FujimotoMiho

多摩美術大学彫刻科を卒業。府中市の学童クラブに勤め、「遊び」について興味を持つ。その後…

FujimotoMiho

多摩美術大学彫刻科を卒業。府中市の学童クラブに勤め、「遊び」について興味を持つ。その後東京都の教員として美術科、図工専科として働き、オルタナティブスクール、イエナプランやレッジョエミリアアプローチに興味を持つ。教育の個別化や多様な学び場に実践と研究をしていく。

最近の記事

ジョアン・ミロへの感想文

 ミロの絵が高校生の時から好きだった。画集で見ていたものを大学の時は美術館に足を運んでホンモノの作品を見て改めて感動したものだった。 共鳴したところは、その自由な線や形であった。その線は人の体毛に似ていた。ちょうど大学の時私は体毛の存在に興味を持っていた。なぜか私たちは体毛をちょっと気味の悪いものとして捉えて、肌の色からひょろひょろと生えてくるあの形と色と存在を強く意識し、さらに排除する。 ひげとか脇毛とかすね毛とか他にも・・・ そんないつもは排除しがちな生命力溢れるその存在

    • 学問をすすめて

      学問を進めていくと、自己否定に陥る。私は今教育に関連した現在の様々な制度について学習しているが、知れば知るほど自分の現在の行動が、私の思う理想とかけ離れており、馬鹿馬鹿しく陳腐で、本当に酷く悲しい。 だけどこれを捨ててそれをひっくり返すにはまだ勇気も力もない。劇的ではなく、ひたひたと日常を大切にひっくり返していきたいとは思っている。 よく鈍感力をつけた方がいいと言うが 人間関係には鈍感力が必要だ。鈍感でいいと思う。 しかし、学問においては、鈍感力ではなく、敏感でなけれ

      • 「学校についてみんなで語る場」-9月28日アーカイブ−#「学校での出来事について」

        議論について、主題に添ったり派生した問題が現れたりと流動的な部分があります。目指すところは結論や方法を見つけることではなく互いがどう捉えているかを認知するところにあると考えます。 議題「雑巾がけ」に対して、なぜ手で床を拭かなければならないのか、また学校教育の中で未だに習慣とされている「雑巾がけ」には何か根拠があるのか。 ※アーカイブでは名前を伏せていきます。参加者はA B C…として、立場の名前は付けますが、必要のない時は付けません。 <登場人物>  A(保護者)B(

        • 大切だと思ったこと

          意見を読むことで、「なるほど」と納得する。納得するということは今までその思考はその人の中にはなかったのである。また、意見を発言することで発言を「整理」したり発言に対して「返信」が返ってきてまた考える。 考えれば日々の業務にも影響する、「このことどうなんだろう」って。 それがあることが大事だと思いました。 誰かの意見に共感したり理解する。その脳みそはすでに前の自分よりアップデートされているのだと思います。私たちは知らないだけで、多くの人は悪い人ではないし、敵でもない。

        ジョアン・ミロへの感想文

          「学校についてみんなで語る場」-9月26日アーカイブ−#「学校の仕組みや制度について」

           議論について、主題に添ったり派生した問題が現れたりと流動的な部分があります。目指すところは結論や方法を見つけることではなく互いがどう捉えているかを認知するところにあると考えます。 議題「学級の人数について、現在は35、6人の子供が一つの学級にいるがそれは適正かどうか」 ※アーカイブでは名前を伏せていきます。参加者はA B C…として、立場の名前は付けますが、必要のない時は付けません。 <登場人物>  A(保護者)B(教員) C(教員) D(私塾関係者) A(保護者

          「学校についてみんなで語る場」-9月26日アーカイブ−#「学校の仕組みや制度について」

          民主主義について

          民主主義について、日本は民主主義で、国民に主権があります。しかし、その主権者が沈黙し過去に作られた制度のまま動いていることは、先に言ったデューイのフレーベルの恩物と同じことが起きているんだと思います。 つまり今生きている人々は現代の環境で生活しているのに、操作しているもの(体制など)は過去の産物ということです。 また、主権者の沈黙とは民主制を成立させていません。主権者が主権であることを放棄しているんだと思います。 それは民主制の側を被ったほかの政治態です。 私たちの不満や意

          民主主義について

          学校についてみんなで語る場

          学校について、 みなさんで協議する場(困っていることや、こうなってほしいことなどを共有等)を作りたいと思います。 ちょーゆるく笑 継続を目指したいと思いますので、ぜひ参加してみてください。 https://discord.gg/G7emGUBN ■ディスコード■ ゲーマーを中心に使われているコミュニケーションツールです。 掲示板のようになっていてトピックスの中に意見を書き込んでいくことができます。 トピックスを増やしていくこともできます。 参加者は 公教育に携わる人、私

          学校についてみんなで語る場

          今の公教育を支持しますか、という問い

          現場で働く教員や指導を受ける子ども、それを支援、保護する保護者や地域の人たち。 だれもが目の前の人との関係にある程度の責任を持っていたり、最善になるように日々努力しています。 しかし、教育システムは集団の思いとは別に作用します。その歪みによって苦しめられる人々がいるならば、やはりそのシステムは支持すべきではないと思います。 個々人とシステムは違います。現在向き合うべき事柄に日々努力すること、と大きな枠組みは違うところに存在すると思います。 その問いが解けるように具体的

          今の公教育を支持しますか、という問い

          教育機関の中で、子どものもつ自由と責任とは

          久しぶりの投稿になってしまいました・・・。 今後研究していきたいことを踏まえてとりあえず今の自分の意見を書き殴ります。まだ意見的には浅いです、メモ程度に。 ■「自由には責任が伴います」 私が学生時代から大人になるまで、多くの人が、自由という言葉に責任がついてくると話しました。(あまり自分の親に言われたことはなかったです。)  この言葉はどこから来ているのでしょう。この根拠は誰の考え方なのでしょう。当たり前の様に言われる言葉の根拠もわからずに使っていないでしょうか。そう感

          教育機関の中で、子どものもつ自由と責任とは

          社会契約論をかじってエッセイ

           教育に携わると、「この子(人)をどんな人間に育てたい、導きたいのか」というところを考える(ただこの考え方は横柄であるので、最近はちょっと先に生まれた人間として子どもの側に居ることが正解かなと思っている、なぜなら私に彼らを導く、育てる力があるとは思えないから)。 学習指導要領では「生きる力」をスローガン?に掲げている。生きていくために必要な力。  ルソーは「社会契約論」の中で人間の最初のおきては「自己保存をはかること」(殺されない、死なない)と書いている。そしてこの「社会

          社会契約論をかじってエッセイ

          教育を考えるにおいて、自分で課題図書

          プラトン「国家」を読み終えたので、10巻までしっかりまとめていきたいと思います。、、、ゆっくりめに更新します。 今はルソーの「エミール」を読んでいます。来週中には読み終えたい。同時にJSミルの自由論、ルソーの社会契約論を読み、ロックやホッブスの契約論や教育論についても触れながら、ロールズの政治哲学史講義を読んでいきたいと思っています。 また、シモーヌ・ヴェイユやヴァージニア・ウルフ、ハンナアーレントの全体主義や社会的抑圧、戦争についての文章も読んでいきたいと思います。(女

          教育を考えるにおいて、自分で課題図書

          「国家」プラトン著ー1巻

          以前に頭の良い哲学者(現代の)の集まりで、プラトンについての回があり、プラトンの「国家」読みやすいし読んでおいた方が良いよーってなって、その時は意気込んだものの読みきれず。。。GWなのでどっぷり読むことにしました。少しずつ要約をしていこうと思います。 「国家」プラトン著 藤沢令夫訳は、主役ソクラテス(古代ギリシア人の哲学者)に対して弟子やその場に居合わせた若者たちがソクラテスからの問いを通して、正義や善き人、善き国家について思考していく対話集です。全10巻。 <時代・場面

          「国家」プラトン著ー1巻

          人生型の主体的とは

          先日の投稿で、主体性についてまとめたが自分の頭の中でもかなりしっくりくる部分があり文章を書こうと思います。「人生型の主体的」な活動に関して 私自身美術大学出身で、「作品(自己表現)」を作ることで社会に自分を表したり参加したりすることを目指して制作していました。多分、社会に対して自分の考えを発言や表明することが目的になっていたところがあります。働くことや生活(生きていくこと)していくことが目的ではありませんでした。これで稼いでやる!とかそういうのは… その背景にはある程度の

          人生型の主体的とは

          主体的な学習とは

           学習指導要領に挙げられている「主体的な学び」というのはどういうものなのか、定義が曖昧なまま、取り組んでいたと思います。(こんな教員ですんません汗)桐蔭学園の理事長 溝上慎一さんの 主体的な学習とは-そもそも論から「主体的・対話的で深い学び」まで-  を読んでまとめていきます。 http://smizok.net まずなぜ主体的な学びが必要なのか、こんなに主体的、主体的言われているのはどうしてか。 ・新学習指導要領を作るにあたり議論に出てきたのは、現代、知識・情報・技術を

          主体的な学習とは

          主体的に生きるとは

          日々は点である。無意識に点を過ごしていくと自分を認知せずに時間が過ぎてしまう。人生を線で認知してみる。自分がいる今を点で区切り、その前は過去、それから先は未来(大体最後は100歳にしておくといい)今学校で習っている学習はどのように影響していくのかを考える。本当は自分自身を認知するためにも興味のないことにそこまで時間を割く必要はないのかもしれない。すでに循環している社会を生きていくための最低限のルール(言語、数字、歴史とか?)は身につけておきたいとは思うが、あとは自分がどう生き

          主体的に生きるとは

          「小さな学校の時代がやってくる」

          小さな学校の時代がやってくる・・・・時代がやってくるんだ!と感じさせてくれる本書でした笑。これからの時代は学習の多様さや選択の自由が求められるし、広がってくるのではないかなと感じます。子供が主体的にそして民主的なコミュニティを築くことができるのはこの本に書かれているスモールスクールではないかと思います。本書では世界のオルタナティブ教育と日本の個別教育の歴史。大規模学校ではなく小さい学校が良い理由、実際に作るとしたらどんな法律が関わり運営はどうしたら良いのかなど具体的に書かれて

          「小さな学校の時代がやってくる」