教育を考えるにおいて、自分で課題図書

プラトン「国家」を読み終えたので、10巻までしっかりまとめていきたいと思います。、、、ゆっくりめに更新します。

今はルソーの「エミール」を読んでいます。来週中には読み終えたい。同時にJSミルの自由論、ルソーの社会契約論を読み、ロックやホッブスの契約論や教育論についても触れながら、ロールズの政治哲学史講義を読んでいきたいと思っています。

また、シモーヌ・ヴェイユやヴァージニア・ウルフ、ハンナアーレントの全体主義や社会的抑圧、戦争についての文章も読んでいきたいと思います。(女性という視点も入れながら。)

さらに日本の教育史や、思想史から現在の教育論(学習指導要領)の流れがどうであるかを考察し、今行われている教育を論じられるようにしていきたいと思います。

●今後の研究について考えていること

公教育に携り感じたことは、

・ずっと集団教育であることに対してどうかと思うし、疑問を感じている人もいる。にも関わらず、変わらないのはなぜか。(場所や教員の数、子供の人数が原因かもしれないが)また、いわゆる詰め込み教育が行われることに関して、学習指導要領は本当に詰め込みを要求しているのかをよく読み込んでみたい。

・戦前から戦後(日本国憲法→教育法→学習指導要領なので)、近代の教育史、現行の学習指導要領とそこに西洋哲学史がどう影響を与えているのか、またこれからの社会にとってより良い教育とは何なのかを論じたい。

★ちょっとめも ルソー「エミール」上を読んで、所感(後日改めて文章にする!)

教育学の教科書のような「エミール」上巻では12歳以下の教育について論じられている。ルソーは12歳以下の教育では、自然と接近した素朴な生活をし、「偏見」から子供を守り、手足をよく動かし、丈夫な体を作ること。そして、学習に関しては、受動的な学習ではなく自分から知りたい、学びたい、また学ぶべく必然性を持ち学習すること。手足を動かし感官を用い、観念をもって真理の探究に努めるべきと書いてあった。

ルソーは社会契約論とつながるだろう「自由」「所有権」「約束」は身につけさせるが、言語で論理的なものは12歳までには必要ないと書かれていた。

ルソーを読む限り(大学の教職単位では必須で学ぶ)現行の教育のシステムは正反対であり、日本の教育が目指している(教職課程で学ばせるということは、目指しているの、、、では?)理想とは何なのか考えてしまう。

こと図工の指導要領に関しては、身体を動かし、感官を働かせて観念をもち学習していくというところは合致した。

もちろん、ルソーだけが正解ではないので、他教育学をよく読んでいく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?