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続・娘の結婚で気が付いた「あれ、わたしだけ 幸せじゃなくね???」自分を「気持ち悪い」と思った日のこと、編

このマガジン 〚 RELAX OPEN ENJOY 〛 は
人の感情に敏感だった初老女が おはようからおやすみまで己を見つめることで
自分に対する愛と信頼を取り戻していく過程を、余すことなくnote化したものである。

この note は

始まりは、編

気が付いた、編

モラハラ彼氏、編

いつも怒っていたお母さん、編

の続きです。

暗い!そしてシリーズ長い!
ですが、まだまだ続きます。(自分のためにも書いてます。)


よく怒っている身近な人、は もう一人いた。
母方の祖母である。
わたしたち三姉妹は幼い頃、他県にある母方の実家によく預けられた。

頼りない祖父にしっかり者の祖母、という組み合わせの夫婦。
その性格に合わせたように、身長も声も祖母の方が大きかった。

わたしはこの祖母のことが大嫌いだった。
なぜか、わたしだけがよく怒られたからだ。
姉と同じことをしても、わたしだけが怒られる。
泣き虫だったわたしはよく「泣きなさんな!」と怒られた。

「いやらしい子だね」
意味は分からないけれど、良い言葉ではないということは、その表情や声色で判断が付いた。
姿勢悪く食事をすれば「肘!!」と言ってはたかれて、持っていたパンが飛ぶ。わたしだけ。

電車とバスを乗り継いで向かう祖母宅。
いつまでたっても、わたしだけはその道のりを覚えることができなかった。

幼いわたしにとって「祖母に嫌われることは死」と直結していた。
大げさに思うかもしれないけれど、出て行けなんて言われたら、ひとりで家に帰ることができない。どうしよう。
なんとか嫌われないように、今日は怒られないように・・。

だから幼いながら絞った知恵は
「おばあちゃん、会いたかったー」
と笑顔を作り、抱きつくことだった。

自分をはじめて「気持ち悪い」と思った。


優しくされる姉と、厳しくされるわたし。
その対比が自分を責める材料にもなった。

当時「祖母が母の親である」ということを明確に知っていたのか記憶にないのだけど、自分の思いを長らく母親にも言えなかった。
そうして

助けてもらえないわたし が出来上がった。


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