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大森荘蔵 問題系の提示


「重ね描き」


大森荘蔵の「重ね描き」の議論はウィトゲンシュタインのアスペクト(相貌)知覚の議論と突き合わせると面白いかもしれない。


だが実は多様体論数学者の知覚と見解が重要ではないか?   多様体論の数学者たちは「重ね描き」をしているのだろうか? だとすればそれはいったいどのような「重ね描き」なのか?   下記の本に取り組むことで、読者はそうした問いを巡る経験を自ら試みることになるだろう。そうすることなしには下記の本はそもそも読み進めることが不可能な作りになっている。そしてここが肝心なのだが、大森荘蔵の記述もそういった実践なしにはそもそも読むことができない作りになっている。

 

カラビ・ヤウ多様体とホログラフィック原理


以下は、大森荘蔵の「重ね描き」の考察には直接参考にならないかもしれないが(おそらく深く関連する)、量子重力理論であまりにも有名な多様体(カラビ・ヤウ多様体)と超弦理論の根幹をなすホログラフィック原理の紹介である。なお過去にツイートしたが、人工意識の問題系とホログラフィック原理の問題系は本質的なポイントで交差すると予想している。

wikiより
①「ホログラフィック原理(holographic principle)は、空間の体積の記述はある領域の境界、特にみかけの地平面英語版)のような光的境界の上に符号化されていると見なすことができるという量子重力および弦理論の性質である。ヘーラルト・トホーフトによって最初に提唱され、レオナルド・サスキンドによって精密な弦理論による解釈が与えられた[1]。サスキンドはトホーフトとチャールズ・ソーン英語版)のアイデアを組み合わせることからこの解釈を導いた[1][2]。ソーンは1978年に弦理論はより低次元の記述が可能であり、ここから現在ホログラフィック的と呼ばれるやり方で重力が現れることを見出していた[3]

より大きなより思弁的な意味では、この理論は、宇宙宇宙の地平面上に「描かれた」2次元の情報構造と見なすことができ我々が観測する3次元巨視的スケールおよび低エネルギー領域での有効な記述にすぎないことを示唆する。」

②「ラックホールのエントロピーは深遠な謎である — それはブラックホールの状態の数の対数はその内部の体積ではなくその地平の面積に比例することを言う(略)ホーキングの計算はブラックホールの放射はそれらが吸収した物質の種類とは全く関係がないことを示唆(略)このことは物質それ自体は無限回細かく分割することはできず、基本粒子には最終的な階層があるはずであることを示唆する。粒子の自由度はその下位粒子の全自由度の積であるのでもしより低レベルの粒子に無限回分割することができるなら、元の粒子の自由度は無限大でなければならず、エントロピー密度の上限を越えている。

ホログラフィック原理はこのように、細分化はあるレベルで終わり、基本粒子は1ビット(1か0)の情報でなければならないことを示唆する(略)ベッケンシュタインは、"熱力学的エントロピーとシャノン・エントロピーは概念的に等価である:ボルツマン・エントロピーによって数え上げられる配置の数は物質とエネルギーの任意の特定の配置を実現するのに必要なシャノン情報量を反映している…"と要約している(略)ホログラフィック原理は、(ブラックホールだけでなく)通常の物質のエントロピーもまたその体積ではなく表面に比例することを述べる。すなわち、体積自体は幻影であり、宇宙はその境界表面に"刻まれた"情報に同型なホログラムである。」

なお、ホログラフィック原理の最も決定的と思われる起源は、ガウスによる空間の曲率に関する1827年論文『曲面の研究』(Disquisitiones generales circa superficies curvas)である。 以下要約:3次元物体の表面(2次元閉多様体)はそれ自体空間と見なすことができる⇒この意味での与えられた空間の曲率の情報を知るためにその空間の外部に出る必要はない。






ゲーデル解またはゲーデルの回転宇宙 時間=回転運動


ゲーデル解またはゲーデルの回転宇宙タイムトラベルと密接に関連する。鍵は本来の意味での多様体だ。これも時間に関する大森の思考に関連する。


ゲーデル解(wikiから引用)

「ゲーデル解は物質分布を規定するエネルギー・運動量テンソルを、回転する一様なダスト粒子として仮定し、ゼロでない宇宙項を仮定したアインシュタイン方程式のもとで得られる。また、この解には時空特異点は存在しない。

時空がどこかを中心として自転している場合に相当するので、中心からはるかに離れ、回転速度が相対的に光速を越える場所では時間的閉曲線が生じることになり、宇宙の歴史が周期的に繰り返される(過去と未来の区別が局所的にしか成立しない)と解釈することも可能である。したがって、時間旅行が理論的に可能になる。

時空の均質性と時系列の測地線の相互のねじれのため、ゲーデル解の時空は時間的閉曲線(CTC)を持っている。アインシュタイン方程式の証明によって人々が直感的に理解する時間と異なることの証明に成功こそがこのモデルの重要な点だとゲーデルはみなした。

(中略)

アインシュタインもゲーデル解を知っており、『Philosopher-Scientist』:[2]で、「時系列自体が閉じている」一連の因果関係のある事象(言い換えれば時間的閉曲線)がある場合、 時系列内の特定の事象が時系列の別の事象よりも「早い」か「遅い」かを定義する物理的方法がないことを示唆している。」


2021年09月09日(木)のツイート(一部改訂)


(仮説だが)多様体レベルで時間=回転運動ならば、それ(その時間=回転運動)によって、回転させられるもとの空間に対してより高次元の空間が生まれる。そしてその新たな空間から見るともとの空間の時間はループしている。時間と因果性がループするゲーデルの回転宇宙は高次元から見た我々の宇宙ではないか。

 参考 ゲーデルの第一不完全性定理の証明過程(部分)


ゲーデルは不完全性定理の証明過程に表現されている入れ子構造をゲーデル解に従う我々の宇宙=回転宇宙と「より高次の宇宙」の関係についても観て取っていたのではないか。


「見え」と「思い」(あるいはコギト)


大森荘蔵のいう「見え」と「思い」(コギト)の不可分性とそれをベースとした人間の「見え×思い」の汎用性こそ現存のAIには欠けているものだろう。下記の記事を参照。

参考


また、下記の記事末尾で触れられているプルーストの「無意志的記憶」にも上記「思い」は密に関連する。

参考


「意志」の消去 『中論』の龍樹(ナーガールジュナ)


「意志」を巡る大森荘蔵ウィトゲンシュタインの分析は『中論』の龍樹ナーガールジュナ)を想起させる。龍樹(ナーガールジュナ)は「自由」について素晴らしい言葉を残している。彼は人間の自由を護りたかったのだ。

 行為に先立つまたは行為と分離された主体を完全に解体した後で、龍樹ナーガールジュナ)は「生きることと自由は一体不可分である」と語った。


 龍樹の言葉

「生の過程には、始まりも終わりもない。それは、自由と区別される何ものも持たない。自由は、生の過程と区別される何ものも持たない。

“Nagarjuna The Philosophy of the Middle Way.”1986.State University of New York Press.p.206,366.」 


 「物心二元論」批判 世親ヴァスバンドゥ)の唯識

大森荘蔵による「物心二元論」批判の作業は(あくまで印象に過ぎないが)かなりの程度世親 ヴァスバンドゥの哲学である唯識を彷彿とさせる。実は彼の哲学には彼自身にすら完全に意識化できなかった遥かな系譜があるのではないか?


ゲーテ『色彩論』


本来厳密な比較分析が(可能かどうかは別にしても)必要なのだが、ゲーテ(ろくに読んでいないのに言及するのは気が引けるが『色彩論』におけるニュートン 『光学』との戦い)をも想起させる点で大森荘蔵の稀有な大きさが垣間見られる。


その思索の営み自体からナーガールジュナヴァスバンドゥゲーテを連想させる大森荘蔵。確かに稀有な存在だ。

永井  均氏の問い 歴史上初めて大森荘蔵が直に遭遇=抽出し同時に取り逃がした問い

 
少年期(潜在的には物心ついた頃)以来の永井均氏の問い
“〈私〉から「自分」への移行はいかにして可能なのか?"
 科学アートの(成立可能性の基盤への)問いでもある。 

以前から永井均氏自身はこの問いに対して「なぜかは知らない(わからない)が」と(いう主旨の表現を)付加している。つまりこの問いの消失とこの問いの解決(なぜなのかの答の成立)が哲学的かつ現実の事態として同時だということである。



問いに対する一つの応答 詩作品「無実者」の告白



このは拙著『カンブリア革命』のある章の要約になっている。なお、ここでの「顔の消失」は核心の論点ではない


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