2つに1つ

僕はどうしてすぐ浸ろうとするのでしょうか。やはりこれは現実逃避なのでしょうか。今もなぜかaikoを聴いています。下北沢のせいにするつもりはありませんが、これは完全に下北沢のせいです。

まあaikoを聴いても気分が晴れることはないでしょう。どれだけ恋心を歌ったものだとしても所詮理想論、自分の世界に浸る肴にしかなりません。たかが曲の歌詞に共感して浸るとか馬鹿らしいなどと思っていましたが、少しその気持ちがわかるような気がします。

恥ずかしながら友達に教えてもらうまで知らなかったのですが、僕はThe SALOVERSが好きです。クソみたいなサブカル大学生になりたいと思ってきましたが、やはり自分には向いていないのかもしれないと思いつつあります。

なんやかんや言って、サブカル大学生は器用にこなしているのです。恋に不器用だとかフィクションでは描かれていますが、そうです、あんなものはフィクションです。現実はなんならサブカル大学生の方が器用にこなしていると思います。

不器用なんだよなあとつくづく思います。思ったことは全部言ってしまうし、相手の言葉を鵜呑みにするし。自分の心がまだガキのままなことが最大の原因なのかもしれませんが。

実際、色々な思いが浮かんできてとりとめのない状態になっています。この文章も同じです。二人の自分が対立してどちらが正しいのかわかりません。おそらく答えは出ているのです。僕も薄々と感じています。物事にはいつかは区切りをつけないといけないものです。大体、決断すべきときは後からわかるものです。

考えた結果、やはり他人の決断を待っていてはいけないのでしょう。自分が決断していく必要があるのです。そして今が決断する時なのでしょう。しかし、僕は今まで決断してこなかった分、自分の行動に責任が持てない、甘っちょろいガキなのです。

ソラニンの歌詞が心に刺さります。ゆるい幸せに浸っていたらどこかで歪みが生まれます。決断を先延ばしにしていたら、どこかでツケが回ってきます。とっとと先に進まないといけないのです。

けど、僕は決断ができないのでしょう。いつもそうです。でもいいさ、などと笑っている姿が目に浮かびます。けれど所詮は曲の歌詞です。歌詞に浸っていることこそがゆるい幸せに浸っていることなのでしょう。そのためにはまずゆるい幸せ、いや下北沢から抜け出さなければならないのです。

ソラニン/ASIAN KUNG-FU GENERATION

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?