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忘れてたのに忘れてなかった(休職292日目)


2022年11月20日(日)

日が短くなり、いたる場所でイルミネーションや
ライトアップのイベントが催されている。

新型コロナも落ち着き
訪れた方も多いのではないだろうか。


私はある紅葉スポットの
ライトアップイベントに足を運んだ。

夫に誘われ二つ返事でOKし、
身なりを整え久しぶりのデートに心を躍らせた。



ところが会場に足を踏み入れてものの1分。

何とも表現しがたい
衝撃のようなものが私の中に走った。



その場所は約1年前に仕事で訪れた場所。

そして、休職のきっかけとなったとも言っていい
トラウマ級の思い出を私に植え付けた場所だった。




テレビ局の報道部に所属していた私は、
その会場での中継ディレクターを任された。

中継は人が多く訪れる場所を選んだり、
訪問先の担当者とのやり取りが必要であるため
コロナ禍で1年以上やっていなかった。


その上、中継のディレクターを任されたのは
その時が初めて。

また、追い打ちをかけるように
担当の企画が立て込んで
準備に割ける時間がほぼなかった。


中継の段取りを確認するための原稿を
デスクに確認してもらったのは前日の夜。

不安で仕方ないという私に

『中継はなんとかなる』

デスクはそう言った。



当日。

中継の準備に追われる私に
ディレクターの上司が『大丈夫か』と確認した。

優しいトーンではない。

ほぼ呆れ、試すような口調。

準備不足でこの時間に映像の準備や
台本を仕上げていること、

3カ所で中継するには
すべての場所が遠すぎること、


そして、中継のすべての責任が私にあること。


思わずトイレの個室に駆け込んで、
人目もはばからずわんわん泣いた。


「無理だ」

「できっこない」

「初めてなのに」

「準備の時間くれなかったくせに」

「ちゃんと指導してくれよ」

「私は悪くない」

「怖い」

「逃げたい」


真っ赤な目をしてリポーターである
後輩のアナウンサーに台本を渡したときは
ぎょっとしていた。

出役に不安を与えないこともディレクターの使命。

きっと彼女も怖かったと思う。


通常の中継であれば、
本番1時間前にスタジオとつないでリハーサル、
そしてその1時間前にドライリハーサルと言って
現地だけでリハーサルをする。

だからだいたい2時間くらい前に
現地に着けばいいのだが
怖くて3時間以上前に現地に向かった。

会社を早く出たかったことも1つの理由。


ドライリハを1度やった。

想定5分のはずが9分かかった。


そして事前に編集した映像を流して
その間に別の場所に移動する、ということが
中継ではよくあるのだが、その移動が長く
道も整備されておらず危険だという話になった。

私たちは身一つではない。

リポーター、ディレクター、カメラマン、照明、
音声、ADなど10人近い人間が大きな機材を持って
人が多く訪れている観光地を動き回るのだ。


それによって私たち自身がけがをしたり、
機材が壊れることも不安だが
何よりそれによって一般客に迷惑をかけてしまう
ことは生中継のタブーである。


インカムでデスクや上司から
ルートや台本の変更を要求される。


私はパニックに陥った。

ただでさえ不安なのに
今更撮影場所と台本を変更する??

しかもその情報をまた1から細かく
クルーに伝えなければいけない。


頭が真っ白で体中が汗ばんでいた。



「このままいかせてください」


変えることが怖かった。



ただスタジオ側からは『嘘だろ』と言わんばかりの
言葉やため息が聞こえた。




本番はなんとか乗り越えた。

大所帯が全速力で人の間を移動するという
危険な行為を冒してしまったし、

焦ったリポーターの声が放送に少しだけ
のってしまうということはあったものの、
いわゆる”放送事故”は起きなかった。



帰社。


決まり事ではないが、放送が終わってしばらくして
ぞろぞろ帰ってくる中継クルーのところに
みんなが集まって労いの言葉をかけたり、
『あそこはこうした方がよかったですね』などと
言いあう時間がある。



『準備不足だな』



ディレクターの上司がそう言い放った途端に
張り詰めた糸が切れ会社のみんなが見ている前で
泣いた。



そして弱音という弱音を吐きまくった。


「あれだけ仕事詰まってて
 できるわけないじゃないですか」

「誰も教えてくれなかったじゃないですか」

「久しぶりの中継なんだから
 慣れてる人がやってまずはそれについていって
 勉強させてほしかったですよ」


リポーターの後輩や、MCの女性アナウンサーが
駆け寄って『大丈夫だよ』、『頑張ったね』と
声をかけてくれる中、

顔を上げるとそこには
白けた顔のディレクターとデスクがいた。

そして2人とも何も言わずその場から離れた。



”捨てられた”


そう思った。

仕事ができないやつは要らない。


そう言われたようだった。






前置きが長くなったが、
こんなことがこの会場であったのだ。


動悸が激しい。

息が詰まってきた。

中継場所に近寄りたくない。

当時の耳から入ってきた
上司の呆れた声やため息が聞こえてくる気がする。


私は美しい紅葉には目もくれず、
楽しみにしていたお団子も忘れて
下を向いて歩き続けた。


涙がこぼれた。


それまでいつも以上にベラベラ話していた私が
急に静かになり

夫も最初は『どうした!?おいおい!』と
冗談っぽく私の背中を強くたたいたりしていたが

察したのか私の手を引いて
最短ルートでその場所を後にした。


次第に落ち着き、
おいしいご飯でも食べて忘れようと
お寿司を食べに行った。




忘れていたのに、忘れていなかった。


まだ、あの時をことを

「そんなこともあったな」

と、とらえるにはもう少し時間が必要らしい。



ちなみに、上司2人はいい人なので
フォローのために後日談を言うと
『いろんな気持ちがあるのは分かるけど、
 一回全部自分の責任だと思って
 何が悪かったか考えてみろ』と言われた

そうすることで次に活かせる、と。



現在、2022年11月21日(月)の朝。

気持ちは落ち着いている。

きょうは会社で産業医面談があり
その後リハビリ勤務でお世話になる部署の上司と
面談がある。

いつから働きだすのかが決定すると思われる。


その部署は報道部ではない。

報道に未練がないとは言えないが、
今の私にあの仕事と向き合う余裕がない。



長い人生、たくさん寄り道しよう。

本当の道だと思っている道も
実は寄り道かもしれない。

寄り道だと思っていた道が
大きな道とつながっているかもしれない。


どちらにせよその時の私、
今の私が歩いてきた(いる)道。

ぼちぼち歩こう。




※みんなのギャラリーから写真を拝借。素敵な写真ありがとうございます!

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