ダークネスバナナ

人生について思ったことを勝手に述べるアカウントです。 高校に通っています。 たまに旅行…

ダークネスバナナ

人生について思ったことを勝手に述べるアカウントです。 高校に通っています。 たまに旅行記を書きます。

最近の記事

自分が何者であるか

自分の生きる価値は何だろうか? 俺は価値のある人間だ 僕に生きる価値なんかない とかよく聞くけど、そもそも価値とは何だろうか。 価値というのは、比較されて初めて生まれる概念である。 石にAとBというのがあったとして、AのほうがレアならAのほうが価値が高いと決まる。 人間の価値も同じような感じで、他人から見られて初めて自分の価値がレアリティに応じて決まる。そのため、自分の価値を自分で決めることはできない。したがって、自分の価値について悩むのはナンセンスなのではないか。

    • 世界料理ランキング

      世界にはフレンチや、和食、イタリアン等多くの料理が存在しているが、たまに三大料理とか、世界料理ランキングなど世界の料理に序列をつけるものがある。 文化に序列をつけるな!と言いたいところだけれど、僕は個人的にランキングのつけ方に問題があると思う。 というのも、そういうランキングは世界のすべての人が、すべての料理につけた評価をもとにしているので、評価している人は先進国の人が多く、評価される料理も先進国に近い国々が多いと思われる。 そして評価する人は結局日本人なら日本食が一番

      • 友情論

        「友だちは良いものだ」「友だちを大切にしなさい」 ということは多くの人から語られるが、本当なのだろうか? たしかに友達がいると人生は楽しくなるとは思う。 しかしそれと同じくらい面倒事に巻き込まれるのではないか。 友だちが多い⇒人生が豊かである。 という一般論に異を唱えたい。 人間の自然状態について まず人間が友達を作る前の自然の状態について。 人間の自然状態とは、個人が一つの国家として独立している状態である。そして国家の関係を見てみると友達のような関係の国はあまりなく

        • 太陽

          太陽はよく分からない奴だ。毎日決まった時間に来ては、決まった時間に帰って行く。 太陽は地球に光を注ぎ、植物を育て、動物を、人間を育む。たまに、光を与えすぎて植物を枯らせ、暑さで人を殺す。 太陽は地球のエネルギーの源と言っても過言ではないが、あいつは何もしていない。ただ通り過ぎていくだけである。 地球の全ての物に好き嫌いせず、ただ存在している。こちらに話しかけてくることもない。 ただ光を与えるだけで、生き物は勝手に育って勝手に死ぬ。 自然は美しいとか、自然は恐ろしいと

          社会風刺をする前に

          風刺画というのはいつの時代も人気であると思う。 少子高齢化、資本主義、帝国主義などなど、皮肉が効いた画風でよく描かれる。 これらを社会へのメッセージとしての一つとして用いることは悪いことではないと思うが、社会風刺を楽しむというか、社会風刺をすべてだと考えるようなことをするのはやめたほうがいいと思う。 例えば強者と弱者を比較する風刺画があったとしよう。 金持ちは不自由ない生活だけど貧乏はひどい扱いをうけるような感じ。 それを資本主義のせいだとか現代の欠陥とか、視点は人それ

          社会風刺をする前に

          知の狂気

          この世界は知っているか知っていないかで社会の中の序列が決まるものだなと思う。人の優劣を決めるのは学歴、仕事の出来。 仕事の出来はあまり関係ないかもしれないけど、 勉強して多くのことを勉強していて教養があるほうがなんかよさそうに見える。そして無教養と他人から言われたら腹が立つ。 だけれど知るということはとても恐ろしいような気がする。 認識するということは世界を切り分けてそこに割り当てることと同じである。 わかりやすい例だと、家でケーキを切り分けるような作業である。 ホー

          哲学嫌い。もう嫌だ。

          哲学の本を読むのをもうやめようかなと思っています。 なんか哲学って真理を追い求めるあまり何言っているのかわからなくなります。 例えば今日の夜ご飯にハンバーグが出るとしましょう。 いやあハンバーグ大好きだからうれしいなぁって思うのが普通でしょう。しかし哲学は、なんでハンバーグって美味しいんだ?それはハンバーグのイデアが…って考えるような気がするんです。 いや普通にハンバーグ美味しいな。でいいじゃん。 そんな考え事してもハンバーグが不味くなるだけだよ。 哲学が癖になると四

          哲学嫌い。もう嫌だ。

          哲学に終止符を

          哲学は病だ。危険な麻薬だ。 あれこれ湧いてくる疑問を考えるのは楽しい。 そして答えが出たらそれから出てくる疑問を考えて答えを出すという階段みたいな思考をすると真理に近づいた気がしてくる。 しかし、これを永遠と繰り返していくと現実世界から乖離した話になっていく。 善のイデアとか、老荘とか、突き詰めすぎて何言っているのか分からないようなものが出てくる。 哲学はすればするほど狂う。 ではどうすればいいのか? 哲学をすると、この世界が実は存在しないという錯覚に陥る。でも、こ

          面白いものとはなにか?

          我々が面白いと思うものはなにか。 それは、視点を変えると見えるのもが変わる物であると思う。 例えば「面白い」は「尾も白い」とも言える。 駄洒落というのもこれみたいに同じ読み方だけど違う言葉を使っているから面白い。 すべては多面的なものである。環境問題とか、歴史の事柄とか、宗教とか。 多くの人が関わっていることにはそれぞれの人の意図が絡まっていて、複雑なものになっている。 そこに、あらゆる視点から切り込むことによって、立体的、多面的に物事を組み立てる。そういうことが面白

          面白いものとはなにか?

          自然からみる地球温暖化

          地球温暖化が今日世界の絶対悪として恐れられている。 地球の温度が上がってしまい生態系が破壊されるとかなんとか。 しかしこういう環境問題を語る上で持たなくてはならない視点は、だれにとって良いのか悪いのか。である。 生態系の破壊、たとえば外来種に関して言えば、 「在来種を守れ」ということが絶対視されている。 しかし、この外来種アンチムーブメントの裏に潜んでいるのは漁業関係者であると聞いたことがある。つまり、自分の生計を立てるために必要な在来種である魚が外来種に食われているた

          自然からみる地球温暖化

          究極思想;自然主義

          ここでの「自然」とは、生態系、木、森、草みたいな動植物のことではない。「そのほうが自然だよね」と言う意味の自然に近い。我々の住む世界における普遍的な法である。自ずから成るという、人間、文化、国家、生物、地球、宇宙のすべてにある法則。これを神と呼ぶこともあるそうだ。神は、すべてを知っていて私たちとは違う世界にいる、そう考える事が多い。ところが、その神は「自然」としてこの世界のすべての事物に存在している。つまり私たちはそれぞれが神であり、この世界は神の世界である。 「自然」とは、

          究極思想;自然主義

          反道徳のすゝめ

          人生の悟りの境地のひとつとして反道徳について、 ここでは「野性」と仮に名前を付けて書いていこうと思う。 道徳と言うと誰かに優しくしなさいとか社会の役に立つとかそういったことであると思うが、それは人間の本質ではない。我々人間において最も優先されるべき物、すなわち本質とは生存である。生き残るためならたとえ殺人でもなんでもする。その手段を選ばない「野性」が人間の本質である。そうでないと今頃私たちは絶滅しているだろう。 「野性」は主に利己的なエゴイズムとして説明することができるだ

          趣味不要説

          無趣味っていうとつまらない人だなと言われがちだが、無趣味は悪いことではないのではないかと思う。 趣味を自慢する人を否定するわけではないのだが、必要な趣味と必要ではない趣味があり、それらがまとめて趣味と呼ばれているので、必要ではない趣味を持つくらいなら、無趣味のほうがむしろ良い。というか人生の方向性を間違えていなければ趣味を持っていようが持っていまいが関係ないと思う。 正しい趣味の方向性について述べるために、具体例として僕の趣味であるエナジードリンクを見てみよう。 エナジ

          老荘思想から学ぶ生き方

          老荘思想というのは紀元前3か4世紀ごろの春秋戦国時代の中国の思想家、「老子」と「荘子」の考え方です。 老子の作者である老耼という人物がいたかどうかは不明だそうです。歴史書の記述にある成立と「老子」の記述に食い違いがあり、そんな人いねーよバーカっていうのが今の学説だそうです。 その思想は無為自然を説いていて、 無欲になることで幸せになれると言っています。 同時代の孔子率いる儒家に対抗する勢力として生まれたとされています。(個人的に論語と言っていることは同じだと思いますが)

          老荘思想から学ぶ生き方

          似非哲学に気をつけて!

          「哲学」というとどんなイメージがするだろうか? 僕はなんかフランスパンみたいなイメージをする。豆腐に何もかけないで食べるような無機質な感じ。ギリシャのあの白い家と同じような感じがする。 哲学っていうとあのなんか小難しい話でしょ? て思うかもしれないが、哲学は案外嫌なものじゃない。なぜなら小難しい話は哲学から逸脱しているからだ。 言葉というものは不思議なものである。なぜならなんでも言おうと思えば言える。たとえば、ポテチを食べたら喉が渇く。のどが乾いたら水を飲むから潤う。すな

          似非哲学に気をつけて!

          図書館という墓場

          図書館にズラーっと並べられている本を次から次へと立ち読みして面白い本を探していた時、あることに気づいた。かなりの本は昔に出版されていて、著者欄を見てみると1930年生まれとか、1940年xx大学卒業とか、ご存命なのか?と心配になる人が多かったのだ。 中には悲しいことに20xx年逝去と書いてある本もあった。 そう考えると棚に並べられている本は、お墓の中の墓石のように見える。壁一面に並べられた紙の墓石の中にその人が人生をかけて生み出した論が遺言として飾られている。図書館は恐ろ

          図書館という墓場