【歌から妄想してみた】第2回 一等星になれなかった君へ(チャットモンチー)

歌から妄想してみた(※本企画の主旨はこちら)。ざっと言えば、妄想癖のある僕が歌を聞いて、妄想で浮かんできたストーリーをアウトプットしてみるという企画。前回のDamaged lady (KARA) に続いて、第二回です。今日はチャットモンチーが2006年に出した「一等星になれなかった君へ」を聞いて勝手な妄想をしてみることにしました。写真のすだち君はチャットモンチーのふるさと徳島のキャラクターです。

歌の話に戻りますが、僕がこの歌に出会ったのはつい最近。音楽プレーヤーのシャッフルでたまたま当たったというのがきっかけです。僕はこの歌の迷いながら自己肯定をひたすら繰り返す歌詞に「自分も普段こういうことを繰り返しているな。」と共感を覚え、惹かれまして、そこからどんどん妄想が膨らんできたわけです。僕のなかでの良い曲のバロメーターは妄想できるか否かというところに置かれていると言っても過言ではありません。

そのようなわけでありまして、この歌から生み出した妄想のキーワードは「不安」、「孤独」、「画一的」。このキーワードからある男のストーリーが妄想されました。以下太字部分妄想。

    【なぜ俺はこのような生き方をしなければならないのだ?】

 俺は、月曜日の夜、家の玄関を出た。見送るものは誰もいなかった。荷物は四泊五日用のスーツケースに収まる程度のものである。駅までは10分程度である。数えきれないほど、通った道のりをスーツケースと共にとぼとぼと歩く。街に灯りはない。もちろん人もいない。孤独である。もう自分を守ってくれるものは、ここには誰も何もないのだ。自分から捨て去ったのである。自ら選択して、そうなったのだ。
 本当によかったのか?あの決断が本当によかったのか?この日まで、毎日、毎日、悩んだ。今も少しその悩みは残る。
 死までの道のりが見えていた。このまま実家の後をとり、地元の仲間や、近所の人たちと今まで何十回もした話をしながら暮らしている姿が。息苦しかった。一つ行動をするにしても、周りの人々とその人々に描かれている自分のイメージというものと整合性をとるのが。そして、集まれば悪口、他人の少しの変化が気になって仕方がない世界。そのような世界のなかでなんとか生きてきて、気が付けば、もう35歳。独身。父と、母は両方65歳。俺は彼らを残して、この街を脱する決断をした。親からも、兄弟からも、親戚からも、友人からも、近所からも、もちろん総スカンだ。今まで優しかった彼らは、この一か月間の間に僕に冷たくなっていった。

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 ラジオが僕の人生を変えた。死までの道のりが予測可能な退屈な世界において、一つのはけ口となっていたのが深夜ラジオである。深夜という状況のなかで俺と同じく何かに抑圧されてきた人々がつながり、叫ぶ世界。周りの人々の姿が見えなくなったなかで、本気で笑えて、素の自分でいられる場所。俺は何かの必然性に駆られて、ネタを送り続けた。送ったネタは、送りはじめのころは読まれなかったのであるが、それでも送っているとしばらくして読まれるようになったのである。俺の書くネタのテイストをある番組のパーソナリティの芸人さんが気に入ってくれて、俺はその番組で所謂「職人」と呼ばれるようになったのだった。その番組に、フツオタとネタを大量に送り、毎回のように読まれるようになったのである。そして、その状況は二年間もの間、今日に至るまで続いたのであった。ラジオ局から頻繁に来る封筒や、小包に親は理由を尋ねたが、俺は頑として言わなかった。そこを知られたら、ラジオまでも彼らの観念が及ぶ世界になってしまうからだ。
 そんな、ある日、この上ないほど退屈な自治会の定例会に参加していると、思わぬメールが飛び込んでくる。俺が、「職人」として読まれ続けていた番組に、放送作家として、番組に入らないか?というものであった。俺は、嘘かと思った。俺の人生に思わぬ分岐点があらわれたのである。
 即座に、「よろしくお願いします。」と言える、俺がいればよいのであるが、こういう時に世間からどう見られるか、親からどういわれるかを気にして、決断を臆病になる俺がいた。一週間で答えを出してほしいとのことだったので、俺はその後も、期限ぎりぎりまで悩んだ。もちろん誰に相談することもない。そのことを悩んでいたある日、親が食卓で近所の人のうわさ話にあけてくれる様子が目に入った。その時、なにかが吹っ切れたように決意が固まったのだ。俺は、放送作家になる。と。

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 「放送作家になるために、ここを出て上京する。」家族、親戚、友人、会社、すべてに言われたのは、「正気か?やめておけ。」「家はどうするの?」という言葉と、その後の冷ややかな態度や目線。逆にそれでよかった。周りが皆、僕に対して敵対的な言動、態度を見せることによって、それへの変な愛着みたいなものが生まれることなく、それに対しての反骨心が増大したからだ。今まで俺の見てきたものは何なのだったと心から失望した。
 しかしながら、依然として俺は弱い人間で、今まで存在したすべての人間関係を断って、実際に孤独になると、不安にさいなまれたりもした。本当によかったのか?あの決断は?と。借りる部屋も決まり、引っ越しも終わった。人生初のアルバイトも決まった。番組スタッフさんと顔合わせもした。驚くべきことに、メインパーソナリティの芸人さんと指しでご飯も食べた。もう後戻りはできない。夢のような世界と、失った現実的世界。僕はその狭間でどこか孤独を感じている。
 そして、あっという間に旅立ちの日を迎えた。もちろん俺を見送るひとなどここにはいない。

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 キャリーバックを引きながら、夜空を見上げる。満点の星空である。久しぶりに星を見た。よく見ると、一つ一つ形や大きさは異なり、それぞれが輝いている。このような、単純で、簡単で、素敵なこと、今更気が付いた。なぜ今まで気が付かなかったのだろう。ずっと外的な基準をもとに、自分と言うものを形成し、その外的な基準は常に揺れ動いていくため次第に自分と言うものを持たないことが良いことだと考えるようになっていた。しかし、夜空の星たちは違う。彼らはそれぞれが自らの輝きをもち、輝きを放つのである。その輝きは何億光年もの間を経て、俺たちに届く、すさまじい輝きなのである。
 俺もあの星のように輝ける機会をもらったのだ。放送作家という。それは、今までとは全く違った世界だから不安なのは当たり前だろう。生活も苦しくなるだろう。当然、いつ仕事がなくなるかもわからない。しかし、俺は輝きを手に入れたのだ。自らの輝きを、まだ見えぬずっとずっと先に届く輝きを。それは、単純で、簡単で、素敵なことである。そう。俺は美しい空で、輝くのだ。
 僕は静かに、東京行きの寝台列車に乗り込んだ。ネタが一つ思い浮かんできた。それをメールで送信。メールに書く住所はアパートの住所だ。



このような感じで、田舎に埋まっていたのだけれど、ラジオ番組にネタを投稿していたことをきっかけに上京する35歳の独身男性を妄想しました。田舎のシステムに適合しているのだけれど、どこかそこを認められていない、自分のいる環境が満足できていない(表現中に使った死が見える。)なかで下した人生の決断。しかし、いざ決断してみるとそれは恐ろしく孤独で不安だったのです。やはり今までの方がよかったのではないかという惑いが生まれる。しかし、男は言い聞かせるわけです。自己肯定をするわけです。夜空に光る星と自分を重ね合わせて。この強い自己肯定は弱さの裏返しでしょう。こういった弱さが強い言葉を生み出す要因であったり、それが魅力的に見える要因であると僕は思っています。弱さは自分を強くあらせられるものや、自分を強くするものに対して常に貪欲になっているからです。その貪欲さは驚くべきところから強さを見つけ出すことができると思います。

実際の歌詞は、作家で、当時メンバーだった高橋久美子さんが書かれたものです。作曲は橋本絵莉子さん(参照:http://j-lyric.net/artist/a04c8fe/l009528.html)彼女はどういったストーリーを描いてこの歌を作られたのでしょうか。それはわかりませんが、きっと彼女が抱えていた惑いや不安のなかで生まれたのではないかと僕自身勝手に想像しております。チャットモンチーはこの歌の通り、輝かれていますね。

さて、次回はTake@chance (miwa)です。果たして、どんな妄想が生まれるのか、ご期待。

この作者ダクト飯に興味を抱いた方は↓

「ダクトに埋もれた短編集」


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