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1983年4月26日 ユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行への出発(横浜から船でソ連, 今のロシアのナホトカへ) 38周年 〜 "Every Picture Tells a Story" (Rod Stewart): 歌詞和訳

バイトで金貯め, 計画的に留年・休学へ

これは今日の note 投稿1本目の冒頭の, 同じ見出しの章に書いたのだった, コピペ転載しようと思ったけど、それはやめて件の投稿テキストへのリンクを(笑)。

第1章が「バイトで金貯め, 計画的に留年・休学へ」で、残る第2章・第3章は「旅立つ前に読んだ本、戻ってから読んだ本の中から..」および「旅立つ前に聴いていた曲 ♫」。

1983年4月26日、横浜港を発ち、ソ連(ロシア)のナホトカへ, まずは 2泊3日の船旅

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1983年4月26日に横浜港を発って「国」名だけ挙げると当時のソ連、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、西ドイツ、東ドイツ(東ベルリンのみ)、フランス、スイス、オーストリア、(当時のチトーの)ユーゴスラビア、イタリア(ローマ市内のバチカン市国も, 笑; 笑うことないか?ま, いいや!)、ギリシャ、トルコ、シリア、ヨルダン、パレスチナとイスラエル、エジプト、再びトルコ、イラン、パキスタン、インド、タイ、韓国を旅し、1984年1月31日に韓国・釜山港を発って翌2月1日に下関港にて入国手続き、10ヶ月に満たないからバックパッカーの海外一人旅としてはさして長い方ではないと思うが、兎にも角にも、帰国した。静岡県遠州森町の実家に戻ったのは 2月4日のことで、帰宅前、広島に(3泊4日)滞在した。旅の前後についてはいずれまた書くかもしれないけれど、おおよそのことは前章(実際のところは前章に置いたリンク先, 今日1本目の note 投稿の第1章)にて!

横浜を訪れたのはその時が初めてだったけれど、その後、1985年3月末から 1995年3月末までの 10年間にわたって住み、1988年3月以降は結婚後の最初の7年間だし、息子が誕生したのも 1992年で横浜時代、というわけで, 思い出深い土地になった。まぁ我が一家にとって第2の故郷, みたいなもん。

で、これはちょっと遡って, 

柳ジョージ & レイニーウッド の1979年のアルバム Y.O.K.O.H.A.M.A.

大学1年の時レコードを買って(1979年3月1日リリースだからギリギリ大学入学直前に買ったのかも, 大学入ってからだとしたらおそらくはカセットのみ, カセットは確実にあるけど, レコードも田舎の実家の居間のレコード・プレイヤーのところに行けば置いてあるかも!記憶があやふやなのだ, この辺)、特にその年ずいぶんと聴いた。札幌でコンサートも行った。なんとタウン誌の抽選に応募したらコンサート・チケットが当たったのだ、2枚。で、行きつけのサテンでウェイトレスのアルバイトしてた市内の女子大の1年歳上の女子学生(女子大だから女子学生か、笑)誘って行ったのだった。それは単なる懐かしの思い出だけど!

1. Prisoner
2. What Do You Want
3. Copenhagen Park
4. Sad Crown 嘆きのピエロ
5. Pub
6. Wiping in the Rain 雨に泣いてる
7. Minato-tei 港亭
8. Groovy Girl
9. Hey Darling
10. Chinese Queen
11. Honmoku Kidan 本牧綺談
12. America Across the Fence フェンスの向こうのアメリカ

1983年4月26日、横浜港を発ち、ソ連(ロシア)のナホトカへ, まずは 2泊3日の船旅 〜 仕切り直し(の第3章!)

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2年ほど前、2019年の秋、超絶久しぶり、三十数年ぶりで 1983年から翌1984年にかけてのバックパッカー海外「放浪」もどきの旅の時の各国いろんな都市・街の地図やガイド、旅の間, 時折り家族や友人、旅で知り合った人々とやり取りしていた手紙(となると自分が持ってるのは日本領事館気付等の手段で自分が「受け取った」手紙の方になるけれど)、そして毎日のようにつけていた旅日記などを収納してあった, 段ボール箱を, 我が家の押し入れから引っ張り出し、日記をペラペラ捲ってみた。

で、とにかく、我ながら驚いた。想像以上に, 相当に詳しく、当時の自分の行動や見聞を、毎日毎日、日記に記録していた。日記のその記載内容によって、ソ連から韓国まで、当時の世界のいろんな側面がそれぞれかなりの程度 分かるような中身。ほんの一例だが、パレスチナのガザ地区が今のようにイスラエルによって軍事封鎖されていなかったことなども(ただし1967年6月以来, 半世紀以上にわたり今現在まで, 東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区が同年1967年11月22日採択の国連安保理決議242号など複数の国連決議に違反しながら引き続きイスラエルによって不当に軍事占領されているように、当時のガザ地区はイスラエルの直接的な軍事占領下にあった)、あらためて, 具体的に分かる。

これは歴史の記録だ。誰か、出版させてくれ(笑)。

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で、汚い字ながら(何せ船はだいぶ揺れてたからなぁと, もともと下手くそな字ながら言い訳!)、これが日本を発った日 1983年4月26日の夜、ナホトカ行きのフェリーの船室の中で、だからそうだ、海の上で書いた, あの時の旅の初日の日記。

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'83. 4. 26(火)
 日本を出国した。しかし、もちろんまだ シベリアは見えない。まだ ソビエトの街に立ったわけではない。船内に(「船内で」の方が文法的にはよかったね, 笑)ロシア人、アメリカ人などを見ても、外国旅行の実感はそれほど わいてこない。ただ 1度、ミュージックサロンとかいう広間で、大柄な(たぶんアメリカ人の)老夫婦が巨体をおどらせて(「揺らせて」の方がよかったかね, 笑)チークダンスをしているのを見たとき、ああ, 日本を出たんだなと思った。
 デッキに出て、夜の海を見た。遠く水平線をながめた。船が今、どこを進んでいるのか、見当がつかない。しかし、とにかく、あの水平線の向こうには陸地があるだろう。全くセンチメンタルでない心で、どこかセンチメンタルなことを考えた。いや、アホらしい

最後の「いや、アホらしい」という締めの一文、こういう言い方は当時けっこうな数, 読んでいた小田実の本からの影響のような気がする!

"Every Picture Tells a Story" (Rod Stewart) 〜 歌詞和訳

最後は以下の note 投稿テキストの第3章「"Every Picture Tells a Story" (Rod Stewart) 〜 歌詞和訳」をそのまま転載!

"Every Picture Tells a Story" は 1971年5月28日にリリースされた Rod Stewart 3枚目のアルバムのタイトル・トラックで、LP の A面 の 1曲目。このアルバムは当時イギリスでもアメリカでもチャート 1位を記録し、B面 2曲目の "Maggie May" も両国それぞれのシングル・チャートで 1位になったという大ヒット作だった。

この歌(Rod Stewart と Ronnie Wood の共作)、音、メロディだけじゃなくて、歌詞も素晴らしい。筆者が若いころ旅に出たかった気分の「おおよそ」のことなら、この歌の中に見事に描かれている。

筆者は特別劣等感に苛まれていたのではなかったし、親父に勧められたのでもなかったが、でも自分の親父もこの歌の歌詞の中の親父みたいな人で、ああいう類のことを言う人だった、「だった」と言っても 92歳の今現在も健在・元気!

(筆者, つまり拙者, の親父殿が生まれたのは1928年、あえて普段は嫌いな年号というものを使うなら「昭和」3年の9月、だから 2021年4月26日の今日現在も92歳、そして心身共に健康で元気!)

そういう「訳」(ワケ)で、この歌の歌詞を今日(2021年2月4日のこと!)、「訳」(ヤク, あの「ヤク」ではありません!)してみたいと思ったのだ。

Every Picture Tells a Story 〜 a title track from the third album by Rod Stewart, released on May 28, 1971 ♫

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.8 加筆/削除/編集)。

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しばらくの間 おれってダメな奴かもって思ってた
鏡の前に立って
何百回と髪をとかしても(*1)
結局は代わり映えしない俺がそこにいるだけ

親父がおれに言ったのさ、「息子よ、世の中を見てくるがいい
家を出て行ったって咎めたりしない
だけど覚えておけ、現を抜かすんじゃないぞ
お前の金を掠め取るような女にはな」(*2)
で、おれは出かけたってわけさ

パリは身を隠せる場所だった
周りに馴染めないって思ったらね
だけどフランスの警察は平和をくれなかったのさ
連中はおれのことを汚らしい奴だって言うんだ
セーヌの左岸に降りて物思いに耽ってて(*3)
押し寄せてきた群衆にノックアウトされたら
平和的な暴動を扇動したって罪で逮捕されちまった
おれはその時ほんとはお茶一杯飲みたかっただけだぜ
なのに責任取らされたってわけさ、ったく
その後も旅を続けたよ

ローマに行ったけど何か物足りなかった
若い奴が生きてくための何かがね
おれの体は悪臭を放ってたけどそのまんま、憂鬱だった(*4)
まさに運も尽きて落ち目って時にね
ほんとに破れかぶれ、やけになって
観光客用の見せ物みたいになってた
それで思ったよ、ここから出なくちゃってね
バチカンに行ったって認められるわけないし
そんな気もなかったさ、あるわけない

東に向かって出かけたぜ、聞いてくれよ
北京のフェリーに乗ったら楽しい気分になったんだ(*5)
こっちに戻る船の中のことさ
切れ長の目の女と恋に落ちたってわけ
東洋の月明かりに感謝しなくちゃね
上海のリルは決してピルを使わない
ピルなんて自然じゃないわよって言うんだ
で、おれを甲板に連れて行って首に歯を当ててきたよ(*6)
なんてこった、彼女と出会えたなんて上出来だよ
ほんとさ、最高の気分だったよ
ちょっと待ってくれ

おれはいま固く信じてるよ、結局大事なのは自分だってことさ
マジで思ったんだ、おれはほんとに完璧だってね
人間、どんだけおかしくなれるのかな
おれが今まで知った女たちには靴紐一つ結ばせなかったよ(*7)
ああいう女といると自由な気分でいられないんだ(*8)
だけどあの切れ長の目の女には心底やられたよ(*9)
彼女に出会ったことは神にでも感謝しなくちゃな
おれが伝えられる彼らの言葉の中に(*10)
旅してる最中のあんたに役立つものがあるとしても(*11)
彼ら、つまりディケンズやシェリーやキーツの言葉は使えないな(*12)
そんなの散々言われてきて手垢まみれだろうよ
どんな悪い状況でも最善を尽くす、でもって笑い飛ばすんだな
とにかくこんなとこまで来なくてもいいよ

覚えておくことさ、どう見えるかで何が起きたのか分かるんだ、だろ?
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
百聞は一見にしかずって言うよな
百聞は一見にしかずってね
百聞は一見にしかずって ...

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注釈

*1 "Combed my hair in a thousand ways" と歌っているが、日本語ではこういう数が多いことを強調したい時、「千回」というよりも「何百回」と言うだろうと思うので、和訳では「何百回と髪をとかしても」にした。

*2 "to a woman that'll spend your bread" の "bread", 俗語で「金、銭」といった意味があるので、若干の意訳込みで「お前の金を掠め取るような女にはな」。

*3 "the Left Bank" はここではセーヌ川の「左岸」のこと。フランスの小説家、つまりあの人、Françoise Sagan のことではありません(笑)。

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日本のバンド、デイト・オブ・バース Date of Birth の 1997年のアルバム "FOLK SONGS" の収録曲に「退屈なフランス旅行」という歌があって、「横になって氷で頭を冷やし あなたがこれは力作だと言った サガンの小説をもう一度読んでたら 意地の悪い睡魔が襲った, hey, da,da,da...... 」というくだりがある。あの歌も、あのアルバムも、最高にいい。

脱線した(笑)。

*4 "My body stunk but I kept my funk", これはちょっと訳し方が難しい。とりあえず最初に書いておくと、"stunk", "funk" の韻はクール。

"stunk" は stink の過去分詞形で、stink は自動詞も他動詞もあるけれど、受け身ととればここは「〜を悪臭で満たす」という他動詞の受動態。"funk" にはかなり色んな意味があるけれども、ここでの "my funk" から名詞ととれば、「おじけ、尻込み、臆病」とか「気分の落ち込み、憂鬱」、名詞の意味にはもちろん他にあの音楽のジャンルあるいは用語としての「ファンク」、その他にも俗語で「田舎臭さ」、そして「臆病者、役立たず」、さらにやはり俗語で「体臭」「悪臭」といった意味があるようで、ただし「体臭」を意味する名詞としては一般に他人の強烈な体臭を指して言うらしい。ここでは、"funk" を単に「悪臭」ととったり、あるいはダブル・ミーニング的に「憂鬱」の意味にもとって、「おれの体は悪臭を放ってたけどそのまんま、憂鬱だった」と訳すことにした。

*5 "On the Peking ferry I was feeling merry", ここは逐語訳すれば「北京フェリーの上で楽しい気分になっていた」ということなんだろうけど、最初に投稿アップした時は、まぁこういうこと言いたいんだろうな程度に「北京でフェリーに乗ったら楽しい気分になったんだ」と訳していた。しかし、その後、いや待てよ、北京って海に面してないよなと気づき(筆者は中国には大連しか行ったことがない、笑)、"the Peking ferry" って何のことだと気になった。ググると日本からフェリーで行くには港がある天津までフェリーで行ってそこから列車みたいに書いてあるし、じゃぁ川、大河とかは?と思うと、どうもそれも怪しい。北京は海河という大きな河川の流域に属するらしいが、北京の域内では水不足が深刻とか書いてあって、大河を航行するフェリーってことでもなさそうなのだ。ますます気になって更にググると、筆者が本 note 投稿で取り上げている自身の海外「放浪」もどき旅をした時代に既に日本人バックパッカーの間でもわりと知られていた、世界的に著名な旅行ガイドブック Lonely Planet のウェブサイトにまで、Rod Stewart's "Peking Ferry". Does it exist? Are there any in Beijing? というトピックが上げられたフォーラムのページがあることを発見。いやはや。

北京の英語表記は Beijing の方が多いと思うが、Peking もないことはない。料理名の北京ダックは Peking duck だよね(笑)。一方で Beijing ってのは地名としての北京だけでなく、「中国政府」を指す言葉として使われることもあるということで、さて、この歌の歌詞の中の "Peking", 要するに、形容詞的に「中国の」というニュアンスを表現したかったということなのかな。"On the Peking ferry" で「中国のフェリーに乗ったら」あるいは「中国でフェリーに乗ったら」程度の意味で、だとするとこれを日本語にしたら、やはり「北京のフェリー」ぐらいにするしかない。

この程度のことで思い切り長い注釈になってしまったが(笑)、結局、まぁ上記の意味合いを込めた感じでこれでいいだろうとすることにして、"On the Peking ferry I was feeling merry" は、「北京のフェリーに乗ったら楽しい気分になったんだ」で一件落着 .. ということにした。

しかし、そもそも、この曲は 1971年5月のリリース。大陸中国とアメリカ合州国の間に国交が樹立することになるのは 1972年2月の当時のニクソン大統領の中国訪問がきっかけだから、この曲が作られた頃は大陸中国はまだまだ「西側世界」に対して閉ざされていた時代のはず。この歌は確か Rod Stewart が更に若い頃に世界を「放浪」した経験を「膨らませた」ような歌だったと思うが、とりわけ大陸中国関連の辺りは相当に想像を「膨らませた」歌詞なのかもしれない。そう思うと、「切れ長の目の女」「上海(の)リル」, つまり "slit-eyed lady" の "Shangai Lil" ってのも、いかにも Rod が「ああ、こういう女と付き合いたい」って想って歌詞を考えたのかなという気がしてくる。この注釈、ますます長くなった(笑)。

(「北京でフェリーに乗ったら楽しい気分になったんだ」を「北京のフェリーに乗ったら楽しい気分になったんだ」に変えただけの編集アップは投稿日のうちに済ませたけれど、この注釈に関しては今日(投稿翌日) 2021年2月5日午前9時過ぎ加筆アップ。)

*6 "bit my neck", この "bit" は他動詞でも自動詞でもある "bite", 「噛む」「噛みつく」の過去形なわけだけど、首に噛みつくのはどうにもこうにも痛そう。まぁそういうハードコアも時にはいいかもしれないけれど(笑)、ここはまぁ「首に歯を当ててきた」ぐらいでいいのでは。因みにここ、"She took me up on deck and bit my neck" の "deck", "neck" の韻もキマッてる。

*7 "The women I've known I wouldn't let tie my shoe" は、おそらく "The women I've known" が次に続く "I wouldn't let" の目的格になっている。だから、ほぼ直訳のかたちで訳すと「おれが今まで知った女たちには靴紐一つ結ばせなかったよ」という感じ。因みに tie one's shoes で「靴の紐を結ぶ」だけでなく「しっかりやる」「きちんとする」といった意味があるようだけど、ここはあえて前者のような直訳的な言い方を使った方が、それを比喩として受け取ってもらえばよいのでベターだと思う。

*8 "They wouldn't give you the time of day" の "They" は *6, つまり前のセンテンスの "The women I've known" のことで、ここは意訳すれば「ああいう女といると自由な気分でいられないんだ」。

*9 "But the slit-eyed lady knocked me off my feet" は、be knocked off one's feet で「驚かされる」「驚く」「びっくりする」という意味があるので、この歌詞の中の文脈では「だけどあの切れ長の目の女には心底やられたよ」。

*10, 11, 12 "And if they had the words I could tell to you, to help you on the way down the road, I couldn't quote you no Dickens, Shelley or Keats", ここでは、文脈上、最初の "they" は後から出てくる "Dickens, Shelley or Keats" などを指しているのではないかと解釈した。"way down the road" は安直にオンライン辞書など引くと「この道をずっと行った所に」と出たりするし、half-way down the road だと「道の途中で」「道半ばで」といった感じ。ここではこの歌の歌詞全体を考えて、"you on the way down the road" を「旅してる最中のあんた」と訳した。ただし、この「旅」とは文字通りの「旅」ともとれるし、「人生」を「旅」として捉えた上での「旅」ともとれる。

"Dickens, Shelley or Keats", この 3人は全て、イギリス(全員イングランド, 19世紀)の、順に小説家、詩人、詩人。

というわけで、「おれが伝えられる彼らの言葉の中に 旅してる最中のあんたに役立つものがあるとしても 彼ら、つまりディケンズやシェリーやキーツの言葉は使えないな」と訳した。"quote" はもちろん「引用する」という意味だけど、ここでは「使えない」でいいだろう。

ってなわけで、Every picture tells a story, don’t it!?

ってなわけで、Every picture tells a story, don’t it!?


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