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大人の発達障害

この前、友達と電話をした際に、発達障害の話になった。

私「元職場(障害者福祉施設)に発達障害っぽい職員が複数人いたよ~。」

 
友達「利用者じゃなくて?」

 
私「【職員が】発達障害。しかも全員正職員。友達の職場(学校)にも、発達障害っぽい先生がいるって言ってたね。」

※私とその友達は臨床心理学を専攻していたので、察することができる。

 
 
友達「働けるの?」

 
私「発達障害の人は知的障害があるとは限らないし、医者とか俳優とかもいるのよ。私の大学教授もそうだったし。
大人の5~10人に一人は、何らかの障害か発達障害らしいよ。」

 
友達「そうなの!?」

 
私「有名な人だと…エジソンやさかなクン、セカオワの深瀬くん、栗原類くんも発達障害だよ。」

 
友達「発達障害の人、才能あるじゃん!」

 
私「まぁあれよ、発達障害=才能があるんじゃなくて、健常者も障害者も一芸に秀でている人は秀でているし、自分の能力や特技、興味のある分野が仕事に活かせるか否かの問題なのよ。」

 
友達「そっか、そういうもんなんだ。」

 
私「ただ、発達障害の人は障害年金もらえるわけじゃないし、診断受けたから就職有利というのもない。職場にカミングアウトしても、逆にいい結果にならないこともある。カミングアウトしなくても、みんなと同じようにできないから、人間関係つまづいたり、仕事先で辛い思いはするから大変よ。

社会は普通を求めるし、職場は即戦力を求められるしね。」

 
 
 
 
 
私が高校生くらいの頃、ADHD含め発達障害という言葉や概念を知った。
実際にADHDの方に会ったのは、大学の時だ。

「私はADHDです。これでも昔より落ち着いたんですよ。」

講義中、大人気の教授がサラッとカミングアウトして、みんなは呆気にとられた。
別の講義の教授もADHDだとカミングアウトした。

なるほど、確かに二人とも多動といえば多動かもしれない。

ただ、二人の教授は講義が分かりやすく、また特定の分野の研究で有名な方だった。
発達障害というとネガティブなイメージがあったが、私はその出会いがきっかけで払拭された。

 
 
次に出会ったのは、彼氏だった。

職業は医者であったが、彼は「自分は軽い発達障害だと思う。」と言い、私も「そうではないとは言い切れないね。」と応えた。
非常に微妙なラインだとお互いに思ったが
おそらく発達障害だったと思う。

彼はとても優しく穏やかだったが、時々首をかしげることをやっていた。
価値観や性格の違いではなく、おそらく発達障害だから…であろう。
職場でもそれで失敗したり、私とのケンカもそれによるところがあった。

 
診断を受けていないからハッキリはしないが
発達障害であったとしても、私は彼と結婚するつもりだった。
私を振ったのはむしろ彼だし
よりを戻したがったのも彼だが
恋愛はタイミングがある。

私は彼が他の女性を選んで、三年以上付き合っていた私と婚約破棄したことが許せなかった。
例え彼がその他の女性と離婚していても、だ。

 
 
 
私は学校を卒業した後、障害者福祉施設に入職した。

大学で臨床心理学を専攻し、専門学校で社会福祉を専攻していた私は
心理学と福祉の知識があり
障害者福祉施設で働くことにより
障害者と関わる経験値をじわりじわりと増やしていった。

「うちの子、発達障害かな?」
「○○さんちの子、どう思う?知的障害かなぁ?」

 
20代で働き出した頃
公私共にそのように聞かれることが非常に増えた。

 
父は学校で働く身として
母と姉は認定こども園で働く身として
私は障害者福祉施設で働く身として
しばしば我が家では、その事例の子は障害者か否かを話した。

 
私の家族は、全員が障害者と関わる仕事だった。

 
母と姉は0~6歳までの、健常な子どもの発育や養育のプロだし
姉の職場は障害児受け入れに特化した認定こども園だったので、障害児についてもかなり詳しかった。
母も、障害児と関わったことは多い。

二人とも、保育や幼稚園現場経験が15年以上のベテランである。

 
父は父で、大学卒業から定年退職まで学校一筋で
小学1~6年生の健常な子どもの様子に詳しい。
その道30年以上である。

定年退職後も学校で働いているから、未だに現役である。

 
 
私の施設は18歳以上の方が利用者だったので
私は大人の障害者に詳しかった。

 
 
 
そんなわけで、我が家では保育・教育・福祉(心理)の面から、【その人は健常者か否か】を話した。

母「○○さんは●●な行動が目立つのよね。」

 
父「○○さんは何歳?」

 
母「▲歳。」

 
私「じゃあ家庭環境が要因じゃない?愛着障害と発達障害の違いって、そのくらいの年だと分かりにくい。」

※愛着障害……愛情不足であったり、虐待されたりと、成長時に家族から十分な言葉かけや育成がない場合に子どもに起きる様々な課題や問題。
成長時に言葉の習得が遅かったり等できないことや他の子どもより習得に時間がかかることが多い。

 
父「まぁ今のままじゃ検診で引っ掛かるね。」

  
姉「成長には個人差があるから、▲歳で×××でも一概に障害とは言えないけど、可能性は高いよね。」

 
 
…といった具合だ。

 
面白いことに、大抵の場合、家族内で意見は満場一致である。
【障害者】or 【健常者だが、環境要因故にそのような状態】という判断は
家族内で意見は別れない。

最終判断は医療分野のプロが下すのだろうが
家族四人が各事例に関して思うことは同じであることが面白い。

私は家族みんなで、こういった会話をすることが好きだった。
各分野のプロが事例に対して意見を述べるのは、一種のケース会議のようだし
話し合いは実に建設的である。

 
 
話し合い中、健常者か否かは家族内で結論は出るが、その先は私の得意分野だ。
つまり、もし障害者だとしたら、何の障害か、という疑問だ。
家族内で一番障害に詳しいのは私になる。

母「○○さんは自閉症かしら…?」

 
私「話聞くと、自閉症というより、アスペだな。」

※アスペルガー症候群のことを、略してアスペと言う。

 
母「アスペと自閉症って違うんだっけ?」

 
 
私「自閉症スペクトラムっていって、一緒にする考えもあるし、別々に考えるケースもある。

アスペは、話す自閉症って言われてる。
知的障害を伴わない、もしくは、軽度の知的障害がある自閉症って感じ。
冗談が通じない、通じにくいって特徴もある。」

※自閉症の人はアスペの人よりも重度の知的障害を伴うケースが多い。

 
 
そんな会話を時折家族でする。

健常者か障害者か
障害なら何の障害か

を早期に分かれば分かるほど、対策は立てやすいし
ご本人もご家族も過ごしやすくなるだろう。

 
ただし、愛着障害…
家族要因の場合は、なかなかに難しい。
ご家族が現実を受け入れなかったり、拒否的である場合が多いからだ。

 
公私共に相談を受けた時、助言はできる。
ただ、その後にどうするかはご家族やご本人次第だ。

ご家族が前向きであればあるほど
愛着障害であっても、障害であっても、ただ他者よりも発育スピードが遅いだけ(健常者)であっても
未来に繋がりやすい。

 
 
 
「本当、家族の受け取り方や関わり方は大きいよね。」と、親友が言う。

親友は看護師であり、看護側から、友達とも時に議論をすることがある。

 
私の友達は医療か福祉か教育の分野で働く方が多く
家族とだけでなく
友達ともしばしばこういった話に白熱してしまう。

   
 
 
 
 
今年、友達から「リエゾン」という漫画を薦められた。

「リエゾン」は児童精神科で働く発達障害の医師の話である。

 
 
かつて、大学の教授が

「病気と障害の違いは治るか治らないか。病気は治る、もしくは治る見込みがあるもの。障害は治らない、もしくは薬や工夫で症状が軽減したり、生活しやすくなるもの。」

と言っていた。

   
病気や障害の定義は人それぞれだろうが、今から15年前に言われたその言葉は
今も私の心に一つの真理として刻まれている。

 
 
 
大人の発達障害は、10人に一人いると言われている。

障害がある人みんながみんな診断を受ける訳ではないから
もっと割合は高いだろう。

 
多分、気づいているか気づいていないだけで
大人として生きる私達の周りには
必ず誰かしら障害を抱えている方がいる。

 
 
障害は分かりやすい形とは限らない。

車椅子に乗っていなくても
大学を卒業していても
就職をしていても

【だから】健常者だ、と言い切ることはできない。

 
 
 
あなたの周りに、変わった人がいるとする。
空気を読めない人がいるとする。

遠回しに、もしくは直接的に注意しても言動を直せなくて
失敗ばかりしてもヘラヘラ笑っていて
もしくは懲りないような言動が見られる。

一見やる気がなかったり、努力していないようにしか見えなくて
関わる人は苛立つかもしれない。

 
だけどもしかしたらその人は、大人の発達障害者なのかもしれない。

やる気があっても、努力をしていても
他の人にとっての普通ができなくてもがいている
大人(の発達障害者)なだけなのかもしれない。

何かができなくても
悪気は全くないのかもしれない。



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