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あなたの知恵を書き換える10分間#vol.1

知的耐用度の高い言葉に書籍名、ブログ記事を添えて

我々は「欧米」という言葉を使うことをとりあえずやめたほうがいい。

そもそも「欧米」というものは存在しない。欧州と米国は全くの別物。欧州と米国が一緒だと思っている西洋人は誰もいない。「欧米」とはユートピアであり、日本人の心の中にしかない。まずはこの日本人の頭の中にあるバイアスを確認しないと。
我々は「欧米」という言葉を使うことをとりあえずやめたほうがいい。「欧米」ではなく、米国、英国、ドイツ、フランスというふうに国の単位で語るべき。
また、いつの時代の、どの国か、ということも重要。 そうするだけで議論がとてもしやすくなる。 
具体例がなく、普段、何気なく使っているくせに意味を言えない単語が我々の言葉には多すぎる。それは、近代日本語もまた、即席作りの言語だからだ。
出典:『日本再興戦略』落合陽一 幻冬舎2018年

日本と欧米とを二極化して考えるのは正直言って楽だ。「欧米は進んでいる」、「欧米は凄い」なんていう表現を使うのは、なにも評論家だけではない。私たちもごくごく日常の場面で使いがちだ。ただ昨今その二極化は日本を貶める向きに語られることがあまりにも多いのではないか。欧米、というのは本来アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスと顔を持った国のことを指すのであり、日本より何もかも優れているユートピアではない。という言葉にはステレオタイプを打ち砕く強い力がある。落合陽一さんの本は、定義に気を付ける、ということの決定的な効果を感じさせてくれる。

悩んでいると気付いたら、すぐに休め。悩んでいる自分を察知できるようになろう

「悩む」=「答えが出ない」という前提のもとに、「考えるフリ」をすること
「考える」=「答えが出る」という前提のもとに、建設的に考えを組み立てること
「悩む」というのは「答えが出ない」という前提に立っており、いくらやっても徒労感しか残らない行為だ。僕はパーソナルな問題、つまり恋人や家族や友人といった「もはや答えが出る・出ないというよりも、向かい合い続けること自体に価値がある」という類の問題を別にすれば、悩むことには一切意味がないと思っている。
僕は若手に「悩んでいると気付いたら、すぐに休め。悩んでいる自分を察知できるようになろう」と言うようにしている。
出典:『イシューから始めよ-知的生産のシンプルな本質』安宅和人 英治出版2010年

(「考える」の定義に"考え"という表現が入っており、若干入れ子な点は気になるが)
悩む行為は考えるフリであって、真剣に答えを出すことから目を背けているも同然だ。この話には自覚があるだけにハッとさせられる。安宅和人さんはPh.D×マッキンゼー×データサイエンティストの強烈な掛け算に見るように、とても理系的で、かつ生粋の問題解決者だ。その方が言うこの言葉には、答えを出すことに対する熱烈なまでのこだわりが滲み出ている。

稼ぐべきときに払うな、払うべきときに稼ぐな

"稼ぐ"のは"払う"とは比べられない位に人を育てる。
学びたければ金を稼げ。金を払っている場合じゃない。反対に、好きなことは金を払ってやれ。もらってやるな。
お金を稼ぐべき時にお金を払っていては、いくら払ってもモノにならない。
お金を払ってでもやるべきことでお金を稼いだら、つまらないことになる。
出典:『払うべきか、稼ぐべきか』ちきりん はてなブログ 2010年4月13日エントリより

記事を見ていただければ分かるが、「学びたければ金を稼げ」との言葉は、若い学生が就職活動の予備校に通っていることに疑問を呈したものだ。
"実現したい目標と、取る手段の不一致"という誰しも陥りがちなテーマの好例として、ひとつコンパクトな形にまとまった絶妙な話になっている。
ちきりんさんの存在に初めて触れたのは、何年も前にそれがちきりんさんだとも知らずに購入した本だったが、最近になってようやくその洞察の凄さを感じて暇さえあれば過去エントリを読んでいる。

後天的な努力の絶対量。

モチベーションは、ビジネスの専門知識、会計処理能力、語学力、その他全てを超越し得る。超高速で力強く走り、目的を達成する燃料になる。
頑張るという言葉を因数分解すると、見極めて、やり切る、だ。モチベーションが高まらないのは、見極めが甘い。仮説を立てることにエネルギーを注いで、自分の羅針盤を定めて、定めてから掘れ。
何も強みを持たない段階においては、どぶ板営業が最も積める。絆やコミュニティ作りの成功に影響を与える最大変数は、後天的な努力の絶対量。しかしどこかで労働集約性の壁を越えなくてはならない。
出典:『人生の勝算』前田裕二 幻冬舎2017年

幼少期のマイナスを絶対値でプラスに振り切ろうとする前田裕二という人間の生き方には胸を打つものがある。膨大な自分と世界に関するメモによって考え尽くされた人生観は、とても年齢とイコールだと信じられないほどに分厚い。船の航海を因数分解していく人生の航路の例えは、その生き方のエキスが感じられる。

選択肢が増えれば、人々はもっと自分らしい人生の道筋を描くようになる。

時間を逆さにしよう。いまあなたが下そうとしている決断は未来の自分の厳しい評価に耐えられるだろうか。
変化と選択の機会を増やせば人生の出発点はそれほど重要ではない。
選択肢が増えれば、人々はもっと自分らしい人生の道筋を描くようになる。いずれ同世代が同時に同じキャリアの選択を行うという常識は過去のものになっていく。隊列を乱さずに一斉行進する集団さながらの画一的な生き方は時代遅れになる。古い働き方や生き方に疑問を投げ掛け、実験することを厭わず、生涯を通じて変身を続ける覚悟を持たなくてはならない。
30歳未満の人は、すぐに給料のいい職に就こうとばかり考えないように。じっくり時間をとって様々なキャリアの選択肢を検討し、世界について学び、労働市場の未来をよく理解した方がいい。自分のビジネスを立ち上げようとしている人と知り合えば、キャリアの選択肢が広がる。若いうちは人的ネットワークを広げたい。若者達が多様な経験をする足枷となっているのは、自分と似たような人としか付き合いがないことだ。人生の途中で変身を遂げるには、自分について知ることと、自分とは大きく異なるロールモデルと接することが重要だ。自分とまるで違う人たちと付き合おう。
出典:『LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略』リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット 東洋経済新報社2016年

いま一度ライフステージの価値観を更新する必要がある。研究と計算に基づいた事実に即して、ライフスタイルのイメージを頭に浮かべること、本書を手に取ることはその点に多大な価値がある。ageとstageの不一致がやってくるのは人間の長寿化というテーマと密接な関係がある。
そうでなくても、付き合いが自分と似たような人に閉じられているという人的ネットワークの話は非常に示唆的だ。

時間やお金が掛かることではないので、せめて選挙権は行使してほしい。

財政や社会保障といった数十年先の未来の問題を真剣に考える動機付けは高齢シルバーにも政治家にもない。
今の若年世代は可処分時間と可処分所得の少なさが視野を狭めている部分があって、要するに目の前の生活に精一杯で、先のことを考える余裕がないために、政治参加へのモチベーションが失われているという面もあると考えられる。とはいえ、その構造に陥った時点ですでに敗北したも同然。時間やお金が掛かることではないので、せめて選挙権は行使してほしい。
出典:『日本再興戦略』落合陽一 幻冬舎2018年

シルバー民主政治のことを、全国民がもっと考えなくてはならない。これは単に政治モラルの話ではなくて、構造的な問題である。若者が視野狭窄になるのは敗北も同然、との話は耳が痛いが自分事として受け入れなくてはならない。

効率の悪い「アホ」が人類を救うかもしれない

私たちが生きている自然界は、先のことが予測できない不確実な世界だ。どんなにコンピューターが発達しても、人間の計算どおりにはならない。
それを明らかにしたのは、のちに「複雑系」と呼ばれる学術分野が構築されるきっかけとなる「カオス」の概念だった。その理論によれば、いくら精密な計算をしても、遠い将来のことを正確に予測することはできない。
「バタフライ効果」という言葉を見聞きしたことのある人は多いだろう。「ブラジルで一匹の蝶が羽ばたくと、テキサスで竜巻が起こる」という話だ。それぐらい小さな要素が気象に影響を与えるとしたら、正確な天気予報は不可能。一年後の正確な気象を予測しようと思ったら、地球上で暮らす人類全員、いや、すべての生物が、予測の前提となった「予定どおりの呼吸」をしなければいけない。少しでもそれが乱れれば、計算上のノイズとなって、別の答えが出てしまう。したがって、現実的には計算など不可能なのだ。
気象に限らず、人類を含む自然界はすべてそのような「カオス」のなかで動いている。そこでこれから何が起こるかを完全に予測することは、絶対にできない。
未来のことが計算によってわかるなら、それに向けて効率よく物事を進めていけばよいだろう。目的地がはっきりしているなら、一般道より、高速道路を走ったほうが速いに決まっている。
しかし世界は不確実なカオスなので、その高速道路が最終的にどこに向かっているかはわからない。もしかしたら、途中で急に「工事中」の看板が出て先に進めなくなるかもしれない。あるいは、ひどい渋滞が発生してにっちもさっちもいかなくなることもある。大地震に見舞われて、高速道路そのものが崩壊する可能性だってあるだろう。みんなが効率を優先してそこを走っていたら、人類はそこで一巻の終わりだ。「想定外だった」と呻いても、あとの祭り。すべて想定できると考えていたのが、間違いなのだ。
でもそのとき、効率が悪いとわかっていながらも高速道路に乗らず、いや、下の一般道からも外れて、広大な原っぱをあちこち駆け回っている「アホ」がいたらどうだろう。その「アホ」はさんざん無駄に走り回った挙げ句、誰も知らなかった道を見つけ出すかもしれない。そうなったら、「あんな効率の悪いことをしやがって」と笑っていた人たちも、その「アホ」に救われるわけだ。
それが、不確実な世界で人類が生き延びるために必要な学術の役割にほかならない。すべての学術がそうであるべきだというわけではないが、そういう「アホ」な学術もなければならない。
いまの日本には、「選択と集中」というキーワードを掲げて無駄な研究を排除し、「役に立つ」とわかっている高速道路だけを走らせようとする傾向がある。しかしその発想では、人間にはコントロールしきれないカオスを生き延びることはできない。
出典:『京大的アホがなぜ必要か-カオスな世界の生存戦略-』酒井敏 集英社2019年

AIか人間かという二極化した話が強く頒布されてしまったために、こういうことを考えるのは、ともすれば議論を後退させているような指摘を受けかねない。しかし、アカデミズムの本質をずばり突く言葉尻の鋭さに、拡大する生産性のプロパガンダに対する、著者の滲み出る危機感と、愛にも似た社会への深い洞察とを感じる。

自分のがんばりをタイムや数字に管理させていると…

 人生を、達成すべき小さなマイルストーンの連続と考えるならば、あなたは「慢性的な敗北状態」でこの世に存在していることになる。ほぼつねに、目指す偉業や成功にまだ達していない自分として生きていることになるからだ。そして目標にたどりついてしまえば、生きる意味をくれるものを失った自分になるだけ。だから新しい目標を作って、また1からそれを追いかけていく。
(オリヴァー・バークマン@ガーディアン紙記事)
 自分のがんばりをタイムや数字に管理させていると、キリのいい数字に達すること、社会的比較で納得のいく数字を出すことが自己目的化してしまう。
目標は日を追うごとに高くなる。そしてまたその更新された目標が、依存的なまでの目標追求に油を注ぐ。つねに何かの目標に失敗している自分として生きながら、何かに成功するたび、また新しく野心的な目標を掲げずにいられなくなるのである。
出典:『僕らはそれに抵抗できない--依存性ビジネスのつくられかた--』アダム・オルター ダイヤモンド社2019年

数字の存在は、私たちにとって日に日に強くなっている。数字が絡むと、私たちは解けない魔法にかかったように休みなく目標を追いかけてしまう。示唆的な言葉に思案を巡らせ、数字を追うことで失ったものたち、目に入ってこなかったものたち、それらのことを思い浮かべていると、なぜか涙を禁じ得ない。


ふとした本の一節に、なにげないコラムの小話に、著者の人生のコンテクストが現れる、読者の心が書き換えられる、そんな瞬間。好きでいます。

読み通した人間にだけ、コンテクストの全体像を目で追った経験にだけ、批評をする権限が付与される。

だから、コンテクストから切り取ったつまみ食い、ちょっぴりごめんなさい。

引用の諸法度

引用は知の系譜を繋ぐためにあります。自分の知が体系のどこに位置するのか。それを明らかにするのが引用です。
引用枠外は私的な見解あるいは感想です。あらすじではありません。
今回引用したのは、全て部分であり、全体像にならないよう配慮しました。
引用条件は最大限満たしております。
著者名、出版社、年度、リンク…etc
そしてこのコンテクストに言及したい方は、読み通しましょう。流布するレビューはわかりやすさを持つがゆえに、薄っぺらさとコンテクストの消失という多大な機会費用を支払っています。
読み通したあなたはきっと知の系譜を繋ぐことができるはずです。

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