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日日自炊自足【1月18日の夕食 と 自立について】

夫なし。子は独立。
自炊の習慣で自分の必要をみたす、50代ひとり暮らし。
アレルギー対策に 油をやめ(家にある油はラー油のみ)、お肉、乳製品、卵、小麦粉、お米や砂糖をなるべく減らした(い)食生活。

「家族のためのご飯」を卒業した献立の記録 と 自分を観察する日記。

残りの
・結びこんにゃく の煮物(味付:醤油 みりん)
・かぼちゃ の塩煮(味付:塩 みりん)
・牛肉 と 蓮根 の煮物(味付:醤油 みりん 薄切り生姜)
・お弁当の残りのスープ に 卵 と コチュジャンを足したもの
and
・焼き鳥(テイクアウト)

自立ってなんだ?
ということを考えていた。

自立とは、と調べてみると
自分以外のものの助けなしで、または支配を受けずに、自分の力で物事をやって行くこと。
と書かれていた。

「子供が自立した」なんていうと、一般的には
就職して経済的な手助けを必要としなくなった状態。
一人暮らしや結婚などを機に、親元から離れた状態、をさすように思う。

それらも確かに自立であると思う。

がわたしは、20歳で就職した時も、親元から結婚を機に「一般的な自立」という状態になった時も「自立ができた」とは思えていなかった。
わたしはずっと自分で自分を生かすことができない(だろうと思い込む)ということに不安が大きかった。

それは夫の経済力に頼らず生きて行くことは難しかった、ということもあるのだけど、それだけはなくあの状態が「自立していた」とは到底思えない。


けれども今は「自立」できているな。と思う。
どの時点からそう思えるようになったか、と言えばそれはごく最近のこと。

離婚して娘を私立高校、専門学校へと進学させていたとき
外側から見ればわたしは自立していたように見えたかもしれないけれど、当時はそれでも「自立」の実感は少なかった。けれども今、

そういえばわたし「自立」しているな。と確かに思う。
ではわたしにとって「自立とは何か」と、あの頃と今を比較することで考えてみると

自分で自分のことを決める(判断決断する)ことができる状態

その習慣

わたしが「自立ができていない」「できない」と思っていた頃、何事も常に人任せだったように思う。
不安の解消さえも。
自分でなんとかするなんて発想はなくて(自分にその力はないという思い込みゆえ)、さみしいなんて理由をつけてあてにできそうな「誰か」を常に探していた。

今はどれもこれも自給自足。
もちろん悩みを相談したり、不安に共感してもらうことはある。
自立とは、誰にも頼らないということではない。

過去と今でわたしが違うのは「自分で自分を助ける」覚悟を持ったということ。

助けを求めることも自分を助ける、のひとつ。
今までみたいに何も言わず「誰も助けてくれない」と嘆き、この気持ちに気付いてくれる人がいないかと待つわけではなく、自ら進んで適切な場所や人にはっきりと助けを求められるようなった。


なぜ「自立」について考えていたかというと、ようやく本題なのですが

近頃書いている旅の計画を立てながら思ったのは
これはわたしにとってたくさんの「決める」の練習になっているな、ということ。
旅に苦手意識が強いのは「決める」が多かったからなのかもしれない。
決めるってその後の全て、失敗も恥もその逆も全部引き受けるってこと。
そして出掛けてみれば「決める」の判断だけでなく、常に行動がセットになる。
決めたことへの答えがすぐに出る。
どうせ失敗するという思い込みから、すぐに評価が出るものは怖い怖い・・・。



旅をすることで、決めて行動するという答え合わせの連続を「完璧」や「損したくない」という方向にではなく「気楽に」や「面白おかしい」で選べるよう、自分の癖を変えられたらいいなと思う。
そうなれたら遡って「決めた」ことも肯定できる癖がつく んじゃないか、という仮説。からの実験。

なんでも「実験」という名前にするとね、失敗は深刻なものではなく、単なるデータ集めになるのです。


あ、ちなみに離婚後すぐ練習したのは
金額、過去や未来、損得、家族の意思やバランスなどを考えず、パン屋さんで今自分が食べたいパンを自由に選ぶこと、でした。
そして当時のわたしにとってそれは、難しいことだった。

重症ですね。
でも、その状態に気が付いていなかった。
その「気が付いていない状態」こそが最も重症だったのだと思う。



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