趣味のすゝめ

多趣味な人は肯定的に思われがちだが、僕は必ずしもそうであるとは思わない。良い趣味を持つ人の条件は其の種類ではなく其の趣味への態度だと思う。

趣味の善悪の判断基準

そもそも趣味の善悪は何で判断せらるかと言うと、自分に精神的な豊かさをもたらしてくれるかどうかである。豊かさとは余裕のことである。

したがって良い趣味を持つ人は趣味を通じて心の余裕を得る。

悪い趣味の例

趣味というのはそれが専門的で特殊であればあるほど、人間に自信と仲間を与えてくれる。初対面の人からは称賛を受け、その道のエキスパートになることができ、趣味のコミュニティに参加することができるようになる。

ところが、個人的にこのような趣味は必ずしも良い趣味ではない(むしろほとんどが悪い)と思う。

人が趣味を始めたときに趣味をする理由は単純に好きだったり、楽しかったりするからである。これは生活に豊かさを与えてくれるのでいい趣味である。

しかし趣味を極め始めると、初対面の人の称賛を受け、趣味コミュニティに属することがそれの動機になる。これは半ば義務感で行われるものでり、逆に豊かさを失っているのだ。

また、このような状態の人は自分のアイデンティティを趣味で着飾っているため、趣味がなくなったら何者でもないただの人間になってしまう。そして、当の本人はそれに気づいている。しかしやめたら自分が自分でいられなくなるので続けざるを得ないのだ。

趣味を外部との外交ツールにすると、ろくなことが起きない。だから自分が豊かさを得るためにあるということを忘れずに超えていけないラインは超えないように常に注意しないといけない。

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