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#59 ヒガンバナについての愛を語る

空へと落つる雨粒の逆流

 道端に流れ落ちた雨が、空へと帰っていく。

 秋は一体どこへ行ってしまったのか。探しても探しても見つからない。おかしいことだと誰かを糾弾したいのに、その相手が見つからない。いつからこの国には3つの季節しか無くなってしまったのだろう。仕方ないことだと思いながらも、ダウンベストを着てパソコンのキーボードを打っている。

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 今絶賛公開中の『RRR』というインド映画を鑑賞。相も変わらず、ボリウッドは長いし、やたらとゴリゴリのCGを使っているし、ツッコミどころは多分にだいぶあるのだが、それでも不思議と魅入られてしまう不思議な魅力を兼ね備えている。

 監督は『バーフバリ』シリーズを手がけたS・S・ラージャマウリ監督である。今回はどちらかというと友情にスポットを当てた作品のようだった。正直しばらくインド映画を見ていなかったせいでインターバル前にああ、これで終わりかな?と思っていたらそんなことはない!そこからまた違う視点で新しい物語が始まるのである。本人たちはいたって真面目だろうが、どこかクスリと笑ってしまうのもボリウッドの良き点である。
(個人的には無理やり取ってつけた感の、貴族パーティにおけるダンスバトルがとっても好きです)

 映画館でインド映画を見る上で気をつけなければならないのは、ついつい出演者たちと一緒にキレッキレのダンスを踊ることを躊躇しなければならないことである。自分の湧き出る衝動を抑えるだけでも一苦労だ。

 ちなみに同監督の作品である『マッキー』も割と気に入っている。転生してハエになる話。え、ハエ!?意外性のあるところも憎めない。ただのハエかと思いきや、侮るなかれ。凶暴性たっぷりのハエなのだ。笑っちゃうかもしれないが、映画を見た後はハエに取り憑かれる夢を見る。

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 珍しく休日で、晴れ間が見えた日だった。

 今の私は、一体何をしたいのだろうなと夢現に考えている。俗に塗れてはいけない。この先自分はどうありたいのか。でもいつ人が死ぬかなんて誰にもわからない。お金がたくさんある人間が偉いのだろうか、男あるいは女どちらに生まれたほうが良いのか、肌の色は何かその人の特質を決めるものなのだろうか。

 何となく、ふわふわと海の上を漂っている気分になってくる。そのくせ、頭の片隅には赤いヒガンバナがずらりと並んでいる。あまりの美しさに、はっと唾を飲む。何だろう、目が離せなくなる。どうして、この花はお墓に生えているのだろう。先日、祖母のお墓参りに行ったときに、灰色の景色の中で場違いなほど真っ赤な花を見て涙が溢れそうになる。

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 長年の友人と休日の夕方くらいからずっと飽きることなくお酒とカレーを肴にしてしゃべり通した。どうでもいい話から最近の出来事に至るまで、延々と話し続けた。友人曰く、「何か面白いコトないかなぁ」と言っている人はダメだ!と憤慨した様子で言う。自ら動かずに面白いことを与えられるのは、せいぜい小学生くらいまでだと真剣な調子で言う。

 まあ確かにね、と思いながらも、これだけたくさんのコトが溢れている中で見つけ出すのはそれはそれで難しいのかもしれないなと頭の片隅で考えている。私が作ったカレーを食べて美味い美味いと友人は繰り返し、その言葉に時間かけて作った甲斐があったとホッとした気持ちになる。

 私はその「何か面白いコトないかなぁ」って言ってる人にはぜひインド映画を見なよと言った方がいいよ、人生観180度変わるからさ、とアドバイスしておいた。そう、もうあのぶっ飛んでいるようで何か芯のあるようなストーリーに、それだけで満たされること請負だよ、と太鼓判を押した。友人はわかったようなわかってないような、神妙な顔をしていた。

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 結局何も行動しないままでいると、そのまま時間が経ってしまいそうで今猛烈な恐怖を感じる。それで定期的に思い出すようにしているのが、昔見たヒガンバナのことだった。

 思い起こすと、もうかれこれ数年前に話は遡るのだが、思えばカメラをきちんと撮り始めるようになったのはヒガンバナを撮影しに行ってからだった。颯爽と吹き抜ける風の中でチラチラと揺れ続けている。

 ヒガンバナの撮影スポットとされているところは関東近郊でいくつかある。その中でも私が訪れた場所は、巾着田という場所だった。それはそれは広範囲にわたりヒガンバナを見ることができるのだ。ちなみにヒガンバナは赤以外にも白や黄色も存在する。赤だけではないことを初めて知った。

 カメラで撮影し始めた当初、私は標準ズームと望遠レンズの2つのレンズしか持っていなかった。いわゆるカメラキットと言われるものについてくるやつだった。ちょうどヒガンバナを撮りに行った時、初めて単焦点レンズ(注:ズームができない代わりに明るいレンズ)を使った。

 遠近の調節ができないものだから、ひたすら自分で動く形になる。私はどうすれば自分の思った通りになるのか動き回ってちょうど良いポジションを探した。やがてヒガンバナを撮りに行ったことをきっかけとして、次第に写真にのめり込むようになる。

 そうした始まりを与えてくれた一方で、終わりについても考えさせられるのがヒガンバナだった。私にとって、両極端の意味合いを持つ花。亡くなった祖父母が眠っている場所を儚げに見守っている。

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 今でも初心に帰るべく、何か特別な出来事がない限りはヒガンバナがある場所へ出かけるようにしている。人によっては不吉だよと思う人もいるかもしれないが、それが私の一つの始まりでもあるから。たぶん皆ひとつは心の中にそっと自分だけの花を持っていて、それをおそらくは後生大事に育て続けているのかもしれない。枯れないように。

 ともすると食べると毒になりうるヒガンバナのことを私は心の片隅で愛している。性質的には薔薇に似ているかもしれない。美しさと妖艶さを併せ持つ不思議な花。生きる上での着地点を見出す上で、ヒガンバナを思い出す。

追伸) 
 ちょうどこの記事を書いているあたりで、インドにて吊り橋が落下して、たくさんの死者が出たことを知った。なんと表現して良いかわからないけれど、最近悲しいニュースが多い。ようやくコロナが落ち着いてきたというのに。なんなんだろうね。亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。


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