とにもかくにも行動してみることが大事なのであり、そんなこと誰しもがわかっているけどできない。これも誰しもがわかっていることである。こんなわかりきったことをさぞ自分が発見したかのように意気揚々とこんな場所に書き連ねているのも情けないし、けれどどこかでしょうもないプライドがあることも事実である。

 この冗長な話の着地点はつまるところ、ちっぽけでクソみたいなプライドなのだ。捨てられないというよりも捨てる気がない。外側と中身が伴っていない。まだ完全にはプライドをへし折られていない。多分この2年間が最後の足掻きだ。けれど、結果は目に見えている。絶対に僕は自分のプライドを捨てられない。くだらない学歴と中高時代の勉学が僕の唯一の拠り所なのだ。こればかりは決して揺るぎようがない。永遠に学歴に縛られるのだ。

 社会に出るのが怖い。学歴が通用しない世界。けれど多分心のどこかで社会を舐めている。ここまで分かっているのにまだ楽観的になっている。その自らの浅はかさを自嘲する余裕はある。そこを含めてさらに浅はかなのである。社会人となっていったやつらを心から尊敬する。

 しかし社会に出るときはいつかはやってくる。社会に出てみないと分からないことだってたくさんある。結局社会なんて言ったって自分が所属するコミュニティによったらほぼ学生と変わらない場合だってある。社会に出たとき、なんだかんだ頼れるのは自分しかいない。だから、必要に応じて自分を受け入れるしかない。どんな自分であっても。またこうやって自分を正当化してしまう。永遠ループ、終わりなき旅である。明らかに誤用である。自分の将来を心配する前に桜井和寿に怒られないかを心配すべきかもしれない。



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