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家族の発達障害がきっかけで「変なプライド」がなくなり、かえって楽になれた話

ショックを受けた息子の発達障害

3年前、息子が発達障害と診断された瞬間は、非常にショックでした。
「妊娠中の過ごし方に問題があったのだろうか?」
「前世で何か罪深い事をしたのだろうか?」
「私の何が悪かったのだろう?」

自分を攻めまくりました。

心の奥にある「変なプライド」を崩してくれた息子に感謝

私は認知症の舅を約10年間介護した経験があります。
心身ともに疲労困憊でしたが、それでも私の心の奥には変なプライドみたいなものがありました。

「私は最終的には『しあわせ』になれるだけの人間だ」
振り返れば、そんなふうに自分を思いこんでました。本当にお恥ずかしいです…

ところが、息子の発達障害を知らされた瞬間に、そのヘンテコなプライドが一気に崩れ去るような気持ちになりました。

発達障害が悪いとか良いとかの問題ではありません。
息子の存在により、「人」、そして「自分自身」を今までよりはるかに幅広い目で見られるようになりました。

そういう意味で感謝です。

「発達障害」がきっかけで心の持ち方が変わった

「人はこうあるべき!」
「普通はこうするものだ」
「常識的に考えて…」

いわゆる「普通の人」と同じように行動や会話がしにくい息子に対して、
以前の私は、上記のような言葉を毎日毎日あびせていました。

発達障害を身近に感じてからのある日、私は急に自分自身に聞きたくなりました。

本当に「こうあるべき」なの?
「普通」てなに?
「常識」てなに?

いつも自分で言っていたはずなのに、ちゃんと答えらるものは一つもありませんでした。

私は、わけのわからない固定観念ガチガチの嫌な女でした…
「なあ~んや!私ってショーもない人間やったんや(^^)」

自分のことをそう思えた時から、心がかえって楽になりました。


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