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1983年4月26日 ユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行への出発(旅立ち) 〜 旅立つ前と後に読んだ本、旅立つ前に聴いていた曲 ♫

バイトで金貯め, 計画的に留年・休学へ

成り行きで札幌に住むようになり(まぁ最終的には [家族とは至って円満だったものの] 故郷からなるべく遠く離れてみようと思い, 北海道か九州かで, 北海道を選んだ)、

1979年3月下旬に札幌に移住し 同年4月に大学入学)

大学1年の頃から既にインド行きを思い立ち(理由とか動機は何だっけ, それは思い出したらまたいつかの note 投稿にて, 笑)、そのうちインドだけでは飽き足らず更に広い世界を見たい(こういう時は拙者どちらかと言うと「観たい」を使う方が多いが今日は小田実「何でも見てやろう」に敬意を表し,「見たい」)と思うようになり、それまでのバイト(札幌北24条ミスタードーナツ, 家庭教師, 引越し屋, 遺跡発掘, 地図作成調査, などなど)で貯めた金では目標額にほど遠かったため、大学4年の前期は「ほぼ」大学に行かず(週1のゼミは行き, 当時の学生の常?授業に出てる学生のノートのコピーで一夜漬けして期末の試験日だけは出て)札幌北24条の居酒屋「村さ来」でバイト(長い日は午後3時に出勤・開店準備, 5時開店, 深夜3時閉店時間も客が残る3時半過ぎ, あるいは4時近くまで営業, その後は店内掃除・片付け, 更に残った食材で料理人が作ってくれたゴーカ盛り合わせで店長や料理人やバイト仲間と明け方の宴会, 外が明るくなってから店を出て, 朝7時ごろアパートに戻る, 爆睡後, 午後3時もしくはシフトにより 4時, 5時にはまた出勤)を約半年間続け、そこまででようやく大学1年の時からバイトで貯めてきた金, 旅行資金のための貯金額が 約100万円になり(たぶん若干超えたぐらいだったと思う)(1USドル=約250円の時代)、翌1983年4月からの「ユーラシア大陸一周旅行」実行の目処が立ったため

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(上の写真, 詳しくは更に上の方でリンク貼った札幌時代のこと書いた以前の note 投稿テキストにて言及; なお言うまでもなく!「ユーラシア大陸一周旅行実行委員会」なるものは存在せず, 存在したとしても会員数・委員数は一人, つまり「委員長」と「平委員」を一人で務めたのが拙者, なげぇカッコだったなカッコマン!)

話を戻すと、とにかく,

そうして翌1983年4月からの「ユーラシア大陸一周旅行」実行の目処が立ったため、ってか, そもそも99%?の学生が就職活動, 当時言うところの(今も言う?)「会社まわり」をする中, 最初から翌年度は「ユーラシア大陸一周旅行」実行のつもりで就職活動など何もせずにいたのだが、兎にも角にも旅行資金の目処が立って翌1983年春からの旅立ち

あ、間違えた(笑)、旅立ち=出発, 「出発(たびだち)の歌」はこっち ♫

兎に角ですね、

翌1983年春に出発・旅立ちして「ユーラシア大陸(ほぼ, 笑)一周旅行」を敢行することを最終決定し、大学4年の後期は意図的に翌年度(以降)に単位を残すことを計画して履修講義数を絞り(しかし何事も完璧に計画通りにはいかないもので一つ想定外の単位を落とし、1科目分だけ単位を残す計画だったところ、2科目を翌年度以降に残した, しかし細かい話だね!)「計画的な留年」を敢行(って言うかこれ, 笑)、一方で大学当局には翌1983年度一年間の休学を申請した。休学許可、ありがとう北海道大学!

で、1983年3月初旬ごろだったと思うが, 札幌北19条のアパートを引き払い、我が故郷、静岡県遠州森町 〜 そうです、あれ、

イントロの三味線と掛け声を聴いてから, 00:15 ~

秋葉路や、花橘も茶の香り。
流れも清き太田川、若鮎躍(おど)る頃となる。
松も緑の色も冴え、遠州森町良い茶の出どこ、
娘やりたやお茶積みに、ここは名代の火伏(しぶせ)の神。
秋葉神社の参道に、産声あげし快男児。
昭和の御代(みよ)まで名を遺(のこ)す、遠州森の石松
不便ながら、務(つと)めます。

そうです ♫ 我が故郷, 静岡県遠州森町に帰り、1983年4月26日の横浜港からの旅立ちの前まで、故郷の実家(生まれ育った家ではなく拙者の大学進学後に同じ遠州森町内で引っ越した先の家なんだけど、細かい話!)で過ごしたのであった。

あのですね、ここまでの話、長かったねぇ, Long Distance

ではでは、ようやくのこと、

あ、その前にいちおう書いておくと、要するに1983年度は休学してバックパッカー海外「放浪」もどきの旅をし、1984年度に大学に復帰してまったりと過ごしつつ, 残しておいた単位を修得、大学は 1985年3月に卒業した。

ではでは、今度こそ、

ようやくのこと、

1983年4月26日出発の「ユーラシア大陸(ほぼ)一周旅行」に旅立つ前に読んだ本, 戻ってから読んだ本

について。というわけで、

章をあらためよう, でも案外、残りの話は早く終わっちゃったりして(笑)。

旅立つ前に読んだ本、戻ってから読んだ本の中から..

もちろん旅の前後に読んだ本の全部ではないけれど、あの時の旅に直接関連した本やそこそこ関連する本、更に一部「何となく」(笑)関連するかなという本を選んでみた。

以下の写真(2枚)の中の本の一部、明らかに「戻ってから」読んだ本が混じってる。

上は Facebook に投稿するために 4年前の今頃、我が家の畳の部屋で撮った写真。下は今朝、居間で撮った(撮影場所には意味は.. ない, 笑)。

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上の写真から,

そうだ何となくこれを載せる(2017年4月30日 Facebook 投稿に書いた駄文)。

昨夜 ナン Naan や チャパティ Chapati のこと投稿してたらインドが懐かしくなった。インドは 1983~ 84年の冬、1ヶ月半いた。元旦は Varanasi वाराणसी vārāṇasī にいて、Ganges で初日の出を見た。インドには歳くってからまた行ってみたいと思ってたが、いまだ再訪してない。あそこは仕事とかでは行きたい気は全くしないが、旅なら魅力ある。とりあえず今朝、インド関連本引っ張り出してみた、「チベット放浪」「逍遙遊記」「全東洋街道(下)」はインドじゃないけど、それぞれ三部作、(上)(下)繋がってる話だからね(;^_^Ah so Naan だ。
(;^_^Ah so datta 「東京漂流」も勿論インドじゃないけど、全東洋街道を旅して日本に還って来て、それで当時の日本の惨憺たる状況を書いた本なのでこれも繋がってて切り離せない。因みに因果応報?日本はあれから35年ほど経ってますます酷くなったと思う。でも若い人には希望感じる。おい、インド関連話のはずだろ、(;^_^Ah so Naan だ。  

本のタイトルを列記すると、「インド入門」(辛島 昇 編)、「甦る楽園と地獄 インド・ネパール旅の絵本」(清水 潔)、藤原新也「インド放浪」「チベット放浪」「逍遙游記」「全東洋街道」(上・下)「メメント・モリ」(グレーのカヴァーの方は 2008年の新版, もう一冊は 1983年のオリジナル)「東京漂流」、写真の中で何の意図もなく「メメント・モリ」2冊で挟んでしまった堀田善衞の名著「インドで考えたこと」。

(「メメント・モリ」の新版の方はもちろん後年、「インド入門」と「インド・ネパール旅の絵本」、そして堀田善衞「インドで考えたこと」は全て間違いなく旅の前に読んでた本、一方で藤原新也「インド放浪」「チベット放浪」「逍遙游記」の3冊は巻末に記載の(自分が買った版の)発行日からして旅から帰って来て1984年に読んだ本、藤原新也の残りは全て(同)発行日からしておそらく旅立つ前 (直前含む) に読んだ本。)

下の写真は,(仏教関連 2冊とニーチェ「ツァラトゥストラ(かく語りき)」については旅から帰ってから1984年中に読んだもの, 残りは全て旅の前; ただしヘンリー・ミラーの2冊は帰国後かも)

黒田寿郎「イスラームの心」、荒 松雄「ヒンドゥー教とイスラム教 〜 南アジア史における宗教と社会」、渡辺照宏「仏教」「お経の話」(買った版の発行日からしてこの仏教関連 2冊は旅から戻った1984年中に読んだもの)、「ベイルート 1982 - イスラエルの侵攻と虐殺」(PLO中央評議会「サブラ・シャティーラ特別委員会」発行、写真は広河隆一と長倉洋海だが多くの写真と文章が広河によるものであることは近年明らかになった広河の女性スキャンダルを想起すると辛いものがある, しかしながら1982年のイスラエルのレバノン侵略と侵略下でイスラエル軍の協力のもと現地キリスト教右派民兵が起こしたパレスチナ難民虐殺事件、それらによるパレスチナ人・レバノン人の犠牲者の悲惨、その事実に変わりはなく、要するに犠牲者など現地の当事者たちは広河の問題と何ら関係ないわけで、これが歴史的な「価値」がある写真集であり記録であるのは確か)、それから「パレスチナ問題とは何か」(中東の平和をもとめる市民会議 編, 編者代表・板垣雄三, 芝生瑞和, 清水 学, 森 詠)、ニーチェ「ツァラトゥストラ(かく語りき)」(手塚富雄 訳)、E.H.カー「歴史とは何か」、小田 実「何でも見てやろう」「地図をつくる旅」、小田 実・開高 健「世界カタコト辞典」、田中克彦「ことばと国家」、重信房子「十年目の眼差から」(私と同世代ぐらいまでなら名前を記憶している人は多い, 今現在は獄中の元・日本赤軍リーダーの当時いたレバノンからの便り; 念のため書いておくと 私は彼女の思想や行動には一切共鳴しないのだが、1983年4月26日に日本を発つ予定で同年秋ぐらいには中東を旅しているだろうというそんな旅の計画を持っていた人間として、1983年1月20日発行のこの本を買って読んでおこうと思って, 読んだのだった!)..

以下の note 投稿、現時点, 筆者以外は誰も読んでないけど(笑)、ちょっと自分向けの備忘録(あ、そういや, ロバート・キャパ「ちょっとピンぼけ」も読んだよ、大事な本なのにおそらくはここ数年音信不通の旧友が俺から借りて持っていったまま!返してくれ!)。

そして残るは, ヘンリー・ミラー「北回帰線」「南回帰線」!!

1981年12月アメリカ合州国公開、1982年4月日本公開のウォーレン・ベイティ製作・脚本・監督映画 Reds は大好きな映画の一つだけど、あの映画の中でロシア革命当時のジョン・リード(ウォーレン・ベイティが演じた)とルイーズ・ブライアント(同、ダイアン・キートン)を知る人物の一人としてそのインタヴュー映像が流れたヘンリー・ミラー(Henry Miller: December 26, 1891 – June 7, 1980; だから死の直前に撮られたインタヴューだった, ギリギリ, 映画製作期間に間に合ったインタヴューと撮影だったことになる)のことも, 何というか、彼はいろんな政治運動に懐疑的だった人だと思うけれど実は彼なりにジョン・リードやルイーズ・ブライアントをリスペクトしていたのではとも思えて、とにかく興味深い!

話、逸れたけど、あの旅で最初に行ったのが当時のソ連、つまりソビエト社会主義共和国連邦(Союз Советских Социалистических Республик, СССР)、英語で言うなら Soviet Union, つまりは Union of Soviet Socialist Republics, 略して USSR だったわけで, Back in the U.S.S.R. ♫ 

ではでは、

最後に、

1983年4月26日出発の「ユーラシア大陸(ほぼ)一周旅行」に旅立つ前に聴いていた曲 ♫

について。というわけで、

章をあらためよう, でもこれ、もう疲れたので(笑)簡単にする!.. と思う。

旅立つ前に聴いていた曲 ♫

1983年から1984年にかけてユーラシア大陸を「ほぼ」一周するようなルートでバックパッカー海外「放浪」もどきの旅をしたわけだけど(*2)、その前の1年間ぐらい、どういうわけか、アルゼンチンの作曲家・バンドネオン奏者であるアストル・ピアソラ(Astor Piazzolla: March 11, 1921 – July 4, 1992)が作曲し 1974年にリリースした "Libertango" にジャマイカ系アメリカ人の歌手・モデル・女優のグレイス・ジョーンズ(Grace Jones)が歌詞をつけ、タンゴにレゲエやシャンソンの趣を加えてリメイク、1981年にリリースした "I've Seen That Face Before (Libertango)", それから、ドイツのホルガー・シューカイ(Holger Czukay)の "Persian Love" (1979年リリースのこの曲は 1981年のスネークマンショー2枚目のアルバムに収録されていたので知った)ばかり聴いていたような記憶がある。もちろん他にも聴いていたんだろうけど、時間が経つにしたがって、その 2曲以外は聴かなかったぐらいの誇大広告ならぬデフォルメ記憶みたいなものが出来上がってしまった。

というようなことを以前も書いてたので、そこからコピペ編集して上に書いた。

この曲を初めて聴いたのは、札幌にいた学生時代(*1)、「もうすぐ、時計の針は12時を回ろうとしています。今日と明日が出会う時、クロスオーバーイレブン…」, そうですアレ、かつて NHK-FM で放送されていた『クロスオーバーイレブン』の中で流れた時だったと思う。たぶん、曲がリリースされた1981年か、あるいは翌1982年。1983年から1984年にかけて筆者はユーラシア大陸を「ほぼ」一周するようなルートでバックパッカー海外「放浪」もどきの旅をしたんだけど(*2)、その前の1年間ぐらい、どういうわけか、グレイス・ジョーンズ(Grace Jones)の "I've Seen That Face Before (Libertango)" と ホルガー・シューカイ(Holger Czukay)の "Persian Love" (1979年リリースのこの曲は 1981年のスネークマンショー2枚目のアルバムに収録されていたので知った)ばかり聴いていたような記憶がある。もちろん他にも聴いていたんだろうけど、時間が経つにしたがって、その 2曲以外は聴かなかったぐらいの誇大広告ならぬデフォルメ記憶みたいなものが出来上がってしまった。

というわけで、"I've Seen That Face Before (Libertango)" ♫ そして "Persian Love" ♫

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた 英語および一部フランス語 の歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

上の 3つは音源はどれも同じ ♫

*1 これって今日のこの note 投稿の冒頭でも載せたリンクだけど!

*2


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