社会風刺をする前に

風刺画というのはいつの時代も人気であると思う。
少子高齢化、資本主義、帝国主義などなど、皮肉が効いた画風でよく描かれる。

これらを社会へのメッセージとしての一つとして用いることは悪いことではないと思うが、社会風刺を楽しむというか、社会風刺をすべてだと考えるようなことをするのはやめたほうがいいと思う。

例えば強者と弱者を比較する風刺画があったとしよう。
金持ちは不自由ない生活だけど貧乏はひどい扱いをうけるような感じ。

それを資本主義のせいだとか現代の欠陥とか、視点は人それぞれだけど、豊かさに関して、強者と弱者が現れるのは当たり前のことであり、それの分布はべき乗分布で、一部の強者が支配しているという構造は普遍的である。

そのため、貧富の差について言われても、当たり前のことだしなぁ
としか言いようがない。格差が生まれたのではなく可視化されただけのような気がする。そしてもっと言えば弱者は今ほど豊かな時代じゃなかったら間違いなく死んでいる。生きているだけまだいいのでは?

また、国家制度についての風刺画があるとしよう。
これに関してはピンキリなのだが、国家というか社会の制度について語るときに忘れてはならない視点が、全体の利益である。

たしか功利主義と聞いたことがあるのだが、全体の幸福の総量を最大にするのが現代の国家の善である。

だから、一部の人がすごく幸せになって周りがあまり幸せでない。
というのも良しとされるときがあるのだ。

そして国とて黒字を目指さないといけないので、些末なことに使えるお金もあまりない。ましてや日本は少子高齢化のため社会保障費が増えていくばかりで、余裕はなく増税も避けられないと思う。

総じて、この手の風刺画を好む人達は全体の善と個人の善の区別ができていない傾向にあると思う。それに、人生の豊かさは年収とか強さに決まるわけでもないし、自分が幸せと思えたら幸せなのである。

弱者のプロパガンダに負けないように芯を持って生きましょう。


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