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天才と私

私の周りには多才な友人が多い。

 
まず大前提として性格がすこぶる良いのだが 

①成績がクラストップや学年トップ
②顔がかわいい、スタイルが良い
③歌が上手い、絵が上手い

 
そういった友達が何故か多かった。
特に豊作なのは高校時代である。
クラスメートは医者や薬剤師、社長の子どもが多く
容姿端麗でしかも頭も良く
カラオケに行けば歌も上手い。
年賀状のイラストのクオリティは高すぎてビックリするくらい
絵の才能がある人が揃っていた。

  
のちに、高校時代のクラスメートが

女優になり(CMやPVにも出演したり、映画主演もこなしている)

プロの漫画家になり(出会った頃から20歳前にデビュー目標に燃えていた。本当に叶えた)

よしもと芸人になり(イケメンがどうしてその道に!?)

劇団を立ち上げたりと(フォロワー数が凄まじい!)

 
うん…………やはり、高校時代は色々な縁で、たまたまそういった方が私の周りに集まったらしい。
大学時代に仲がよかった子もやはり頭が良く、絵も上手かったが
それでも私は「…あの人以上はいないな。」と内心思っていた。

私が絵や歌が上手いと感じる人は友達にたくさんいたが
天才と感じた人は、たった一人である。

 
 
 
 
私は小さい頃、とにかく絵を描くことが好きだった。

みんながお花屋さんやケーキ屋さんや花嫁に憧れていた頃
私の夢は絵描きさんだった。

 
公園などでビニールシートの上で自作の絵を並べて売り
似顔絵やその場で即興に描いた絵をお客さんに売る絵描きさん。

 
あの絵描きさんにどれだけ憧れただろう。
私は幼稚園から小学校高学年まで、夢は一貫して絵描きさんだった。

 
 
私がそんな夢を語ると父親は、「絵を描くだけでは食べていけない。」と少女の夢の芽をアッサリ摘んだ。
なんて夢のないリアリティな父親だ。
夢くらい見たっていいじゃないか。

 
姉は姉で漫画家になりたかったが
私より二歳年上の姉は
私より現実をよく知っていて
親に夢を言い出せなかった。
反対されるのは目に見えていたし、自身の才能をよく知っていた。

 
私は私で小学生になり、段々現実は見えてきた。
幼稚園の頃は「上手い上手い。」と褒められた絵も
小学校に入れば上には上がいて
賞がとれないことが現実として私に突き刺さった。
必ず入賞はする。
でも、金賞や特賞はとれない。
私は絵を描くことが好きなだけの凡人で、至って普通の人だった。
図工の成績は良かった。ただ、それだけだ。
図工の絵だけでなく、自由帳に描く女の子のイラストにしても
上手い子はたくさんいた。

 
そして何より、彼女がいた。

 
 
Aちゃんは私の家の近くに住んでいて、よく一緒に帰ったし、遊んだ。

顔立ちは安達祐実さんにどことなく似ている。
つまり、べっぴんさんである。
おっとりした性格で、眼鏡をかけていたので
クラス内では目立たない存在だった。

小学校といったら、スポーツ万能でハツラツとしたタイプがモテるし
ヒエラルキーの頂点を牛耳る。

 
 
絵が好きで目立つことを嫌う私とAちゃんは、クラスでも特に仲がよかった。
Aちゃんは甘えん坊だった。
二人で手を繋いで帰ったら、クラスメートが「レズ!レズ!」とからかい、Aちゃんが泣いてしまった。
次の日、Aちゃんの親が担任に言ったらしく
クラスみんなが怒られたことがあった。

もう周りはレズとからかわなかったが
代わりにAちゃんと手を繋ぐこともなかった。

 
 
 
そんな風に、クラスでパッとしない、からかわれたりしてしまうような子だったが
絵筆を握ったら、彼女の右に出る者はいなかった。

 
描く絵は金賞や特賞が当たり前で
大臣賞など全国コンクールでも上位に食い込んだ。
夏休みの宿題で描くポスターは
ほぼ毎年Aちゃんが選ばれ
入選したポスターは県内至る所で飾られた。

 
「すごいね!Aちゃん!!」

 
私がそう言っても、Aちゃんはあまり賞に執着はしていなかった。
自分にとってより良い絵が描けるか、自分の思い描いた絵が描けるか。
Aちゃんの興味や関心はあくまでそこだった。

 
デザイン画では大胆な構図にダイナミックな色を重ね
写生大会では空や雲の絶妙な色合いを写実的に表現をした。

 
絵や工作というフィールドで
彼女に勝てる人はクラスに誰一人いない…
どころか
学校に一人もいなかった。

 
 
プライベートではトムソンガゼルやライオン等のサバンナの動物を写実的に描くのがブームで
よく私に見せてくれたり、プレゼントしてくれた。
模写も得意で、るろうに剣心の戦いの描写を
これまた正確に表現をした。
Aちゃんからもらった絵を、私は部屋に飾った。 

 
小学校3~4年生でこれである。
私や周りの女子が女の子やお姫様を描いていた時
既に圧倒的な差がついていた。
個性も段違いであった。

 
天才だ……
と私は思った。

彼女を天才というんだ……………と。

 
私は彼女のファンだった。
普段は友達だし、一緒に遊んだり、そろばん塾に行ったりと
対等な立場だったが
私は彼女の手から生み出される芸術の数々に目を奪われた。
クラスメートだからこそ、お題は同じなのだ。

 
同じお題で、こうも新しい発想や技法が駆使されるとは…
え?どうやってこの色合いを出せるの?
何を混ぜたらこんな色を作れるの?
え?このデザイン何これ………
え?何これ………すごい。

 
私は自分の作品に力を注ぎつつ、Aちゃんの作品の途中経過や完成を見ることが楽しみだった。
教室の後ろや廊下に飾られたその絵を
何度も立ち止まっては見て、ウットリした。

 
 
そんな私の横に、クラスの女子がやってきた。

クラスメート「Aちゃんの絵って普通じゃないよね。かわいくない。」

クラスメート「○○ちゃんの絵の方が絶対いいよ。いっつもAちゃんばっかり賞とってさ。」

 
クラスメート「ともかちゃんもそう思わない?」

 
 
Aちゃんは、学年が上がるほど、クラスで浮いていった。
女子の思春期特有のグループ化やお洒落、恋愛話等に興味がなく

普通の女子ではない

と周りが思ったからだ。
毎回賞をとるのも、面白くない人もいるだろう。
Aちゃんがクラスにいる限り、賞をとれる人は減るのだ。
まして、Aちゃんにはきょうだいがいて
Aちゃんのきょうだいもみんな性格がよく似ていた。
おっとりした性格で、芸術的才能がずば抜けていて、やはり美術系の作品は賞を総ナメしていた。
それをよく思わない人もいるだろう。

 
みんなには分からないの?
いや、分かっているからこそ、その才能にひがんでいるの?

私はクラスメートの言葉に対してそう思ったが
Aちゃんの立場が余計悪くなるだけだと思い
クラスメートの子それぞれの絵を褒めた。

 
 
でも、私は確信していた。

 
間違いなく、彼女は天才だ。
私はきっと将来、絵でお金を稼げない… 
だけど
Aちゃんはきっと将来、絵でお金を稼ぐ人になる。

 
似たり寄ったりだったり
真似だったり
どこかで見たことがあるような絵が並ぶ中
一際輝くAちゃんの作品に
みんなは気づかないのだろうか。

 
私は信じていた。
Aちゃんの才能は神が与えた、素晴らしいものだと。

 
 

Aちゃんは目立つことを嫌ったから、みんなには見せなかったが
絵だけでなく、ピアノ演奏もピカイチで、クラリネットも上手だった。
お菓子作りも、他のクラスメートより段違いに上手だった。見た目も味も素晴らしい。

いつも二人きりの時にしか見せなかった姿だ。
かつてのクラスメートは未だにAちゃんのこういった一面を知らないだろう。
 
 
 
小学6年生の時、Aちゃんの家で私は、Aちゃんの母親が描いた絵を「特別だよ。」と言って見せてもらったことがある。
私はAちゃんともAちゃんの母親とも仲が良かった。

 
その絵はべらぼうに上手かった…
私は絶句した。

 
スケッチブックには石像の絵がたくさん描いてあった。
誰かしらモデルを描いた絵もたくさんあった。
鉛筆で描かれたそれは
あまりにも上手すぎて
「すごい。上手い。」とバカの一つ覚えのように
ページをめくるたびにそれしか言えなかった。

 
Aちゃんの両親は共にセンスを問われる仕事に就いていた。
私はその絵を見て、なるほどな、と思った。
両親の才能をAちゃんはしっかり受け継いでいるし
Aちゃんは母親の背中を追いつつ
オリジナリティの追求をやめないのだ。

だから作品がぶれない。
個性の塊なんだ。

 
Aちゃんの家系は確かにみんな絵が上手かった。
だけどAちゃんの母親の絵を見てもなお
私が天才だと思ったのはAちゃんだけだ。

強く光るものがAちゃんの作品にあったのだ。

 
 
 
 
中学校は三年間クラスが別れたが
Aちゃんとは仲が良いままだった。
Aちゃんは美術部には入らなかったが
美術部の誰よりも上手く
美術部の顧問に気に入られた。
中学校でもAちゃんの右に出る者はいない。
Aちゃんは美術科のある高校に特待生でいくことになった。
当然の結果である。

 
 
高校も離れたが、高校自体は近くだったので
高校帰りに待ち合わせしてお茶をしたり
休日に遊ぶこともあった。
 
美術科では県内でも美術が得意な子が集まっていたと思うが
Aちゃんはその中でも輝き続け
次々に大会で輝かしい賞に選ばれた。
その上

Aちゃんの高校の制服が一新することになり
Aちゃんのデザイン画が採用された。

 
私「本当に!?あの制服、Aちゃんデザインなの!?」

 
友「応募数は数千だったみたいでね、最終審査はファッションショー形式だったの。広末涼子さんも審査員で来ていたんだよ。」

 
私「ひぇぇぇ!?広末涼子!?」

 
 
当時、ショートカットがよく似合う爽やかな女性芸能人として
若者に絶大的な人気があったのが広末涼子さんだ。
まさか審査員で来るとは。
そして、ファッションショー形式!?
数千分の一の確立で採用!?

 
 
私はのほほんとしているAちゃんの横でゾクッとしつつ、ニヤリと笑った。

やっぱりAちゃんの才能は本物だ………
天才としか言えない。

私が小学校時代に圧倒されたように
みんなも次々に圧倒されるのだろう。
私はそう思った。

 
 
高校三年生の頃、卒展があるというので、私はAちゃんの作品を見に行った。
美術科の皆さんだ。
やはり皆さん上手いし、センスが良い。
だけど私はAちゃんの作品を見た瞬間

!?!?
おぉ!?
アッハッハッハー!!!!!(笑)

 
と、あまりの凄まじさに笑ってしまった(心の中で)。
全く………見た目はかわいくて、おっとりしているのに
作品だけ見ると豪快すぎて、制作者のイメージがまるで浮かばないな。

そう思った。

 

 
 
お互いに大学に進学してからも、旅行に行ったり、ディズニーランドに行ったりと
時折遊んでいたし
年賀状のやり取りは続いたが
やがてどちらからともなく連絡は途切れた。
自然消滅である。

もともとAちゃんはメールやLINE、電話が嫌いであり
また、外出もあまり好きではなかった。
遠くにも引っ越してしまった。

そういったことも自然消滅の原因であった。

 
 
小中学校時代で一番長く連絡をとっていたのが私であった為
周りの人もAちゃんが今どこで何をしているかは知らない。

 
私が最後に聞いたのは

「パトロン(出資者)がついたので創作に力が入る。」

ただ、それだけである。

 
 
 
今、結婚して絵が上手なお母さんをやっているのか
絵にまつわる何か仕事に就いたのか
それは定かではない。

Aちゃんデザインの制服は数年後、別の人デザインの制服に変わり
今ではもう見ない。

 
 
私はそれでも夢を見ている。
いつか本の表紙とか、街のポスターとか、何かしらでAちゃんの名前を見ないかと。
もしかしたら本名以外で活躍していたらもはや手がかりはないが
いや、きっとAちゃんの作品タッチが、私なら分かるだろう。
そんな自信が
連絡をとらなくなってからもう五年以上経つのに
何故か私にはあるのだ。

 
 
 
 
小学生の頃、Aちゃんの才能を前に現実的な職業を考え、福祉職に就いた私は
それでも趣味で絵を描き続け、やがて雷都少女(地下アイドル、ローカルアイドル)のCDジャケットや歌詞カードに絵が採用された。

これはファンとアイドルメンバーからの投票制の企画であり、作者名を知らない状態でみんなが選ぶので
毎回ハラハラドキドキである。

 
自分なりの思いを全力で込めて挑んでいるのは間違いないが
皆さんの絵は非常に上手く、センスがあり
他の絵を見た時に「負けた……。」といつも思っていた。

 
だから最初に3位入賞(歌詞カード採用)
次に2位入賞(裏ジャケット採用)
その次とその次に1位入賞(ジャケット採用)

順調に順位を上げていったのは
もはや私の執念であり
採用されたのは今でも夢のようである。

 
私の絵が圧勝ということはいつもなかった。
それぞれの絵にはそれぞれの良さがあり
もちろん一定の技術は要求されるが
最終的に、絵というのは各自の好みである。

 
だから、私の絵に投票してくれた人が誰だか私は知らないが
投票してくれた人
一人一人に「ありがとう!」と伝え
握手し、思い切りハグをしたいくらい
私は非常に嬉しかった。
 

 
採用特典でチェキ券(アイドル写真券)やサイン入りCDはもらえるが、ギャラ自体は全く入らない。
父親がかつて言っていたように、絵でお金を稼ぐことは本当に容易ではないのだ。

 
それでもアイドルの子が、「この絵は曲の世界観をよく表している。」と言ってくれたり
友達が「ともかちゃんの絵が好き。」と褒めてくれる。

 
私の描いたジャケットイラストのCD(正確にはEPだが)が、イベント時に並べて売られ、ネットでも購入できる。
見知らぬ人がCDを手に取ってくれる。
それは絵を描く人にとって喜ばしいことであり
これこそが最大の採用特典だと私は思っている。

 

 
決して天才ではなかった私が大人になり、描いた絵がCDジャケットとして採用されるのだから
人生何が起きるか本当に分からない。

そのシングルは
今、カラオケに入っている。


 

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