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若者のすべて

 あっという間に夏が過ぎ去ってゆく。フジファブリックの『若者のすべて』を聴いてもいまひとつ響かない。男同士で市民プール行って、マッチを飲む。素晴らしい夏ではないか。それなのにいまひとつ響かないのはなぜなのか。大人になってしまうからなのだろうか。

 今まで『若者のすべて』を聴いて何かに浸れていたのはまだ学生のままだという謎の安心感に包まれていたからなのかもしれない。けれど今年の夏は最後の若者の夏である。自分自身はもう2年間、学生であり続けるが、周りはほとんど社会人になる。僕だって学生といっても大学生とは違う。少しは自立した大人にならなくてはならない。責任なく生きれた若者からの卒業である。薄々と責任を感じるからこそ、浸ることができなくなっているのだろうか。

多くのアーティストは社会人として働くことなく、バイトなどで食い繋いで売れているのだから、言ってしまえば学生気分というわけである。だからこそ学生の心に響いてしまうのかもしれない。そんなに社会に出たいのならなぜ自分はまだ学生であり続けるのか。分からない。

分からないって便利な言葉である。とりあえず分からないって答えとけばいいと思っている節がある。そんなことで許される訳がないだろう。分からないなら分からないなりに推測でもいいから答えろと。それでも分からないものは分からないんだからしょうがないよなあ。

なんだか自分がつまらない人間になっている気がする。いちいち人のどうでもいい言動が気になり、ツイッターの嘘松を発見することに喜びを感じ、全てを斜に構えてて何が楽しいんだろうか。

こうして傷を舐め合いながら大学入学前の淡い希望は安いサワーの泡と共に儚く消えてゆくのか。もしかしたら自分の愚痴にみんな付き合ってくれていたのか。

こうしてる側でも、横を歩いている楽しそうなカップルを見て鬱屈としている。

急に涼しくなって秋が来た。それでも僕はないかなと期待しつつもないよなって諦め、それでもなおあると信じて探してる。自分でもよく分からない何かを。本当にわからない。多分まだまだ大人にはなれない。


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