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十人十色 百人百色 何人何色でもいいよ

こんにちは。こんばんは。
今回は、自分の色で自分らしくいられたら、それでいいじゃん!
という事について話していきたいと思います。


人はみんな世界にたった一人の存在です。

生まれた時代が違えば国も人種も違いますし、年齢や性別も違います。
これだけでも人が唯一無二の存在であることは容易にわかりますよね。

たとえ自分に似ている人がいても、生まれてから命の幕を閉じるまでの間、ボクはボクでアナタはアナタなんです。
最初から世界に一人だけの存在であり、それぞれが様々な色の輝きを放っているんです。


ですがボクたち人間は、どうも自分と誰かを比較して見るクセのようなものがありますね。
そして優劣をつけたがる傾向にあったりします。

良い意味で結果を競い合うことや、スキルアップなど上達を目指す意味での比較ならともかく、人としての優劣なんて必要ありますかね~
そんな事はどうでも良くないですか?
だって、そもそも個々は違う色で生きてるんだから、自分と誰かを天秤にかけて計るような事はしなくていいんですよ。

自分の存在意義や価値は、人との優劣や比較という天秤で決まるんですか?という話です。
自分の価値に制限をかけていたら、自分の色で唯一の存在意義が示せなくなってしまいます。
それは、あまりにも勿体ない事ですよね~


たとえばね、できる・できないの事があるじゃないですか。
得意・不得意や向いてる・向いてないの事でもいいですよ。
これらの事を考えた時、皆さんはどう感じていますか?

できる・できそうだと思う人がいれば、やってもない内から自分にはできない・向いてないって思う人もいます。
もちろん興味があるかどうかや、やる気というものが関係してくるんですけどね。

でもね、上手くできてる人がいる事に対して、自分ができなかった場合どう思いますか?
やっぱりね~自分にはできっこなかったんだと悲観的に思いますかね。
だけど、これならまだいいんです。
挑戦した上での結果に対して自分が感じたことだから。

しかしながら興味やチャレンジしてみたい気持ちがあるのに、体験も経験もしないまま自分にはできっこないと蓋をしてしまったら、それは自分とその対象となるものを否定することになります。


やってみた上で自分には合わないとか苦手だとか、もしくは嫌いであるとかは道理にかなっているから話はわかりますよ。
だけど知らずにしてイメージだけで決めつける事は、俗に言う偏見と同じことなんです。

また、相手や国や文化、人種の在り方などをよく知ろうとしないから偏見や差別・争いごとが生み出されてしまうんです。
その事がやがて大きな問題となって社会全体に影を落としていく事になるんです。
だから知らずにして決めつけた偏見や差別は、とても危険な事です。


つまり、印象ばかりに翻弄されてはならないという事です。
人も国も文化も、物事の考え方や捉え方さえも個々において様々なんです。
ボクたちは唯一無二の存在であって、自分だけの色を放っていられたらいいんですから。

たとえ人よりも何かが劣っていたとしても、その事では負けてしまって悔しく思っても、結局それは物事の話です。
人としての優劣なんて、一切として気にする必要なんてありません。
先ほども言いましたが、ボクはボク、アナタはアナタなんですからね。

それに、自分にしかできない事・自分だからこそ出来るものってあると思います。
できる・できない、得意・不得意、向いてる・向いてないというのは、簡単な話、ないものねだりでもあるんですww
だから、これなら!ってものを見つければいいだけ。


できない事をいつまでも気にしてる時間がもったいないので、それも人生の中にあるカラーとして自分に落とし込んでいけば良いのだと思います。
でも、そう考えると気がラクじゃないですか?
人それぞれの色があって、自分の人生にもたくさんの色味があると思えば。

だって自分の色は洗剤じゃないんだから「混ぜるな危険!」はないんですw
色なんてパレットの上で混ぜ放題・作り放題なんですからww
自分というオリジナルのカラーをたくさん作っていきましょう!


だいたいにして、世界中に何人の人々がいるんだって話ですよ。
十人十色、百人百色、何人何色でもいいんですww
それが多様性ってものなんでしょうがww

お互いを尊重しながらも自分の色で生きれたら、それでいいじゃんってねw
それが自分らしくいるって事なんじゃないの~ww


それでは今回はここまで。また次のお話で会いましょう。









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