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続・娘の結婚で気が付いた「あれ、わたしだけ 幸せじゃなくね???」最初の声に従う人、編

このマガジン 〚 RELAX OPEN ENJOY 〛 は
人の感情に敏感だった初老女が おはようからおやすみまで己を見つめることで
自分に対する愛と信頼を取り戻していく過程を、余すことなくnote化したものである。

この note は

から始まる
娘の結婚で気が付いた「あれ、わたしだけ 幸せじゃなくね???」
シリーズの続きです。


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さて

【長所】
空気が読める(と思っている)ところ
【短所】
空気を読みすぎる(と思っている)ところ

という わたしが子供を育てると、一体どうなるでしょうか。

わたしが母親だなんて。
という思いから、長らく自分のことを「ママ」「お母さん」と言えませんでした。

だから一人っ子の娘は幼稚園に入るまで、わたしのことを夫や近所に住んでいた姉と同じように「ibitsu」と呼び捨てで呼んでいました。

幼稚園に入り周りの友達が ” 母 ” という立場の人を「どうやら名前で呼んでいない」と気がついた娘は、自から「おかあ」と呼ぶようになり、今もそう呼ばれています。


そんな平成生まれの娘は

【長所】
空気を読まないところ
【短所】
空気が読めないところ

そんな風に育ちました。


YES!!想定外!!

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ある仕事帰り、電車に乗ったわたしが目の前の席に座ろうと体制を変えるか否か・・というとき
どこからともなく現れた男性がその席に、ササッと収まってしまったのです。

当時10代後半だった娘とLINE中だったわたしは
「今座ろうとした席に横入りされたー」と送った返事がこちら。



「睨めば?」



「え・・・



睨んでどうすんの?」



「なにが?」



はぁぁぁぁいぃぃぃぃぃぃぃぃ????


エリカ サワジリ  なの!?
いやあれは「別に」だ。


3秒前に自分が書いた言葉を、まさかのもう忘れている。
く ら い の テンションで

りぴーとあふたーみー?

「NA  NI  nnGA?」 もうね、鼻濁音入れちゃう。

はい、お分かりですね。



わたしは「そのあと」を予想して行動します。いや、結局行動できません。

睨むでしょー
睨み返されるでしょー
目をそらす・・いや、睨み続ける?
「何?」って言われたらどうする?
座りたかったけど、わたしの名前書いてあるわけじゃないし・・
「じゃぁどうぞ」なんて譲られたところで座れるか!?
うん、睨まんとこか。。
あーでも嫌なヤツ!
いやでも、もしかして具合悪いのかな・・?

毎度お馴染み、思考で自分の最初の声を隠し(たかのように見せ)、不快の出口を塞いでしまいます。これが「我慢」です。
(そうなるとどうなるか。が、次回のテーマになる予定。構成を考えて書いているわけではなく、行き当たりばったりなので・・あくまでも予定です。)

でも本人は我慢だとは気がついていません。
怒りを逃した。誰も不快にしなかった。
体の働きで言うところの、うまいこと「すかしっぺ」をした。状態だと思い込んでいます。


に対して即! 最初の声をとらえて、不快を排出する娘。
体の働きで言うところの「快便」


睨む。以上。

この後って?
あ、お茶でも行っちゃう??
くらいな感じです。


わたしのようになって欲しくない。
だからこのように育てました。



んーーーーーーーなわきゃぁぁあない!


そんな娘は学校でのコミュニケーションがスムーズにいかない、ということが多々ありました。
そりゃそうだよね。
快便した本人はスッキリですけど、まわりにいる人は
一方的に嫌な臭いを押し付けられるわけですから。

特に暗黙の了解「みんな一緒に仲良くトイレ♩」ができない娘は、学校というコミュニティーでは浮いてしまうのです。(アルバイトでは全くそのようなことがありませんでした。)

この親にしてこの娘って…どない。と、何度思ったことか。

折れる曲げる、空気を読む
がまるでできない。


高校時代には一時不登校にもなりました。
そんなことがあるたびわたしはやきもきしました。

気が付いた編にも書きましたが
「間違えている」「もっとひどい目に遭ってしまう」だから「わたしがなんとかしなくちゃ」と思っていたんです。

何度も学校へ行きました。
助けてもらえなかったわたしは「助ける親」になる、と決めていたのです。

そして
折れてみたら? 曲げてみたら? 要領良くしてみたら?
とアドバイスしていました。要するに

「わたしのように我慢しなさいよ」
人という字の一方的に乗っかる人に言いたかったことを、我が子に言っていたのです。
自分のことが嫌いでわたしのようになって欲しくない。幸せになって欲しい、と思いながらも

でもわたしは、間違えたことはしていない。

だから不登校にまでなった娘を見て、やっぱり臭いを振り撒くことは、間違えているんだ。と、改めて思っちゃうわけです。
それが不登校の本当の理由かもわからずに。

そして、臭いを漏らさず清く正しく「みんな一緒に仲良くトイレ♩」を改めて強化してしまう。
もっとちゃんと、もっときちんと。


さて

自分の気持ちを思考で隠し、外側の誰かに迎合するわたし。
自分の気持ちが分かって、誰かに合わせることに強い不快がある娘。

どちらが幸せなのでしょうか。


幼い娘の子育てに悩み「愛情が足りないんだろうか」と考えてしまったとき、保健所に相談して言われたのは

「1あげて100受け取ってくれる子もいる
 100あげても1しか受け取らない子もいる
 お母さんも子供も悪くないよ」

当時は渡しても渡してもこぼしてしまう娘にため息をついていました。でも


わたしにようにならなかった娘、あんた

ナイスです!!

と言いたい。

そしてきっとわたしは
1のものを100受け取っちゃうタイプ、だったんだろうね。

てかさー。
見て見ぬフリしてましたけど。


そもそもお母さんが

わたしの立場に立って物 考えてなくね!?

って話し、なんっすよね。


睨んじゃっていいっすか??


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