見出し画像

解離性同一障害(多重人格)との付き合い方

多重人格を知ったのは小学生ぐらいだろうか。

幼少期に虐待を受けた人がなりやすく、凶暴な人格がいて、犯罪を犯しやすい。
そんなイメージがあった。

 
 
実際、「24人のビリー・ミリガン」を中高生時代に読んだ時に、ビリー・ミリガンもまさにそんな感じだったので、よりそんなイメージがあった。

タイトル通り、多重人格のビリー・ミリガンの実話の話で、なんと24人の人格がいるという。
カバーには24人の年齢や性別等が細かく書かれているが、こんがらがってしまい
上下巻中、上巻を読んでいて私は挫折してしまった。
登場人物が30人を超えるのである。

私は登場人物が多く、かつ登場人物が外国人だと頭がパニックになりやすい。

湊かなえさんの「高校入試」も
高校が舞台になっているので、とにかく登場人物が多くて、相関図が載っていても何回も読み返しが必要となった。
日本人の名前で、登場人物が30人未満でも、なかなかに大変だった。

 
「24人のビリー・ミリガン」は姉の持っていた本だが、姉は姉で挫折した。
ビリー・ミリガンはかなりの長編である。
同じダニエル・キイスさんの「アルジャーノンに花束を」(こちらもまぁまぁ長編である)は後に読み切ったが
今なら「24人のビリー・ミリガン」を読み切れる……という自信はない。

ビリー・ミリガンは私が人生で初めて挫折した本であり、唯一挫折した本でもあるのだ。
私の中でそれは心の染みとして残った。

 
 
姉はその後、「ダブル・キャスト」というゲームを行っていた。
主人公美月は記憶喪失なのだが、実は多重人格で
プレイヤーが選択を間違えると、美月は人を殺しまくってしまう。バッドエンドだ。
いかにもなアニメ絵なのに、血まみれなのが私は苦手で、怖くて私はそのゲームができなかった。
姉のプレイをチラッと見るくらいだ。

姉は「かまいたちの夜」のゲームも好きだし
小説や映画の「バトル・ロワイアル」も好きだし
それどころかバトロアの二次創作までしていた。

バトロア映画を見に行ったら
夜眠れなくなった私とは大違いだ。

 
 
漫画やアニメ「幽☆遊☆白書」でも、多重人格のキャラクターがいた。
主人公の敵の仙水さんだ。
様々な人格がいて、主人公が戦っていたのは主人格ではなかった…というのは、当時衝撃だった。

 
 
 
私にとって多重人格は、決して身近な存在ではなかった。
本やゲームの世界で、非日常的な存在だった。

それは私が多少悩みがありつつも
幸せに生きてきた証拠なのだろう。

 
「私、多重人格なんだ。私の中には四人の人格がいる。四人兄弟なんだ。」

 
私がそれを打ち明けられたのは、17歳の頃だった。
喫茶店で、まばらに人がいて、私達の席の近くには他に人がいなかった。

 
「私の中には兄、姉、私、妹がいる。」

 
友達はそうも言った。
多重人格は、それぞれ名前や年齢や性別が異なるくらいは知っていたが、兄弟と言い表すのは初めて聞いた。

 
友達の家庭環境はよかった。
他の人格があらわれたのは、学校でのイジメが原因らしい。

 
 
私は身近な人から多重人格と打ち明けられて、ビックリした。一瞬、言葉に詰まった。

 
私「……私は他の人格と話したことあるのかな?」

 
友達「兄や姉は会ったことがあるよ。妹は滅多に出てこないんだ。」

 
私「今話しているのは主人格…でいいんだよね?」

 
友達「そうそう。」

 
私「(多重人格だって)気づかなかった…。」

 
友達「場面場面で上手く切り替わるしね~。周りも知らないし、気づいてないよ。」

 
私「他に人格があらわれるほど、学校生活辛かったんだね。」

 
友達「まぁ色々あったよ。ただ、今辛いのは、統合するように(精神科の)先生に言われたこと。」

 
私「統合が辛いこと………?」

 
友達「私達四人は仲良しなんだ。兄弟を消したくない。消さなくていいのに。」

 
 
多重人格は一般的に、何らかの辛いことがあり、それを受け止めきれない際
「今辛いのは自分じゃない。」と思うところから他人格が生まれるきっかけになるらしい。

辛さや苦しみは他の人格が受け止めてくれるから
その分の記憶が主人格から抜けて生きやすくなる…

らしい。

 
 
だから、統合するということはつまり、現実や苦しみと向き合うことになる。
他の人格を生み出す程の現実や苦しみを受け入れることになる。

 
「私達四人は仲良しなんだ。兄弟を消したくない。消さなくていいのに。」

 
友達の言葉は私の胸に響いた。
多重人格の概念を変えた。

多重人格は無理して統合するものでもないのかもしれない。

友達は他の人格に交代している時も、内側から世界を見ているようだし
無理矢理な人格交代はないようだ。
犯罪を犯すような、攻撃的過ぎる人格はいないようだ。

 
彼女が生きやすくする術が多重人格ならば
共存であったのだろう。
そのバランスを崩すことで、別の問題も派生しそうな気がした。

 
 
彼女とはその後も長い付き合いだが、多重人格の話題をお互いにあえて出さなかった。
ただ後に、統合した………つまり、多重人格ではなくなったことだけは聞いた。

今、彼女は結婚し、旦那さんと仲良く穏やかに暮らしている。

 
 
 
彼女から多重人格とカミングアウトされた後、私は大学で多重人格について学んだ。
私は臨床心理学を専攻していた。

一般的には多重人格と呼ばれるが
正式には解離性同一障害と呼ばれるそうだ。

私はカミングアウトした友達が、講義中に思い浮かんだ。

 
 
講義の後、大学の友達と解離性同一障害についての話になった。

 
友達「私は離人感ある時あるよ。自分の体からフワッと体が浮いて空から周りを見てる感覚。」

 
私「へぇ~夢の中で、“これは夢だ”って自覚して世界を眺める感覚に近いのかな?」

 
友達「あと、感情に人格があるイメージ。」

 
私「感情に人格!?」

 
友達「ともかなら分かるんじゃないかな?自分が感情的になる時、それが自分だけど自分じゃないみたいな感覚。

ちょっと思い浮かべてみて?」

 
 
なるほど、私は意識的に自分の感情と向き合ってみた。
感情の擬人化、に近いかもしれない。
私は感情を色で表して名づけた。

【RED】
・17歳。
・男子高校生。
・短髪黒髪。目は赤。口元をきつく結び、目力は強く、相手を睨んでいる。
・怒りを担当。
・自分の正義に忠実。
・友達や家族を傷つける人には、誰であろうと立ち向かう。ケンカっ早い。
・理不尽なことも許せず、ハッキリと不満を伝える。

 
【PURPLE】
・24歳。
・女性。マキシ丈ワンピースを好む。
・薄紫色の髪は長く、ゆるふわなパーマ。目は濃いめの紫色。泣きそうな顔をしている。
・悲しみや寂しさ、孤独感を担当。
・口癖は「ごめんなさい。」「許して下さい。」「私が全部悪いんです。」「嫌いにならないでください。」
・見捨てられ不安が非常に強い。
・自分に自信がない。

 
 
友達に言われてみて、あっという間にREDとPURPLEが浮かび上がり、詞が趣味だった私はイメージソングを作り、絵を添えた。

なるほど、こんな感じの延長なのかもしれない、と私は思った。 
彼等は私の中にいるが、私とイコールではない。
ただし、一部ではある。
私の感情を彼等が担う…もしくは私と彼等で上手く共存するように
解離性同一障害の方々はこんな風に人格が形作られていくのかもしれないと思った。

 
 
数年後、ある友達と絶縁したことをきっかけに、今度はWHITEが生まれた。
私はまたしてもイメージソングにイラストを添えた。

【WHITE】
・年齢は自分さえ知らないが、見た目は10~20代。
・女性だが、中性として扱われたい。白いシャツと白いズボンを好む。
・白髪でボブ、目だけは黒。うっすら笑みを浮かべている。
・消滅願望を担当。
・いかに世界から消えるかしか考えない。
・消えること以外に興味はない。

 
 
こうして私の中には、REDとPURPLEとWHITEが混雑した。
かつて友達が言ったように、確かに三人は仲良しだし
私も含めて四人で一つだった。

人格交代はない。
解離性同一障害でもない。
あくまで、自分の内部にある感情擬人化だ。
ただ、ハッキリとWHITEが浮かんだ時、私は悲しかった。

満たされていないことへのあらわれだったのは確かだからだ。

 
 
だが、やがて私の中で彼等は消えた。
統合に近いのだろうか。
怒りや悲しみ等を感じても、彼等は浮かばなかった。

そのきっかけは、就職と恋人だった。

仕事が楽しく、また恋愛でも満たされた私は
私らしく自分を受け入れ
若かった頃よりも感情は徐々に落ち着いてきた。

 
 
 
私が彼女に出会ったのは、そんな頃だった。

仕事の関係で、解離性同一障害の方と関わった。
私は福祉施設に就職していた。
私は担当ではなかったのであまり関わってはいないが、人格交代する瞬間を直に見たのは初めてだった。

 
解離性同一障害の他にも様々な病気を抱えたり、自傷行為を繰り返して非常に不安定で
施設を休みがちな日々が続いた。

精神系の方が施設利用をした際、毎日通所は難しく
また定着も非常に難しかった。

 
彼女も他の精神系の人と同様に、施設は休みがちであり
通所しても不安定で、職員を独占して泣きわめいたり、話が止まらなかったり、甘えたりと
職員への強い依存が見られた。

職員は一人で利用者を10人以上見ることもざらだ。
精神系の情緒不安定な利用者が一人通所するだけで
途端に職員は手が足りなくなった。
しかも、精神系の利用者は自立度は高い為、区分は軽く
通所したところで、施設にはあまりお金が入らない。

 
精神系の利用者を福祉施設に受け入れる際は、なかなか受け皿が見つからなかった。
受け皿が見つかっても
利用者の方にとってより良い生活を目指すとなると
なかなかに成功率は低かった。

精神系福祉施設なら上手くいく、というわけでもない難しさがあった。

 
施設の特色や組織の性質上
精神系の利用者の受け入れは、様々な課題があった。

 
 
彼女は半年で退所した。

そもそも、半年在籍していても、週に数えるほどしか通所していなかった。
退所理由は精神状態悪化であった。
それまでも自殺未遂を繰り返していたが
施設を退所してから間もなく、彼女は自殺して亡くなった。

 
 
私が入職してから初めて、施設関係者で命を失った人は
元利用者で自殺だった。

私はやるせなかった。

 
自殺未遂を繰り返した末……であったし
自殺未遂をして三日後に自殺であったからだ。

 
 
無力さを感じた。

 
人の支えになるとか、力になるとか、話を聞くよ、なんて
言葉で言うほど容易くなくて
私達職員が利用者にできることは
本当に僅かなことだった。

 
 
 
 
 
二年前、「実録 解離性障害のちぐはぐな日々」というエッセイ漫画に出会った。

Tokinさんの実話であり、今まで読んだ解離性障害の本の中で一番分かりやすかった。 
専門書より漫画はスッと入りやすいし
見やすい絵や表現も絶妙だ。
 
Tokinさんは当事者として、体験したことや感じたことを発信し続けている。
本の出版だけでなく、フリーペーパーの発刊、SNSの発信、トークイベントやライブペイントにも意欲的だ。

 
 
私はまだまだ勉強不足で、知らないことはたくさんある。

こうして様々な人や様々な生き方や価値観があることを知り
出会った人や身近な人の何かの力になれたらと
いつも思っている。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?