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夏の終わりに

結論から言うと、この夏は何もなかった。気付いたら寒いくらいに涼しくなって秋の装いになっている。夏の匂いを追いかけるまでもなく、そもそも夏の匂いさえ感じられなかった。

夏の匂いって何だろうか。夕立が上がったときの蒸しっとした匂い。太陽が照りつけるアスファルトの匂い。僕は蚊取り線香の匂いだと勝手に思っている。

最近、蚊取り線香の匂いを嗅ぐことがなくなったなと思う。周りの住民で焚いている人はほとんどいない。大学の守衛室でしか嗅いだことがない。けどやはり夏の匂いって蚊取り線香の匂いだなと思う。あんなに蚊取り線香の匂いが懐かしく感じるのは実家で昔焚いていたからだろうか。

先日、数日であるが実家に帰った。近所を散歩したが、何だか地元が知らない街のように思えた。家から一番近くで馴染みのある信号機が昔の電球のものからLEDのものに変わっていたり、古い家が取り壊されて新しい家が建っていたり。行ったことはなかったけれど存在は知っていた店がいつの間にかなくなっていたり。全部、全く生活には影響のない些細な変化なのだが、僕の地元はもう地元ではなくなったような気がした。街は日々少しずつであるが変化し続ける。僕はその変化についていけなくなった。僕の中の地元は状況する前のものだ。今の僕は観光客と変わりない。何なら東京の方が馴染み深い土地に思えてくる。それがとても怖くて悲しい。

もう僕は地元に属する人間ではない。かといって東京に属している人間でもない。自分の属している場所がないというのはものすごく怖い。人と同じように街も生きている。街の変化に合わせて自分も生きることで安心感が生まれる、なんてことに気づいた。

思い返せば、いつからだろうか、実家でも蚊取り線香を焚くことはなくなっていった。これも変化だ。実家に帰るたびに、家具が新しいものに変わっていたり、増えていたり。壁紙が変わっていたり、家具の配置が変わっていたり。母の作る料理のメニューも知らないものが追加されていたり。実家でさえ自分を置いて変化している。それはやっぱり寂しい。

蚊取り線香が燃え尽きた後、どこか寂しい気持ちになる。地元で感じた寂しさは蚊取り線香がなくなって夏の夜風に吹かれながら感じるそんな寂しさに似ている。蚊取り線香は燃え尽きれば新しいものに取り替えればいい。けど変化に一度ついていけなくなると再びついていくことはできない。夏も蚊取り線香みたいなものだ。蚊取り線香が燃えている間が夏。燃え尽きても次はない。

蚊取り線香の渦巻きがあと2周くらいになった時の焦燥感はもうない。地元も実家ももう僕がついていけないほどに変化してしまった。もう燃え尽きる。

夏ももう終わる。

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