よそじの台所から【7月12日の夕食 と 絵を描く】
残りの
・キムチ(市販品)
and
・お土産の干物
・小松菜 と わかめ の胡麻和(味付:砂糖 醤油 すり胡麻)
・しめじ 舞茸 えのきだけ のソテー(味付:バター レモンソルト)
・卵豆腐
・白米
・水
先日数年ぶりに会った先輩に「絵を描いたらどうか」と言われた。
新卒で入社した会社で知り合った先輩とわたし。
先輩が帰郷により退職後、数年間文通していた。
当時ケータイは既に存在していたものの
「今まで持たずに暮らせたのに、なぜ持つか!喝!!」
ってな感じのふたりだったので、連絡手段は「それしかない」という理由で手紙ということになった。
(先日会った先輩は「SNOW」(画像加工アプリ)楽しいよね」と言って、すっかりスマホを楽しんでいたし、わたしもスマホなしの生活は今や考えられない・・)
手紙には文字だけでなく絵をかいたり何か面白いものを貼ったりして、送る枚数は常に10枚以上。
封筒はパンパン。
切手代はいつもプラスになった。
先輩は夫婦で自分の親の家業を継いだので、その愚痴を。
わたしは主に隣に住んでいた(元)夫の家族の愚痴を、ところどころイラストを混ぜながら書いていた。
先輩にとってはそれがとても面白いものだったようで、ことあるごとに「また描きなさい。」と言ってくれる。
「今Instagramでエッセイ漫画が流行っているけど、ibitsuのあれも当時Instagramがあったら絶対面白かったよ!」と。
都内のアパレルメーカーから、地方へ転居し家業の食品製造業へ。
親のために仕方なくUターンした先輩が、わたしの手紙を楽しみにしてくれていたんだな、とそう言われるたびに嬉しく思う。
当時インターネットは普及していたけれど、SNSなんていうものが存在していたのかも知らず、友達の少ないわたしには嫌なことを吐き出す場所は多くはなかった。
だからこそ辛いことを面白おかしく書く時間が癒しで、楽しくて・・枚数がどんどん増えていた。
言い返せるわけもない義母からの嫌味に悲しみながらも「これは手紙のネタになるぞ」と喜んで、手紙の中でボッコボコにした(笑)
お互い窮屈な世界にいたからこそ、時々やってくる膨らんだ封筒がキラキラと輝いて見えたし、味方がいることが嬉しかったし、返事を書く時間が愛おしかったのだと思う。
当時を思い出して、描いてみたわたし。
決してうまくはないけど。。(笑)
今描きたいことって何かあるだろうか。
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