迷子大学生

いや、実に面白くない。もう春の陽気が訪れているというのに一向に気分が晴れない。個人的には寒い方が好きということを差し置いても、だ。

京都で学生生活を過ごすと分かる、一種の独特な雰囲気というものがあるらしい。なんとなく分かる、いわゆる『四畳半神話大系』みたいな雰囲気。おそらく東京では得られないだろう。

いかんせん、東京、特に23区内には自然がほとんどない。確かに公園や緑道は多い。しかしそういう意味での自然ではない。河川敷や裏山といった意味での自然である。これこそが東京の学生生活が人工的で味気ないものになっている原因である。僕だって鴨川の河川敷に好きな子と並んで座りたいし、友達と暇を持て余して吉田山に登りたい。それに比べて東京はなんだ、舐めているのか。高いビルから夜景を見るか、よく分からない光っているだけの作品を見るしか能がないのか。なんだよ、チームラボって。

そもそも東京はなんでもすぐに恋愛に持ち込もうとする。真面目で朴訥な学生の居場所なんて存在しない。東京の若者の街としてよく挙げられるのが下北沢。学生の街である京都とどことなく似ている気もするが、そんなことは全くないしあり得ない。勉学に勤しみ、どこか古風な学生なんて下北沢には存在しない。そんな素晴らしい大学生と下北沢のサブカル大学生を同一視してはならない、絶対にだ。サブカル大学生が一番タチが悪いのだ。自分はメインストリームに流されない、世間一般とは違うと言った面を下げておきながら、仲間内で壮絶なドロドロ恋愛劇を繰り広げる。彼らはセックスのことしか考えていない。それに比べて京都の学生はどうだろうか。日々哲学の道を散歩しながら高尚な思考を巡らしているに決まってる。

正直、『四畳半神話大系』みたいな学生生活も今では失われているだろう。どうせ東京の大学生に似た学生生活を送っているに違いない。しかしどこかにその精神が残っていると僕は信じている。

あと一年で大学生活も終わるというのに何にもなりきれていない自分が面白くないのかもしれない。別にレッテルを貼られるような大学生になる必要なんてないし、むしろそんな大学生をせせら笑っていた側の人間であったが、何者でもない自分に時々疑問を持つ。そんな疑問なんか寝たら忘れるというのに。正直言って、上京したことに後悔は全くしていない。どうせ京都で大学生をやってても確実に京都の大学生をせせら笑っているだろうし。本当はレッテルを貼られたいのに貼られるのが怖いのではないかと思うこともたまにある。

今やサブカルがメインストリームになりつつあるのではないか、そうすればまた新たなサブカルが生まれてくる。サブカル大学生になるかどうかはその時になってから考えてもいいんじゃないだろうか。

ちなみに『四畳半神話大系』のアニメの主題歌にアジカンを選んだのは最適解であったように思う。意外とアジカンのメンバーは東日本出身らしい。今の大学生はどんな曲を聴いていらっしゃるのでしょうか、教えていただきたいくらいです。どうせマカロニえんぴつとVaundyしか聴いてないでしょうけど。

ASIAN KUNG-FU GENERATION/迷い犬と雨のビート



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?