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大学3年秋にして勉強する意味を改めて考える

1週間前に大学が始まりました。

大学3年の秋。気づいたら大学生活の折り返しなんてとうに過ぎ去っていたな。

そこでまた改めて考えることは大学で勉強する意義、ですね。

大学で何を勉強していますか?


みなさんは大学に入るとき、これが勉強したい!だから義務教育よりももっともっと学ぶために大学に行くんだ!って考えて大学を選びましたか?

もし、そういう人がいたら本当に立派だなぁと思います。


4年前の私はそんなこと微塵も考えていませんでした。

自分のやりたい学問なんてわからないし、ていうかどんな学問があるのかも分からないし。そんなんで学部とか選べなくない??と思って、バンカラな校風だけで早稲田を第一志望にして、本当に憧れていたので6学部受けましたがかすりもせず全落ち。

校風が似てる明治が第二志望だったんですけど、早稲田に行く気しかなくて一学部しか受けなかったらそこも落ちて、MARCHの中で一番自分と校風が合わない立教に入ることになりました。(笑)

大学受験って一学部¥35,000で本当にお金がかかるんですよ。

今思うと、家庭的に現役で受からなかったら働くしかない家庭もある中で、何不自由なく浪人させてもらい、見込みのない大学に¥210,000(現役、他大学の受験料、塾費も含めたらとんでもない額)親に払わさせた自分は、自分でも怖いくらいにゆとってるな、と思います。

だけど、その時は当たり前のように「高校を卒業したら大学。だから申し訳ないけど払ってもらうしかない」という感覚でいました。

怖いですね。


大学4年間の使い方

大学に入ってから今まで、大学での4年間の使い方を考えながら生活していたつもりでした。

「勉強だけが学びではない」

よく言われることですが、私は高校性の時、勉強よりも部活に打ち込んでいたのでこの言葉はよく理解できました。

「人生最後の夏休み」

よく人は、大学のことをこのように表現します。その言葉をどう受け取るかは人それぞれですが、私は、なにも考えずに遊ぶだけでは自分が何も得られない4年間になってしまうという得体の知れない焦りをこの言葉とともに受け取りました。


その結果私は「興味のある授業はまじめに受けてそれ以外の授業は自分がその授業よりも大切だと思うことに時間を使おう」と決めました。


私が自分の学部で興味を引き付けられ、もっと学びたいと思った学問は、

・生態心理学

・現象学

・哲学

 です。

これらの学問すべてに共通するのは、いま当たり前のように見えている世界を別の方面からみて、自分の中の知らずに出来上がっていった固定観念をばんばん壊して、物事の真理を追究しようとする学問です。

そもそも「勉強」というものが嫌いだった自分が好きな学問を見つけられたことはかなり幸運なことでした。

留学に行って

留学でさらに大学に行って勉強することの価値観を考えさせられたエピソードが2つあります。


一つ目、自己紹介で自分の専攻を説明するとき。


学生です、と自己紹介するとほぼほぼ100%の確率で


what's your major? -あなたの専攻はなに?


と聞かれました。

私の学部学科の名前は現代心理学部映像身体学科です。

この学部には心理学科もいるので、自分が心理学を専攻しているかと言われるとそうとは言えない。

ただ映像身体学科をそのまま英語にしても、日本語で説明することも難しいものを英語で説明するなんて不可能。

上にあげた3つの学問の中でどれをちゃんと学んだかと言われれば、生態心理学ですが、それを日本語で説明することも難しい。


この本に書いてある通り、

「言葉にできない」ということは「考えていない」ことと一緒になってしまうんですね。

そんな時に私はいままで何を勉強していたんだろう?と虚無感でいっぱいになりました。

私は留学に行った時、自分は学生で学ぶことが仕事なのに、自分が何をやっているかも説明できなかったんです。



二つ目、イタリアの高校生に中南米の歴史と言語について教えられたとき。


留学してブラジル、コロンビア、メキシコ、などラテン系の友達ができました。

母国語はなに?と聞くと、それぞれポルトガル語とスペイン語と答えるんですね。私のイメージではみんなまとめて中南米の地域の人たちなので、困惑していたら、イタリア人のJKに「いい?ブラジルはポルトガルの植民地だったの。他の国はスペインの植民地。」ということを教えられました。

この歴史は世界史として高校の頃におそらくやったんでしょうけど、知識が元からなかったのか、すっぽり忘れたのかどちらにしても、大学生で3年前に義務教育を終わらせているにもかかわらず、高校生に歴史を教えられる恥ずかしさを覚えました。


学問とは

浪人するまで私にとって学ぶということは手段でしかありませんでした。いい成績をとったら褒められるからがんばっていい成績をとる。死ぬほど行きたい高校ができたから誰よりも勉強する。自分の高校よりも自分にぴったりの大学が見つからないからやる気が起きずに勉強しなくなって浪人。

浪人してからは勉強本来の楽しさに気づくことができました。やらされるものではなく、自分の知識が増えていく楽しさ、自分が生きているけど知らなかった世界を知る喜び。

そしてその楽しさが留学で、「知る義務」に変わりました。

歴史を知らなければ、同じ過ちを繰り返す。だから戦争のことも学ばなければいけない。もし、黒人差別のことを誰も全く知らなかったら、肌の色が違うと誰かが言いだして、また全く同じ歴史を繰り返してしまうかもしれない。

小学生のときから勉強をする意義に気づけていれば。

いやでも、これは自分で気づくべきなのでしょうか。

むずかしい。

私個人の意見としては、勉強の導入を「義務教育だからやるもの」で終わらせるよりも、まずは「勉強をする意義」について、話していたほうが、大学生になって自分が学ぶ意義がもっとクリアに見えてくるのではないかなあと思います。


最後に、最近私が偶然本屋で出会ったとてもいい本を紹介したいと思います。

この本の腰巻に書いてある「ジョブズのスピーチを凌いで全米第一位に選ばれた卒業式スピーチ」という売り文句にひっかかり手に取ったこの本ですが、内容は大学で何を学ぶかについて書いてあります。

このスピーチをしたデヴィット・フォスター・ウォレスはスピーチをした三年後に自殺をしてしまいます。大学を二つ出た後にハーバードの院で哲学を専攻した作家の人です。

卒業式のスピーチですが、書かれている内容を見ると、「卒業式というよりも入学式で聞いた方が自分のためになりそう(笑)」と思ったので、個人的に大学1年生に特におすすめします。

とはいえ、卒業式のスピーチで話されたものなので、一応ウォレスさんも卒業生向けに作ってあります。なので、社会に出るまでもう少しの大学4年生の方やすでに社会人の方々にもおすすめです。

誰が読んでも物事の考え方として役立つと思うのでぜひ読んでみてください!


「ものの考え方を学ぶ」とは ほんとうは ’なに’を’どう’考えるか コントロールするすべを学ぶ ということなのです。 それは意識して こころを研ぎすまし 何に目を向けるかを’選び’ 経験からどう意味を汲みとるかを’選ぶ’ という意味なのです。

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