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#30 島についての愛を語る

 ふとした拍子に、もう世間の雑踏から消えてしまいたいと思う時が不意にある。それは多少ネガティブな感じも含まれているけれど、それ以上に何か自分の中の狂った羅針盤をリセットしたいという思いが大きい。ちょうど長い休みの前に、スケさんカクさんからランデブーしに行こうではないかと言われ、二つ返事で了承する。

 辿り着いた先は、鬼が棲むと噂のある佐渡島である。桃太郎が鬼退治をしに行った鬼ヶ島は岡山であるという説が有力であるが、元々の話のベースとなっている古事記では、佐渡島もその候補の一つらしい。所詮、知ったかなので真実は定かではない。

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 島への旅路は、フェリーに揺られるところから始まる。定時までに人は吸い込まれるように船内へ入り、頭上高くはカモメが出発を祝福するかのように舞い上がっている。現実から切り離された、非日常の世界。

 波に沿うように体を揺らすと、脳内がかき混ぜられてその場に立っていられなくなる。降り立った時のことを考えて、ひとり静かに簡易的な椅子に座り、これから先のことを考えている。心穏やかに、とひとり呟いた。

 ひたすら4時間程度の道を行く。車窓から流れ行く景色を眺めた折に、そういえば神奈川の真鶴や徳島県へ行く道中にある淡路島へ行ったことを思い出す。素朴で、長閑な世界だった。微睡まどろみの中に身を置いて、これから始まる旅の1ページに思いを巡らせた。

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淡くつつがない世界

 スケさんカクさん、それからわたし達の共通の友人とそのパートナー。5人という奇妙な数字合わせで、ゆっくりと旅に出る。朝4時に出発した。まわりは深い闇に覆われている。眠たくて、しきりに瞼を擦っていた。少しずつ、周囲は暖かくて軽やかな光に包まれていく。

 佐渡島は思っていたよりも中心地にはお店がたくさんあって、聞くところによると数ある島の中では沖縄に次いで二番目に大きいらしい。というわけで、街並み的にはわたしの故郷である片田舎に光景はそっくりであった。なんてことを書くと、逆に島民の人たちから怒られてしまうかもしれないが。

 9時半に出発したフェリーの到着時刻は、ちょうどお昼過ぎ。再び陸へと引き戻された後にご飯屋さんを巡るとどこもかしこもいっぱいで、とてもじゃないが入れなかった。危うくランチ難民になりかけたものの、すんでのところで地元のラーメン屋さんへ滑り込む。

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 そのまま買い出しをして、向かう先はキャンプ場だった。昨今のブームに伴って、それなりにキャンパーたちがいたものの、ある程度のソーシャルディスタンスは図られているようだった。

 ちょうどテントを立て終わった頃にはすでに日が暮れ始めていた。たまたま通りかかった地元のおじさんが、わたし達のことを一瞥して「あんたら、いい時に来たなぁ」とニコニコしながら話しかけてきた。

「佐渡島の夕日は本当に綺麗なんだよ。中でも今日はピカイチの美しさだ。こんな綺麗な夕日滅多に観れねえ」。橙色の光が、裾野の影へと消えていく。確かに、彼が言う通り美しかった。何か、祝福されている気分になる。

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橙色に染まる海

 そのままただ食っては飲み、食っては飲み。気心しれている人たちだったので、思い出話に花が咲き。とはいえ、夕方5時くらいから延々に飲み続けていたので、10時くらいにお開きとなってそれぞれのテントへ戻り、眠りについた。暑くも寒くもないし、虫もいない。本当に今の時期は、キャンプするひとにとってベストシーズンだ。

 すでに何回か来たことがあるというスケさんカクさん曰く、佐渡島に来たら絶対に佐渡金山は見ておいた方がいい、と言う。助言に従ってもう一人の友人と共に、車で現地を目指す。かつて佐渡島はたくさんの罪人や身寄りのない人たちが流れ着いた島だったそうだ。わたしがちょうど生まれる前まで、山から金を掘ることを続けていたらしい。

 かつて金山であったその坑道は、夏日和だったにもかかわらずひんやりと冷たかった。坑道内は人口密度が高くて灯火などの煤煙で空気は汚濁し、金山で働いている人たちは短命だった。また突然岩盤が崩れ落ちることもあったそうで、皆命がけで金を集めた。昔の人々の気苦労を慮る。人形達は命が吹き込まれたかのように、やけにリアルだった。

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平凡じゃいられない

 金山を見学した後は、のんびり車で佐渡島を半周する。道が狭いところも多く、通り過ぎる時はヒヤヒヤした。友人が車を運転し、わたしは車窓から外の景色を眺めていた。どこまでこの道は続いているのだろうかと、どこか不安な面持ちになる。

 中心の街と思しき場所以外は、ただ新緑が伸びやかに広がっていた。どこかで見たことのあるような景色が連なっているのに、何もかもが新鮮に見えてくる。体を震わせて、大きく空気を吸う。

 途中に寄せては返す波の音を聞いて、特別ドラマチックな出来事もなかったけれど、ああこうやって平穏な日々がいつもつらつらと流れてくれればいいのにと頭の中でつぶやく。一方できっと、微かな刺激がないとわたしはわたしじゃなくなってしまうと思う。平凡であることの、閉塞感。

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 最終日に、わたし達は回転寿司・弁慶に立ち寄った。ただの回転寿司だと侮ることなかれ。おそらく、日本一の回転寿司と呼べるかもしれない。初日に食べようとして14時ごろに整理券を取ったところ、なんと先には48組も控えていた(ひぇー〇〇ランドより並ぶー!)。

 前回の反省を生かし、開店してからすぐに行くと割とすんなりと入ることができた。これがまた、目が飛び出るほどの美味しさなのである。なんて表現したら良いかわからぬが、普通回転しているとネタの新鮮さが失われるのに、弁慶の寿司は全くその味わいを失わぬまま口の中で蕩けるのだ。

 札幌旅行から引き続き、本当に美味しいものを食べすぎて現実世界と直面するのが難しくなってしまうくらい。最終的なお会計は4,000円近くで、このクオリティーであれば仕方ないなという感じです。ぜひ佐渡島へ行くことがあれば、騙されたと思って食べてみてください。

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理路整然と横たわる歴史の横で

タイムスリップ宿根木!

 改めて島に流れる時間のことを考えた。ゆったりと時が刻まれているように思っていたのに、離れるまでの日数はあっという間だった。フェリーが出港した瞬間、猛烈な寂しさに襲われる。また行くことができるのは、いつになるだろうか。遠距離恋愛であまり会えなくて、ヤキモキする恋人の気分。

 きっと、札幌で一人で旅していたからこそ、その思いも一入ひとしおだったのかもしれない。楽しすぎて、胸にぽっかりと穴が開く。数日経てば、再び味気のない日々に戻るのだ。無性に、何かわからないものに対して腹が立った。

 そうか、一瞬の間だからこそ愛が芽生えるのかもしれない。遠く物理的に離れてしまった人のことを考えた。だからこそ、一つ一つを愛でて大切に今を生きていこう、そんな気持ち。波は揺らぎながらも、次第に遠ざかっていった。

 それではいつか、また。


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