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1983-1984, 海外「放浪」もどきの旅

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写真は何となんとナンと、インドのパン、ナン、あれは美味いねぇ、何と、ポール・ゴーギャンの「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」、その部分。切り取り方に拘っ… もっと読む
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1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集

前説最初に念の為に書いておくと, この前文の下にある 本 note 目次つまり旅 note リンク に付いている, それぞれのタイトルには, 「(写真 .. 枚)」と書いてあったりなかったりするものがあるのだが, 後者であっても, すなわちそうした記載がなくとも, 殆どの note にそれぞれの土地で撮った写真は掲載してある。ではでは。 さて, 以下の前文は, 本 note を投稿する今日 2022年5月11日 から振り返ってのこと。本 note は随時更新していくので,

トーキング・ヘッズ "Road to Nowhere" 歌詞和訳

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか 〜 ポール・ゴーギャン前から思ってるんだけど(本 note 第4章), トーキング・ヘッズ "Road to Nowhere" のタイトルと歌詞, そして同曲が収められた, 彼らの 1985年リリースのアルバム "Little Creatures" のカヴァーの絵は, なんというか, そこはかとなくと言いましょうか, ポール・ゴーギャンのあの有名な絵とそのタイトルに重なるところがあるのであります。 ポール・ゴーギ

海外「放浪」蔵出し写真集 〜 "Every Picture Tells a Story" (Rod Stewart) [歌詞和訳]

前説写真は 1983年6月1日、「分断国家」ドイツ、「ベルリンの壁」があった時代で西ベルリンは陸の孤島化、その当時「東ドイツ」(ドイツ民主共和国, 「民主」というのは殆どギャグだけど)領「東ベルリン」側にあったブランデンブルク門の前で記念写真に収まった筆者、911の誕生日を迎える前、22歳(*1)。 ほんとは放浪「もどき」だから(*2)、タイトルでは「放浪」と鉤括弧を付けた。帰国したのは 1984年2月1日だけど(韓国・釜山港からフェリーに乗って下関に来て「母国」日本に入国

Teach Your Children (CSNY): 歌詞和訳 〜 世界の子供たちの写真と映画と

最初にいきなりタネ明かしみたいなことを書いてしまうと(「種明かし」とタネを漢字で書いた方が更に言い得て妙かもしれない)、実はこの歌は、その歌詞の内容で言えば "Teach Your Children and Teach Your Parents" と呼んだ方が相応わしいような歌である。その 2つのフレーズが出てくるからというだけのことではなく、この歌の歌詞が訴えていることを踏まえれば。つまり、この歌は「親たちの世代から子供たちの世代へ」というベクトルだけでなく「子供たちの世代

1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集 〜 完成

22-23歳の時のバックパッカー海外「放浪」もどきの旅 note リンク集, 完成1983年4月26日 に横浜港を発って, 「国」名だけ挙げると当時のソ連, フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク, 西ドイツ, 東ドイツ(東ベルリンのみ), フランス, スイス, オーストリア, (当時のチトーの)ユーゴスラビア, イタリア(ローマ市内のバチカン市国も), ギリシャ, トルコ, シリア, ヨルダン, パレスチナとイスラエル, エジプト, 再び トルコ, そして

911 記念 〜 自分の誕生日(1960), シリアの現職・独裁大統領の誕生日(1965), アメリカがチリの民主主義を殺した日(1973), シリア・パルミラの都市遺跡を訪問した日(1983), アメリカが「宗教」狂信者に攻撃された日(2001), 拙者の note 開始日(2019) 〜 誕生日リクエスト(2021), 今日は 歌詞和訳付きで この歌で締め, "Ol' '55" (Tom Waits) ♫

ナンセンス込みの前説9月11日は 62年前の拙者の誕生日でもあり, 3年前の拙者の note 開始日でもあり, そして他にも ... 。というわけで, 今日の拙者の note は, 911 記念 note リンク集「の・ようなもの」。 あ, あの映画は 911 とは関係ないですね。「リンク集のようなもの」と書こうとしたら, というか「のようなもの」と言おう・書こうとするといつも思い出してしまう懐かしい映画タイトル(しかしこの映画そのものは観てなかったと思う, 笑), ただ

デフレ と 堕落論 と ツァラトゥストラ の相関

ちょっとピンぼけ残念ながら, 本 note のタイトル写真, 右のフリードリヒ・ニーチェ(1844年10月15日 - 1900年8月25日)よりも, 左の坂口安吾(1906年10月20日 - 1955年2月17日)の方が .. 表紙だけネットから拝借, 若い頃に読んだロバート・キャパの「ちょっとピンぼけ」(原題は "Slightly Out of Focus"), 俺が読んだ版は違う表紙だった。というか, あの本は面白い本だったけれど(と言っても, どんな内容だったか, 細

西部邁が説く解り易い自由論を, 坂口安吾の「堕落論」につなげてみる

坂口安吾 「堕落論」, その起と結 自分がいま持っているのは 角川文庫版で, 「昭和六十三年六月二十日 改版四十八版」。 坂口 安吾(1906〈明治39〉年10月20日 - 1955〈昭和30〉年2月17日) 「堕落論」の起 堕落論の結 さて, まずは切っ掛けを書いてから。 18年前の文章を いま note に載せる, その切っ掛け 1. 坂口安吾に関しては, いま自分の1983-84年バックパッカー「海外放浪もどき」の旅の 旅 note リンク集を 頻繁に更新して

ビートルズ 「歌詞」 和訳 note リンク集 〜 39年前の今日 1983年5月23日に, 更にその昔 ビートルズ が「青春」の日々を過ごした街, ハンブルク に着いた「記念」

なんと大袈裟なタイトル(笑)。39年前の今頃, 自分がハンブルク にいたこと自体は事実。でも一方で「歌詞」 和訳 note リンク集と言っても ビートルズ の歌の歌詞はこれまで 3曲しか和訳したことがないのだった。 .. というわけで, ジョン・レノン のソロの歌の「歌詞」和訳も追加 ♫ 1983年4月26日に 横浜港からのフェリーで 日本 を発ち, 当時の ソ連, そして フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク を経て, 当時の 西ドイツ へ 〜 最初

39年前の今日 コペンハーゲン に着いた記念 〜 柳ジョージ&レイニーウッド の 横浜 の 「コペンハーゲン・パーク」 ♫

1983年4月26日に 横浜港 から 当時の ソ連・ナホトカ 行き 2泊3日のフェリーの旅で 日本 を発ち, ソ連 を鉄道で横断しながら旅し(ナホトカ から ハバロフスク までも鉄道, そして当時の ウラジオストク は軍事的理由で外国人は自由に出入りできなかったので ハバロフスク から モスクワ までが シベリア鉄道), その後, フィンランド・ヘルシンキ に 1泊2日, スウェーデン・ストックホルム に 2泊3日, ノルウェー・オスロ にも 2泊3日 滞在。オスロを 5月1

1983年5月9日 〜 ソ連の対ナチスドイツ戦勝記念日当日, 首都モスクワにいたのだった

今般のロシアによるウクライナ侵略により, 今日 2022年5月9日, すなわち今年のロシアの対ナチスドイツ戦勝記念日が, 例年のそれ以上に世界の注目を浴びている。要は今日プーチンが何を言うか, その内容によりこの戦争の今後の成り行きを占う, もしくは検討できる可能性があるからなのだが。 ロシアのウクライナ侵略は何によっても正当化することができず, ロシア軍が即刻ウクライナの領土から撤退すべきであることは論を待たないのだが, 本 note はそれについて書こうとするものではな

1983年4月26日, 39年後の同日つまり今日と同じ火曜 〜 ユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅へ出発, 横浜港からの船で向かった先は当時のソ連, 今のロシア!

今からちょうど39年前の1983年4月26日は, 今日2022年4月26日とたまたま曜日が同じ, 火曜日だった。いや, 暦を踏まえれば, この39年間に過ぎていった日数を 7で割ると割り切れるというわけだから, これは偶然というより必然といえばいいのか。そもそも曜日が一緒というのは大した意味があるわけでもないけれど。それはさておき, 旅立つ前 1) 1960年911 に知る人ぞ知る!静岡県の遠州森町というところで生まれた拙者(いきなり「帰国」「帰郷」note へのリンクだけ

ロシアのウクライナ侵略は非, 即刻撤退すべき, だが一方で, アメリカ合州国のそれほど巨大で醜悪な 〜 偽善とダブルスタンダード 〜 は 他にあるだろうか?

ウクライナに一部ネオナチ勢力がいるにせよ(本 note 後段の章にて詳述), そのことでロシアによるウクライナ軍事侵攻(侵略)と民間人の殺戮が正当化されないことは論を待たない。だがしかし, この機会に, 例によって「正義の味方」然とまさに当然の「反侵略」の声を上げて国際社会の中心に躍り出るアメリカ合州国のそれほど, 巨大で醜悪な 偽善とダブルスタンダード を筆者は知らない。 いや, 彼らは「正義の味方」面などしてないとか「躍り出」たりしてないとか言うのだろうが, 自らの狭

1984年2月4日 帰郷 〜 1983年4月26日に日本を発ってソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア諸国を旅して 285日目

前説1983年4月26日, 1960年9月11日に「秋葉路や, 花橘も茶の香り。流れも清き太田川, 若鮎躍る頃」から3ヶ月ぐらい後だろうか「松も緑の色も冴え」た時期は過ぎ, 夏が終わった頃に「遠州森町良い茶の出どこ, 娘やりたやお茶積みに, ここは名代の火伏の神。秋葉神社の参道に, 産声あげ」た「快男児」(だったかどうか判然としないが, 笑)「昭和の」じゃなくて令和の「御代」(って俺は天皇制要らないよ論者だが, 笑)「まで名を遺す」(いや俺は, 天皇制がまだ続くなら次の年号以