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東京、夏

夏が近づいてきている。

夏と言えば湘南、湘南と言えばサザン。サザンと言えば湘南、湘南と言えば夏。こんな感じで世界は回ってる。それでも僕はいまだに胸騒ぎの腰つきなんてものは知らないし、いとしのエリーさえも現れない。

夏で好きなのは夕立が上がったときのあのなんとも言えない雰囲気。くるりの東京を聴くと僕はいつもそれを思い出す。思いを馳せるような「君」などいないのに。

去年のちょうど今頃、ドラマのモテキを観た。なんか、俺は変わるぞぉぉ!!なんて思ったりもしていたけれど、全然変わってないなあと思う。モテキ観てから色んなことが起こったし、ちょっとは変わった気がしていたけれど、本質は変わってないんだなあとすぐに落ち込む。

なんかちょっと変わったな、成長したなと思うとすぐに上手くいかなくなって落ち込む。人生そんなもんだって言うけど、そもそも大した努力なんてしてこなかったし、上手くいかないのは当然なのであって。

結局やるしかないんだよなって毎回思う。それでもやらずにまた結局やるしかないって思うの繰り返し。

話は変わって、くるりの東京って多分、本来梅雨が明ける直前の時期、雨が上がった夕方に聴く曲なんだと思う。けど、なぜだか僕は夏の終わり頃の夕立が上がったときを想像してしまう。夏前に「君」に電話しようと思って、夏が終わる頃になってもまだ電話できていない、そんな自分がいるような気がする。

何もやってないやつに、昔好きで仲良くなったけどフラれたあの子、みたいな青春のかけらが残ってるわけがないと思ってみたりもする。東京に情緒を感じるのは上京組の特権でもあるのに。

大学生はもう青春じゃない。気だるさの中にある何か。青春のかけらを探してもがいている。大人への階段。クサい台詞だけど。気付けば大学生活も半分以上が過ぎようとしている。一瞬でもいいから君と上手く話せなかったことや君が素敵だったことを思い出したい。そんな夢も虚しく、また夏は訪れようとしている。

今年の夏こそは君に電話しようと思っても、今年の夏もまたできずに終わるだろう。なんかそれはそれで清々しい気もしてきた。せっかく東京に住んでるんだからせめてモテない日々を満喫しないともったいない。

そろそろ梅雨が明けそうな気がする。三度目の東京の夏。夏は儚い。勝手にシンドバッドと希望の轍を聴いてたらいつの間にか終わってる。エボシラインの謎を抱えながら。


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