ダークネスバナナ

人生について思ったことを勝手に述べるアカウントです。 高校に通っています。 たまに旅行…

ダークネスバナナ

人生について思ったことを勝手に述べるアカウントです。 高校に通っています。 たまに旅行記を書きます。

最近の記事

「哲学」を死語にしたい

「哲学」という言葉から何が連想されるだろうか? 物事の本質を考えること?有名な哲学者の名前?なんか教養くさそうなイメージ? みんな「哲学的」とかよく使うけれど本当に意味を知って使っているのだろうか。 ここでは「哲学」という言葉について考えていこうと思う。 哲学のもともとの定義 哲学という語はギリシア語の「philosophia」という「知を愛す」という意味の単語を翻訳したものであるというのはよく知られていると思う。だったら愛知学にすればよかったのにと思うが、翻訳する時に

    • 逆張りの逆張り

      「逆張りキッズ」というのはあまり肯定的に捉えられないものだと思う。 「逆張りキッズ」とは普通の行動から逸脱することが行動の動機となっている人のことを指すと思うのだが、彼ら(自分も含む)はよく、 「逆張りキッズはつまらない。俺は普通が嫌だって感じが嫌い。」 と批判され疎まれる。 ところがこの逆張り批判と逆張りは本質的に性質が同じであると思う。というのも、どちらもあるものに対して、相対的に自分の言動を決めていからだ。 逆張りは普通に対して、逆張り批判は逆張りに対して、それ

      • 学歴主義の再生産

        日本は学歴主義だとよく言われる。でも本当にそうなのだろうか。 こういうのは根拠のない思い込みかもしれない。 「今の日本では学歴が重視されていて、いい大学、いい企業に入って高収入であることが成功であるとされている。」 と言っている人がいたが、よく考えてみてほしい。 そんなこと誰が決めたのだろうか。法律に書いてあるのだろうか。 ルールにはないけど社会の慣習的にそうだろという意見はごもっともだが、ではその社会を構成しているのは誰なのだろうか。それはおそらく学歴重視社会に異を唱え

        • 趣味のすゝめ

          多趣味な人は肯定的に思われがちだが、僕は必ずしもそうであるとは思わない。良い趣味を持つ人の条件は其の種類ではなく其の趣味への態度だと思う。 趣味の善悪の判断基準 そもそも趣味の善悪は何で判断せらるかと言うと、自分に精神的な豊かさをもたらしてくれるかどうかである。豊かさとは余裕のことである。 したがって良い趣味を持つ人は趣味を通じて心の余裕を得る。 悪い趣味の例 趣味というのはそれが専門的で特殊であればあるほど、人間に自信と仲間を与えてくれる。初対面の人からは称賛を受

        「哲学」を死語にしたい

          人間社会の限界

          最近僕は人間の社会にも限界があるのだなと思うようになった。 限界と言うのは、技術的に不可能と言う意味ではなく人間社会の性質からして私たち個人は人間という枠組みから逸脱することができないということである。 人間以外の生き物たちが図鑑に書かれている生態から逸脱することが無いように人間もその生態から逸脱できないのだと思う。 人間と言うのは動物と同じく己の欲望に忠実な生き物である。 そのため自発的な行動は個人にとって善い事だけであり、無理やりさせられる行動も他人にとって善い事で

          自分が何者であるか

          自分の生きる価値は何だろうか? 俺は価値のある人間だ 僕に生きる価値なんかない とかよく聞くけど、そもそも価値とは何だろうか。 価値というのは、比較されて初めて生まれる概念である。 石にAとBというのがあったとして、AのほうがレアならAのほうが価値が高いと決まる。 人間の価値も同じような感じで、他人から見られて初めて自分の価値がレアリティに応じて決まる。そのため、自分の価値を自分で決めることはできない。したがって、自分の価値について悩むのはナンセンスなのではないか。

          自分が何者であるか

          世界料理ランキング

          世界にはフレンチや、和食、イタリアン等多くの料理が存在しているが、たまに三大料理とか、世界料理ランキングなど世界の料理に序列をつけるものがある。 文化に序列をつけるな!と言いたいところだけれど、僕は個人的にランキングのつけ方に問題があると思う。 というのも、そういうランキングは世界のすべての人が、すべての料理につけた評価をもとにしているので、評価している人は先進国の人が多く、評価される料理も先進国に近い国々が多いと思われる。 そして評価する人は結局日本人なら日本食が一番

          世界料理ランキング

          友情論

          「友だちは良いものだ」「友だちを大切にしなさい」 ということは多くの人から語られるが、本当なのだろうか? たしかに友達がいると人生は楽しくなるとは思う。 しかしそれと同じくらい面倒事に巻き込まれるのではないか。 友だちが多い⇒人生が豊かである。 という一般論に異を唱えたい。 人間の自然状態について まず人間が友達を作る前の自然の状態について。 人間の自然状態とは、個人が一つの国家として独立している状態である。そして国家の関係を見てみると友達のような関係の国はあまりなく

          太陽

          太陽はよく分からない奴だ。毎日決まった時間に来ては、決まった時間に帰って行く。 太陽は地球に光を注ぎ、植物を育て、動物を、人間を育む。たまに、光を与えすぎて植物を枯らせ、暑さで人を殺す。 太陽は地球のエネルギーの源と言っても過言ではないが、あいつは何もしていない。ただ通り過ぎていくだけである。 地球の全ての物に好き嫌いせず、ただ存在している。こちらに話しかけてくることもない。 ただ光を与えるだけで、生き物は勝手に育って勝手に死ぬ。 自然は美しいとか、自然は恐ろしいと

          社会風刺をする前に

          風刺画というのはいつの時代も人気であると思う。 少子高齢化、資本主義、帝国主義などなど、皮肉が効いた画風でよく描かれる。 これらを社会へのメッセージとしての一つとして用いることは悪いことではないと思うが、社会風刺を楽しむというか、社会風刺をすべてだと考えるようなことをするのはやめたほうがいいと思う。 例えば強者と弱者を比較する風刺画があったとしよう。 金持ちは不自由ない生活だけど貧乏はひどい扱いをうけるような感じ。 それを資本主義のせいだとか現代の欠陥とか、視点は人それ

          社会風刺をする前に

          知の狂気

          この世界は知っているか知っていないかで社会の中の序列が決まるものだなと思う。人の優劣を決めるのは学歴、仕事の出来。 仕事の出来はあまり関係ないかもしれないけど、 勉強して多くのことを勉強していて教養があるほうがなんかよさそうに見える。そして無教養と他人から言われたら腹が立つ。 だけれど知るということはとても恐ろしいような気がする。 認識するということは世界を切り分けてそこに割り当てることと同じである。 わかりやすい例だと、家でケーキを切り分けるような作業である。 ホー

          哲学嫌い。もう嫌だ。

          哲学の本を読むのをもうやめようかなと思っています。 なんか哲学って真理を追い求めるあまり何言っているのかわからなくなります。 例えば今日の夜ご飯にハンバーグが出るとしましょう。 いやあハンバーグ大好きだからうれしいなぁって思うのが普通でしょう。しかし哲学は、なんでハンバーグって美味しいんだ?それはハンバーグのイデアが…って考えるような気がするんです。 いや普通にハンバーグ美味しいな。でいいじゃん。 そんな考え事してもハンバーグが不味くなるだけだよ。 哲学が癖になると四

          哲学嫌い。もう嫌だ。

          哲学に終止符を

          哲学は病だ。危険な麻薬だ。 あれこれ湧いてくる疑問を考えるのは楽しい。 そして答えが出たらそれから出てくる疑問を考えて答えを出すという階段みたいな思考をすると真理に近づいた気がしてくる。 しかし、これを永遠と繰り返していくと現実世界から乖離した話になっていく。 善のイデアとか、老荘とか、突き詰めすぎて何言っているのか分からないようなものが出てくる。 哲学はすればするほど狂う。 ではどうすればいいのか? 哲学をすると、この世界が実は存在しないという錯覚に陥る。でも、こ

          面白いものとはなにか?

          我々が面白いと思うものはなにか。 それは、視点を変えると見えるのもが変わる物であると思う。 例えば「面白い」は「尾も白い」とも言える。 駄洒落というのもこれみたいに同じ読み方だけど違う言葉を使っているから面白い。 すべては多面的なものである。環境問題とか、歴史の事柄とか、宗教とか。 多くの人が関わっていることにはそれぞれの人の意図が絡まっていて、複雑なものになっている。 そこに、あらゆる視点から切り込むことによって、立体的、多面的に物事を組み立てる。そういうことが面白

          面白いものとはなにか?

          自然からみる地球温暖化

          地球温暖化が今日世界の絶対悪として恐れられている。 地球の温度が上がってしまい生態系が破壊されるとかなんとか。 しかしこういう環境問題を語る上で持たなくてはならない視点は、だれにとって良いのか悪いのか。である。 生態系の破壊、たとえば外来種に関して言えば、 「在来種を守れ」ということが絶対視されている。 しかし、この外来種アンチムーブメントの裏に潜んでいるのは漁業関係者であると聞いたことがある。つまり、自分の生計を立てるために必要な在来種である魚が外来種に食われているた

          自然からみる地球温暖化

          究極思想;自然主義

          ここでの「自然」とは、生態系、木、森、草みたいな動植物のことではない。「そのほうが自然だよね」と言う意味の自然に近い。我々の住む世界における普遍的な法である。自ずから成るという、人間、文化、国家、生物、地球、宇宙のすべてにある法則。これを神と呼ぶこともあるそうだ。神は、すべてを知っていて私たちとは違う世界にいる、そう考える事が多い。ところが、その神は「自然」としてこの世界のすべての事物に存在している。つまり私たちはそれぞれが神であり、この世界は神の世界である。 「自然」とは、

          究極思想;自然主義