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学びに「方向性」は必要か

「考える芦」として私たちは日々考え、学んでいる。しかし、私たちの学びには一定の方向性が必要なのだろうか。

今回は「学問分野における方向性」「個人の学びにおける方向性」の二つのレベルで考えていきたい。

学問分野における方向性

大学には様々な学問分野がある。しかし、それらには事前に決定し合意された方向性があるのだろうか。

大枠はあると思う。しかし、最終目標はどこか。帰着点はあるのか。あるとしたら、その方向性はいつ決まったのか。その方向性は社会の変化に伴い変容していったのか。誰が決めたのか。それとも自然に決まっていったのか。その最終目標は研究者の中で理解され、明確にされているのだろうか。

そもそも 私たちは、学問に方向性を必要とするのか


最近、比較的新しい分野の教科書を読んでいると序文に「学問分野としての定義」について以下の点が長々と議論されていた。

・"What are the studies"  何の学問分野か (学問の定義)

・"What are the studies for"  何のための学問分野か (学問の目的)

・"What should the studies be"  学問分野としてどうあるべきか (学問の方向性)

高校生向けの大学パンフレットでよく「何を学ぶ学部か」(→ 特定の学部における学問分野の定義) が強調されているが「何の為の学問か」は分野によってはあまり説明されていない。

そもそも 学問自体は「目的」か「手段」か

分野として存続する為に研究するのか。社会的需要を満たす為か。それとも好奇心や探究心に依るものか。私たち社会を存続させる為か。


経済学を例に具体的に考える

経済学の定義 (例)

Economics is the study of how human beings coordinate their wants and desires, given the decision making echanis, social customs, and political realities of the society. (Colander 2006a, p4) 経済学とは、意思決定メカニズム、社会的慣習、社会の政治的現実を踏まえて、人間が自分の欲望と欲求をどのように調整するかを研究する学問である
Economics is the study of economies, at both the level of individuals and of society as a whole. (Krugman and Wells, 2004, p2) 経済学とは、個人と社会全体の両方のレベルで経済を研究する学問である

経済学の目的方向性

岡部 光明 慶應義塾大学名誉教授により執筆された「最近の経済学の動向について: 特徴、問題点、対応方向」を参照にすると、従来の経済学の根幹とされる。マクロ、ミクロの経済学、労働経済、政治経済等に加え、最近より「心理学」「脳神経学」「社会学」を取り入れた分野へと進展していったと分析されている。

例えば、最近ノーベル賞授賞者を多出している「行動経済学」も既存の経済学における「合理的な人間」の仮定を疑いより「非合理的な人間」の経済行動を理解することを主としている。その上で人間の心理面、行動のくせ、意識を理解する必要が出てきた。さらに、それらの人間の行動が「社会のつながり」によって影響する為社会の構造や文化を実証的に分析する社会学的要素も取り入れられつつある。

しかし、この方向性は20年、30年前に予測できたものではない。あくまでも 大枠の経済学の意義に沿うよう、過去の研究の結果や社会的な変化をふまえ、社会的需要に合う様に少しずつ指針が示されてきたと考えられる。


個人の学びにおける方向性

そもそもとして「何の為に勉強するか」(学習者からの主観的問い)と「何の為の学問か」(学問からの客観的問い) はマッチしないといけないのだろうか

「学びの方向性」は良いのか?

 「社会の方向性」が「学問の方向性」に何かしらの影響を与え、それが私たちの「学びの方向性」へと変換されていくのだろうか。

だとしたならば 、私たちは「将来の社会の方向性」を予測し、将来重視されうる分野を学んでいきべきなのだろうか。そして多くの人がその分野を学ぶことでその分野における発見なり進展が加速し、私たちは、あたかも予想した「将来の社会の方向性」が達成したかのように感じるのだろうか。

確かに自然科学分野は、一見して社会の方向性にとらわれず、あくまでも、自然の真理や摂理を追い求めているのかもしれない。しかし、研究の財源の確保は簡単ではない。社会的に需要がありそうな研究に重点的に予算が与えられているはずである。

それならば、先ほどの学問に対する3つの質問が今度は社会*の指針として考えられるかもしれない。

・"What is our society (living)"  何の社会か (社会の定義)

・"What is our society (living) for"  何のための社会か (社会の目的)

・"What should our society (living) be"  どのような社会にしてくべきか (社会の方向性)

*社会とは人間社会だけでなく他の生物等の視点も含めた地球なり宇宙規模の話である (環世界)


「学び」とはどうあるべきか

 「学び」や「社会」の方向は一直線なのか環状なのか

あたかも私たちの 「学び」や「社会」は日々進化して前方に進んでいる気がする。しかし、実際 私たちは(1)「将来のあるべき社会(理想の社会)」をあらかじめ予想する。指針を立てる。(2)その指針(方向性)に従い個々が学ぶ (3)その指針を達成するのサイクルに沿っているのではないだろうか。だとしたら私たちの「学び」や「社会」の方向性は一直線ではなく、環状(サイクル) なのではないだろうか。しかしながら その「目標(予想)」「目標の達成」のサイクルを繰り返すことであたかも前進しているように感じるのではないだろうか

私たちは方向性のある学びをすべきなのか。学びは、方向性をもつことでより有意義になりうるのだろうか。それとも、方向性に囚われるが故に私たちは私たち自身の社会の方向性を決めそれに固執してしまっているのか


教育や大学のあり方 私たちの学びのあり方について考えるにあたり、再度「学びとはどうあるべきか」より包括的に広い視野を持って考えていく必要があると個人的には強く思う。

私自身、これから生きていき「学び」を続ける上で 果たして自分の生き方の指針は何なのか。社会の方向性は何なのか。私自身は方向性のある学びをしたいのか、すべきなのか 考えていきたい。









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