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答えを教えるだけの行為を僕は教育と呼びたくない
受験生の頃、僕はさまざまな参考書や問題集を活用して勉強に臨んでいた。
その中には、志望校合格に大きく貢献してくれた恩師のようなものがたくさんあった。
しかし一方で、使いづらくて途中で使うのをやめてしまったものもあった。
今振り返ってみると、この後者にはある一つの共通する特徴があったなと思う。
それは、解答だけが掲載されていて、解法が記されていないということ。
これによって、数学の問題で、正解の導出過程がわからなかったり、社会の問題で、誤った選択肢がどうして誤っているのかわからなかったりした。
これでは、学生は答えを丸暗記することしかできず、全く勉強の役に立たない。
というわけで僕は、こういった問題集の制作者は、教育者として望ましくないと思っている。
しかし残念ながら、こういった教育者は世に溢れているように思う。
具体的に言うと、子どもがすべき過程を疎かにして、結果だけを伝授してしまっている大人が多いように感じる。
子どもが学校の宿題を見せて「わからないから教えて」と言ってきた時に、答えだけを教えて満足していないだろうか。
子どもが何かに失敗した時、どうすればよかったか考えさせることをせず、一時的な解決策を提示していないだろうか。
老子の格言に『授人以魚 不如授人以漁』というものがある。
「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を伝授せよ」という意味だ。
魚を与えるだけでは、子どもには短期的な利益しか生じない。
長期的に利益を得るためには、魚の釣り方を習得する必要があるのだ。
結果だけを与えるのは、与える側にとっては効率的だ。
しかし、それによって受け取る側が長期的な利益を得ることは決してない。
答えを伝えて満足するのではなく、たとえ面倒でも過程に重きを置く
教育者、そして保護者には、この姿勢が不可欠だと僕は思うんだ。
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