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よそじの台所から【9月15日の夕食 と 弱者の・・・】

夫なし。子は独立。
アレルギー対策に 油をやめ、お肉、乳製品、卵、小麦粉、お米や砂糖を減らした食生活。
「家族のためのご飯」を卒業した40代。主に自炊の記録 と 自分を観察する日記。

・鮭 しそ 胡麻 海苔 の混ぜご飯(味付:酢飯)
・さつま芋の甘煮(味付:塩 砂糖 酒 みりん)
・ミニトマト(味付:塩)
・あさり 長葱 の味噌汁

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今思っていること。
弱者・・と呼ばれる人たち。

この呼び方が、今わたしが書きたい事にふさわしいのか分からないのだけど。
一般的に社会的弱者、と呼ばれる人
の近くには、その人を支える
その人の代わりになる
その人を助ける
そんな人がいて・・それはきっと、見過ごされがちな弱者となっている。

例えば精神疾患を持つ親をサポートする子供(ヤングケアラー)。
例えば介護が必要な家族がいる家庭。
(わたしがそう・・ということではないです。)

わたしだっていつ弱者になるかわからないんだから。
助けが必要な相手だからこそ、責めるなんて。
弱者のまわりにいる人はそうやって「思ってしまうこと」すらなかったことにしようと、自分を責めてしまうことがあるかもしれない。
「大変だね」「偉いね」と言われることで、そうでいなければならない、と思ってしまう人がいるかもしれない。

でも、いいんだよ。
どんなに小さなことでも「こんなことで」なんて思わなくても。


シナリオ通りの「プロレス」(世の中が求めること)をして・・
(そう思うことで楽になることもある。)
でも


正しいとか正しくないとか、正義とか反則とか。
そんなレフェリーからは逃げていい。
心にレフェリーを置かないでいい。
思うことは自由でいい。心は常に変わってる。
ずっと憎む
ずっと恨む
ずっと感謝する
ずっと楽しい
ずっと悲しい
ずっと優しい
ずっと辛い
全て永遠じゃない。
だから、何をどんな風に思っても大丈夫。

と、今朝通勤時、自分に思ったのでした。

なんのこっちゃ。だよね。





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