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#4 カレーについての愛を語る

 「郷に入りては郷に従う」

 ことわざの意味そのままに、まずは旅をする上ではその国のことをよく知らねばダメだ!という一風変わった信念を持っていたわたしは、計画段階から旅先の文化にどっぷり浸かるということを行っていた。

 流行り病が蔓延する1年ほど前に、インドへ行くことが決まり、以来わたしはことあるごとにカレーを食べるようになった。もう、インドといえばカレーだという勝手な概念が凝り固まっていたのである。

 その内、自分たちが普段食べているカレーはインドの人たちが食べるカレーとはまた違うようだぞ、と気がついたのもちょうどカレーに興味を持って少ししてからのことである。インドカレーに対して、家庭で食べる料理は欧風カレー。(正確には、家庭のカレーは欧風カレーともまた少し違う)

 カレーは小麦粉やラードなどが入っていて、カロリーが高い。美味しいけれど食べすぎると、太ってしまう。そんな焦燥感も抱いていた。当時営業職として働いていたわたしは、連日飲み会が続いていたこともあり、気がつけばお腹の周りにでっぷりと脂肪が乗っかっていた。

 ある時服を着ようとしたときに、それまで着ていた服が窮屈になり、そして鏡の前に立って愕然とする。

「お主、何者じゃ?」

 暴飲暴食、加えてストレスによってすっかり身持ちを崩した自分の姿だった。鏡の中の魔女もびっくり仰天である。

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体質改善の道

 痩せたい…と毎日悶々とした日々を過ごしていたわけだ。その時は、インドカレーないしはスパイスを使った「本場のカレー」を食べ始めたことによって人生が変わるとは、思いもよらなかったのである。

 インドへ行く前に麹町の「アジャンタ」へ行き、ナンの美味しさとカレーの味わい深さを知った。それを皮切りにカレー屋さんを食べ歩いた。インドを旅した後もその熱は冷めるところを知らず、もっと知りたいという思いが募っていった。

 不思議なことに、「本場のカレー」を食べ始めてから体重が次第にストンストンと落ちていった。おまけに以前よりも疲れにくくなった。後から調べたところによると、カレーを構成するスパイスの中に満腹中枢を刺激する役割を持ったものがあり、その効果のおかげらしい。気がつけば、15キロ痩せていた。驚き桃の木山椒の木、である。

 それまではどちらかというと辛いものがひどく苦手だった。というのも、わたしはそれはそれはひどい汗っかきで、辛いものを食べることによって身体中から汗が噴き出して気持ち悪かったのだ。それなのに、カレーを食べ始めてから自分の中にあるちっぽけな意地は消え去った。

 美味しさにおける奥深さの扉を開くために、辛いものが必要不可欠だった。食べるたびに体がうなりを上げて、ぽかぽかと温まり始める。汗が吹き出すたびに、ああわたしは確かに今生きているという気持ちになる。

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ほとばしるカレー愛

 カレーで有名なレストランを調べ上げ、毎日毎晩いくつものお店を渡り歩いた。1日に3軒も4軒も練り歩いた日もある。カレーは突き詰めていくと、インドカレーや欧風カレーのみならず、スリランカカレーに着想を得た大阪発祥のスパイスカレーだの、北海道オリジナルのスープカレーだの、さまざまな流派があることを知った。

 カレーをただ食べ歩くだけでも新たな出会いがあり、これだけブームにもなっているにもかかわらず意外とマイノリティ。カレーを毎日食べていますという人と出会うと、それだけで仲良くなれる気がした。

 ほとばしるカレー愛。つい先日まで通っていた「カレー学校」校長の水野仁輔さんによると、カレーは目的ではなく「コミュニケーション」を図るための道具です、とのこと。ううむ、何とも深い言葉である。

 人は心技体揃うことが良いとされているが、カレーも同じである。きちんとした料理哲学の上に、味・見た目・サービスと折り重なることで人の心に響くものが出来上がるわけである。…とそんないかにも一丁前っぽいことを言おうとしてみる。

 これまでたくさんのカレー屋さんを訪れたけれど、わたしが過去訪れたお店の中で記憶にぐっと残っているのは思えばほんの一握りである。

 見た目もサービスも料理の味も素晴らしい(わたしの心の中でオールパーフェクトと勝手に読んでいる)、千葉駅から徒歩数分の場所にある「ベンガルタイガー」だとか、出汁を使ったカレーの奥深さを知らしめてくれた下北沢の「旧ヤム邸 シモキタ荘」だとか、ユニークなインド人シェフのいる銀座の「ナイルレストラン」だとか。

 あとは、忘れもしない衝撃的な記憶を残してくれた千歳船橋の「Kalpasi」、大阪の本町にある「ボタニカリー」。テレビなどで、よく行列のできる〇〇で特集されているお店を見ると、みんなどうしてそこまで自分の貴重な時間を使って並んでいるのかしらん、と不思議で仕方なかった。

 でも今では彼らの心理をよく理解することができる。並んでまでも、自分の時間を費やしてでも、その奥地にある至福のひとときを味わいたいのだ。これはともすると、探検家が未知なるお宝を目指して歩くことと似ているのかもしれない。

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ひそかなる憧れ

 絶品のカレーは人の心を満たしてゆく。ゆっくりゆっくりと。それまで仕事や人との関わりの中でつらいな、しんどいなと思っていたことも美味しいカレーを食べるだけで、どうでも良くなってくる。

 きっと大丈夫だ、という気持ちになる。人との関係性もそうでありたいと思う。誰か大切にしたいと思う人が目の前にいて、彼らが困っていたり苦しんでいたりしたならばそっと手を差し伸べてぎゅっと抱きしめてあげたい。

 カレーのような存在に、わたしもなりたいと願うだけ。

故にわたしは真摯に愛を語る

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