人生型の主体的とは

先日の投稿で、主体性についてまとめたが自分の頭の中でもかなりしっくりくる部分があり文章を書こうと思います。「人生型の主体的」な活動に関して

私自身美術大学出身で、「作品(自己表現)」を作ることで社会に自分を表したり参加したりすることを目指して制作していました。多分、社会に対して自分の考えを発言や表明することが目的になっていたところがあります。働くことや生活(生きていくこと)していくことが目的ではありませんでした。これで稼いでやる!とかそういうのは…

その背景にはある程度の生活環境や支援が(この歳になってもありがたいことに)ありそれが今の自分の場所を保証していくれているとは感じています。また、私の祖母は今年で98歳になります。身体的に健康的で、思考をしたり好奇心を大切にしています。「花に水をやる」や「分からない文字はメモ用紙に書き留める」など自分で課した習慣もあり、明日への恐怖はそこまで強くないようにみて取れます。私の人生の捉え方は100歳まで時間があること、その中で大きな社会に対して自分はどう表現するのか、どこに居るのか、何をするのか。ただ人生の時間に関しては一様ではないので、想像の中では100年で考えますが、1秒後自分は死んでいる可能性もあり、その時間の中でじゃあ何をしようかとも考えます。(死生観については宗教も持っておらず無責任なところがあります)

自分(主体)が地域、日本、世界(客体)に存在し影響し合う。それは、部屋の中に引きこもっていようが、路上で生活してようが、どこにいても誰であっても。存在することは影響しあうわけです。

客体(世界、社会、仕事場、学校…)のための主体(私)ではなく、時間をもつ主体(私)が関わり合う客体(学校、職場、社会、世界、文化)。働かせられている職場や、行かされている学校、生かされている何者かに、という視点を変換をしてみると人生型の主体的が生まれていくのではないかと

それでも資本を稼がないと、ものを生産しないと、明日学校に行かないと世界は回らなくなるというのは現実だと思います。緩やかに構造を変化させるために、寄り添うように解凍するように、構造を崩していきたいと思います。

またこの主体的な活動から振り返り、改善し、改めて表現するというプロセスを繰り返すことで、経験や時間を積み上げて自分という存在を築いていくことができるのではないかと思います。そしてそれらは教育界でいうポートフォリオやキャリア教育になっていくのではないかと考えます。



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