僕が読みたい物語は「結末がハッピーエンドの物語」ではなく、「今この瞬間もハッピーエンドを目指して走り続けている人の物語」なのかもしれない

読まなければよかったと思う物語がある

誰かの書いた悲しい物語が自分の境遇に似ている時、引き込まれるようにその物語を読んでしまうことがある。
気づくとまるで自分毎のように 、そのシーンをありありと目に浮かべながら、読み進めていく。まるで書き手と痛みをともにするかのように。

「自分だけじゃない」のだと 、どこか救いを求めるような気持ちで読みすすめていくのだけど、大概は最期、寂しい気持ちにさせられてしまう。 
何故なら、その物語の最後はいつもハッピーエンドが綴られているからだ。

「あー、やっぱり同じじゃなかった!」

こんな結末なら「最初から、読みたくなかった。」とさえ思ってしまう。

(こんなことを書いていると、「自分はなんひねくれているのか」と思ってしまうけれど、、、)


自分が読みたい物語

こういう時、僕は「自分はずっと、同じ境遇で傷付いている人達と共に、戦い続ける運命なんだ」というような、諦めと覚悟を得る。

現在進行形でその課題を抱えている僕には 、傷を増やしながらも走り続けるしかないのだと、静かに受け入れる他ない。

僕が読みたい物語は「結末がハッピーエンドの物語」ではなく、「今この瞬間もハッピーエンドを目指して走り続けている人の物語」なのかもしれない。

だから僕はきっとこれからもハッピーエンドの物語を書くことはないし、仮にその状態になれたのなら、このnoteのアカウントを静かに消すのだと思う。

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