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#54 中秋の名月についての愛を語る

 ふと空を見上げてみると、涼しげな風の隙間を抜けて少しずつ月が昇るところだった。目の前にはメラメラと焚き火が燃えていて、煙が流れるように揺れている。その瞬間、私の網膜の裏側にススキの穂が揺れる様が思い浮かんだ。懐かしさと芳ばしさを伴った匂いが同時に流れ込んでくる。

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揺れるススキ

 最近、日常に忙殺されるような時間が続いていて、さまざまなことが足速に過ぎ去っていく。そんな時、月をどこかで探している。

 ああ、なんかここじゃないどこかに移り住みたいなぁと夢みたいなことを考えて、思い余って小さく定められた言葉を口にしてみた。友人たちとキャンプへ行った日のこと。まん丸とした月が浮かび、そうだ今日は中秋の名月だったかと一人つぶやく。

 そういえばいつだったか、その日が中秋の名月だというので急いで父とススキを刈りにいったことがあった。家の近くの道路の脇にススキが群生していて、そのうちの何本かを持って帰った。ちょうど日が暮れかけている頃の時間帯で、光がススキの穂に当たって美しく輝いていた。

 中秋の名月は、平安時代に中国から習慣としてもたらされたものらしい。秋の稲の収穫を神様に祈願することから始まった風習。海外のキリスト教圏の国では神様に感謝を込めて祈りを呟く。「天におられる私達の父よ。私達の罪をお許し下さい。私達も人を許します。 私達を誘惑から守り、悪からお救い下さい、アーメン」。私たちの国では「いただきます」と呪文のように唱えて、食べ物を口にする。

 感謝からすべては始まるように思うけれど、人は時に驕りと高ぶりによって我を失う。途中途中で立ち止まりそうになるたびに、物事を初心に返って見直さなければならない。戒め、今締め、縛。何かに縛られることによって、目の前が見えにくくなってしまう時もある。

 時には人と人との間で悩むこともあるが、おおむね最近は流れに身を任せることも大事なのかもしれない、と思うようになった。

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人の数だけ

 月を眺めるたびに、あれは本当にウサギが餅をついている姿なのだろうかと思い悩む。ある国ではカニという人もいるし、本を読む女性だという人もいるし、ライオンだという人もいる。

 わかることは、人の想像力というのはとてつもなく底がしれないということだった。見る人によって、姿形が変わる。もしかすると、この世のあらゆる物事の真実とはその人の数だけ幾つもあるのではないかと思えた。パチパチ、パチパチと薪が爆ぜる音がする。

 月の満ち欠けにはいまだ解き明かされていない謎があるらしく、人の体にも影響を及ぼし、時には思考の針にも狂いを生じさせる。最近読んだ「残月記」という作品の中で、月によってもたらされる奇妙ないくつかの出来事が述べられていた。夕闇の中にぽっかりと浮かび上がり、時には赤く染まることもある。美しさと恐ろしさは表裏一体だ。

 かつて幼い頃に、「月食」という天体イベントに猛烈に惹かれていたことを思い出した。夜中のうちに、月が少しずつ闇夜に食われていく。そして再びその姿を取り戻していく。もちろん原理はわかっていたけれど、それでも光が徐々に失われていく姿に不安が募った。願いを込めた思いが形を欠けていってしまうような。

 胸がざわめいている。考えが違う人たちもの同士がそれぞれの主張を行った結果、自分達の既得権益を守ろうとして争いが起こり、それはやがて大きなうねりとなって戦争を生み出す。世間一般からすれば平和であるのが一番いいはずなのに、お互い引くに引けずに自分のことだけを考えてしまって、時に愚かな結論を導き出す。

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満たらし団子

 みたらし団子と豚バラ肉を巻くと超絶美味しいらしいよ!という話を聞いて、私は正直半信半疑だった。けれど、確かめてみないことには本当のことはわからない。焚き火の上にアルミ網、その上にフライパン、その上にみたらし団子。並べられた団子と豚バラ肉は数分のうちに香ばしい匂いを漂わせていた。

 ひと口食べてみると、みたらし団子の甘じょっぱいタレと豚肉の油が融合してなんとも言えない味わいがもたらされる。なるほど、これは確かに悪くない。お団子に軽く焦げ目がつくくらいがちょうど良い焼き具合。

 みたらし団子とは、"御手洗"団子という字を書くらしい。由来は、下鴨神社の御手洗祭りで供されたことが始まりとのこと。

 神社の手水場で心身を清めるかのような心持ちで団子を食べていると、自分の中の何かが洗い清められていくような感覚に陥った。うまくいったこともあるし、うまくいかなかったことも同じくらい半々だった。ようやくふぅと息を吐くくらいには余裕を取り戻しつつある気がする。

 みたらし団子を頬張りながら、月を眺めている。夏目漱石の「月がきれいですね」という言葉を実際に恋人に対して言う人はいるのだろうか。不必要な言葉なのだろうか?大切な人が隣にいて、同じ月を眺めていて、それに対して何も言葉を発する必要はないのではないかという気持ちになってくる。

 同じ時間を共有して、もちろん考えていることは人それぞれかもしれないけれど、「月はきれいだ、団子は美味しい」という共通認識を持つことができたならそれはその人との間に愛が生まれたということになるまいか。

 密やかなる愛の告白。誰も私の言葉を聞いている人はいない。他の世界で生きている人たちも、同じことを考えていればあらゆる諍いはたちまち消えるに違いない。ああ、久しぶりに飛行機に乗りたいと考えた。まるでかぐや姫のように。自分の本来あるべき場所へと戻る。

 考えや価値観、文化の異なる人たちとも「月はきれいだよ」とお互い伝え合うために。そんなもの理想だと言われても、きっと言葉を発し続けることで見えてくるものがあると信じているだけ。


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