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サニー・サイドエッグ・シンドローム

 容赦なく照りつける日差しが、夏の訪れを知らせていた。この季節、ふとした拍子に頭の中でパッと思い浮かぶ光景がある。あの時も満ち足りた気持ちだったはずなのに、理由もなく心が揺らいだ。みんな若かったのだ、たぶん。

*

<過去のさる夏の日のこと>

 カラカラと扇風機が回っている。僕の隣では時折「くぁ」と寝息ともいびきともわからぬ声が聞こえてきた。いつの間にかブランケットが隅に追いやられている。風邪を引かないよう、そっと彼女の体の上に掛けた。

 今日はいつもより静かな夜で、ゆっくりと時間が流れていた。僕は扇風機と彼女の寝息を子守唄にして、再び目を瞑る。

*

 次の日の朝、寝ぼけ眼のまま冷蔵庫から食材を取り出した。フライパンに油を引いて、まずベーコンを焼く。その上に卵を2つポトンと落とすと、ジュワッと白身の固まる音がした。その間にトースターへ食パンをセットする。

 それからバタバタと音がして、彼女が姿を現した。なぜか不機嫌な顔をしており、そのままちらりとキッチンを見た。

「おはよう」

「──おはよう」

 その表情の原因について頭を回らしたが、思い当たる節がない。とりあえず理由は聞かないことにした。

「南海、朝ごはん食べるよね?今作ってるからちょっと待ってて」

「うん、いつものやつで」

「はいはい」

 南海は半熟派、僕は固焼き派。朝ごはんを作る際、最初は彼女の好みの匙加減がわからなくてよく怒られた。付き合い始めて2年。ようやく彼女の好みもわかるようになってきた。大切なのは彼女のことを少しでも知りたいという気持ち。世界はそれを愛と呼ぶのかもしれない。

 カシャンと音がして、トースターからこんがり焼けた食パンが飛び出した。カリカリになったベーコンと目玉焼きをトーストの上に乗せ、テーブルへと運ぶ。

「お、今日はうまくできたね」

 そう言って、彼女は嬉しそうな顔で出来上がったばかりの朝ご飯を見た。機嫌が直ったみたいでホッと胸を撫で下ろす。

「そういえば、生粋(せいすい)くん。昨日私にブランケット掛けたでしょ?私あのゴワゴワした感触、苦手なの。次から気づいても掛けなくていいからさ」

「……ごめん、次から気をつけるよ」

 ──どうやら2年経っても知らないことはあるみたいだ。

「あ!」

「え、どうしたの?」今度は一体なんだろうか。

「目玉焼き見て思い出した。今日『神様』を空港に迎えに行く日だよね?帰国のお祝いに何か渡せればと思って。途中でデパートに寄って欲しいの」

「……?うん、わかった」

 「神様」とは本名を神木蔵之介という。僕と南海の共通の知り合いで、僕らの仲を間接的に結びつけた人でもある。大学時代外の世界をずっと放浪していたが、卒業後も職を変えてはその合間合間で長期間海外へ行くことを繰り返していた。今日はその「神様」が日本へ帰ってくる日。

 朝ごはんを済ますと、彼女は鼻歌を歌いながら皿をシンクに置き洗面台へと向かう。歌っているのは、きのこ帝国の『怪獣の腕の中』。機嫌は今度こそ直ったらしい。

 1時間後に姿を現した南海から、爽やかな柑橘の香りがふわりと舞った。服はレモンイエローのワンピースだ。いつもと雰囲気が違う。

「なんか今日はまた随分と華やかだね」

「久しぶりに外に出るし。たまにはおしゃれしたってバチ当たらないでしょ」

 彼女はどこか挑戦的な目つきで笑いかける。お門違いとは思いながらも、僕は「神様」に対して少し嫉妬心を抱いた。

「...…そうだね。さ、そろそろ出かけようか」

*

 レンタカーに乗って空港を目指す。途中で南海の希望通りデパートに立ち寄った。彼女に何を渡すのか聞いたのだが、「着いてからのお楽しみ」と言って教えてくれなかった。

 窓の外を見ると、青空の下には綿飴のような入道雲。南海はじっと車が流れる方向を見ていた。突然身を乗り出し、はしゃいだ声を出す。

「あ、生粋くん!海、海が見えるよ!」

 運転に集中しながら、ふいと南海の視線を追う。

「ああ、あれは東京湾だね。人工湾だから海なのか微妙だけど……」

 燦燦(さんさん)と輝く太陽の光が、水の上に降り注いでキラキラしている。ふいに今日の朝ごはんのことを思い出した。目玉焼きって英語でなんて言うんだっけ……。

「細かいことは気にしないでよ。人が作ったものだろうとなんだろうと海であることに変わりはないでしょ」

 南海が頬を膨らませた。その表情を見て、胸がキュッとする。

*

 定刻から数十分ほど遅れて、羽田空港の到着ゲートから続々と人が吐き出されてくる。その中でも一際大柄で目立つ男がいた。「神様」だった。

「神木せんぱ……」

 その瞬間、僕は絶句した。「神様」の顔は髭で覆われ、恐ろしいほど痩せている。思わず南海を見ると、僕以上に目を大きく開いて固まっていた。

「おお、なまいきくんに南海ちゃんか。迎えにきてくれるなんて義理堅い奴らだねえ。俺あ、嬉しいよ」

「神木先輩、随分様変わりしましたね」

「おお、これな。俺もついに悟りを開いたのよ」と言ってガッハッハと笑う。神様の場合、冗談に聞こえない。

「……木さん、おかえりなさい」

 ずいと南海が前に出て、後ろ手に持っていたものを神様の前に突き出した。彼女の手に握られているのは、黄色で着飾られた一輪の花だった。着ているワンピースと同じ色。

 そういえば、昔その花の花言葉を教えてもらったことを思い出した。言葉にできない思いが胸の中から沸々と迫り上がってくる。

 ──この気持ちは、なんて呼べばいいのだろう。

 どうしようもなく、胸がざわついた。朝の光景を思い出す。これは強いて名前をつけるのならきっと……。

*

 空港からの帰り道、なぜか晴れているのに潸潸(さんさん)と細かい雨が降っている。南海は誰に向けたのかわからない言葉をぽん、と宙に放った。

「ねえ、生粋くん。太陽って残酷だと思わない?」

「どういうこと?」

「ある時は恵みをもたらすけど、またある時は災いを引き起こす。みんな、その両面性を胸に抱えて日々生きてるのかもしれないね」

 後ろの座席で「神様」が寝息を立てている。

 蝉の音が、どこかへ遠のいた気がした。

 僕は今も、彼女に恋をしている。




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