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「石原葉 Walking in the forest」 ー森を歩きながら、こう考えたー

 山路を登りながら、こう考えた。
 智(ち)に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画(え)が出来る。

「草枕」(夏目漱石)より

 唐突に引用から始まりましたが、これは山路を登り思索を深めようとする青年画家と女性の交流を描いた夏目漱石の「草枕」の冒頭の文章です。
 シグアートギャラリーで7月13日まで開催中の「石原葉 Walking in the forest」では、アーティストが山路ではなく森を歩きながら思索を深めることで生まれた作品を展示しています。
 


石原葉の経歴

 石原葉(いしはら よう)は1988年宮城県生まれで、現在は山形県を拠点としています。「価値観の違う人々との共生」をテーマとして、絵画を中心に活動を展開してきました。
 
 絵画の制作では、胡粉など日本画の画材の特性を活かし、人物や風景を描いた上から白く表面を覆ったり削ったりする行為を加えた作品をしばしば手がけています。石原の作品における絵の具の層は装飾的な美しさを持ちながら、インターネットの普及以後の社会で生きる私たちが無自覚に他者に重ねてしまっているフィルターの比喩でもあります。

 また石原は博士論文「絵画表現における視座の共有とシアトリカリティ」で、シアトリカリティ(演劇性)を造形論として捉え、バラバラな視点を持つ現代人が一時的に立場を共有して作品を受容する方法を研究しており、実際に演劇集団ゲッコーパレードにも参加するなど多分野で活躍しています。

「博士学位審査展示 不法侵入」会場風景 東北芸術工科大学The TOP(山形)、2019年


「後発的当事者」会場風景 原爆の図・丸木美術館(埼玉)、2020年


 

 個展のタイトル「Walking in the forest」は、石原が周囲の生活環境や実際の体験から導きだした、メタファーとしての木々に関する思考から付けられたものです。今回の展示は、私たち現代人が持つ世界観の見直しを迫るような石原の作品を北東北で見ることができる初めての機会となっています。
 
 ここからは、展示の様子を観察しながら石原の作品と森、そして社会との関わりについて考えてみたいと思います。
 

「石原葉 Walking in the forest」会場の様子

 
 会場に入ると、正面の高い壁に大きな3つの作品が並んでいるのがまず目入ります。木々の間から人の姿がチラチラ覗いていますがはっきりとは描かれておらず、動きも感じさせます。すぐ隣には緑色のドレスを着た女性が森に佇む絵があります。

右の壁に目をやると肖像画が1点、左の壁には3点肖像画が並んでいます。左の壁には他に、立ち並ぶ木に溶け込むように描かれた木馬の絵や冬の森の絵もあります。

 タイトルが書かれた壁には夕暮れ時のような色合いの木々の絵や、雪が積もった冬の森を流れる川を描いた作品が展示されています。
 その他、会場出入り口の湾曲した壁にはペンによるドローイングが並んでいます。ペン画の主なモチーフは木立やタコです。モチーフのタコは「蛸壷(たこつぼ)化」(外界との接触が少なく視野が狭くなっている状況)からきているそうです。

 

「存在しない人物」の存在

 今回シグアートギャラリーで展示している作品はモチーフから大きく三つに分けられます。一つ目は肖像画。二つ目は森や木々を描いた風景画。三つ目は森の中に人が佇む様子を描いた作品です。
 
 ここからは石原から聞いた制作にまつわるエピソードも交えながら、もう少し作品を詳しく見ていきます。
 
 まず、今回4点展示されている肖像画。《persona》(ペルソナ)というシリーズ名です。普通は仮面と訳されますが、石原によればデザインでいうペルソナ(商品開発時に想定する架空のユーザー像)に近い意味合いで名付けたそうです。
 このシリーズで興味深い点は、絵に描かれた人物のモデルが実は全てAIを使ったサービスを利用して作成した顔であり、実在しない人間だというところです。名前は石原が想像して命名していて、プロフィールも設定されています。
 石原は以前からモデルを用いず写真や画像データを参考に肖像画を描いてきましたが「家族構成や性格を想像して描いているという意味では、モデルが実在の人物かどうかの違いはないのかもしれない」とも語っていました。
 今までも石原が取り上げてきた「ポストトゥルース」(真実かどうかよりも人間の感情で良し悪しが判断される時代状況)や、メタバースと呼ばれる仮想空間の流行と合わせて考えると、制作過程も含めて興味深いシリーズかもしれません。
 

《persona(Jane)》2022、綿布、岩絵具、水干

《persona(Anna)》2022、綿布、岩絵具、水干

《persona(petra)》2022、綿布、岩絵具、水干

《persona(Abel)》2022、綿布、岩絵具、水干

 

絵の森の中を歩く

 今回の展示タイトルは「Walking in the forest」でした。肖像画のシリーズ《persona》の4点を除くとほとんどの作品で森や木々がモチーフとなり、そのうちいくつかは人影も描かれています。
 なぜこのような作品を展示することになったのでしょうか?それには石原の体験が関わっています。

左から、《Walpurgis Night-1》《Walpurgis Night-2》《Walpurgis Night-3》いずれも2022、綿布、岩絵具、水干


 新型コロナウイルスが流行し始めてから山形県上山市に引っ越した石原は、近所の花咲山にある「クアオルト健康ウォーキング」という健康法のウォーキングコースを見つけます。冬の雪深い時期でも道が整備されていたため、自然と森を歩き木々を眺める習慣ができたそうです。
 森を歩く中で石原は、先が見えないコロナ禍やウクライナとロシアの戦争、自身の将来の不安などについて想いを巡らせながら「実際の世界の人の生死に対してどういう感情を持てば良いのかモヤモヤとしていた」と語っています。
 

《木馬》2022、綿布、岩絵具、水干

 これまでの石原の作品は「フィルターバブル」や「蛸壷化」という言葉で示されるインターネット以後のコミュニケーションの問題点を作品で扱い、情報が遮断され批判的な見方ができなくなる負の側面を可視化してきました。その方法の一つとして、風景の上に木をレイヤー状に重ね、自分の前に立ちはだかる色眼鏡のメタファーとして描くことで、世界と自分が切り離された感覚を表現してきたのです。
 そのような制作を行ってきた石原はモヤモヤを抱えながらも「森を体感するうちに今までと違った感覚を覚えるようになった」と言います。

《Walking in the forest(river)》2022、綿布、岩絵具、水干

 ウォーキングをはじめる前の石原にとっての木は、東日本大震災から数年後に帰還困難区域付近を通りがかった時に目にした植物の印象から、「整備しないと共存できず無秩序に蔓延る、というイメージが強くあった」そうです。描かれる時はフィルターのように視界を覆うものとして扱っていました。
 
 一方で、先述したように花咲山にはウォーキングのため整備された道があり手入れされた森があります。道に迷わないように枝葉が落とされ、見通しもよくなっています。その光景はフィルターというよりはポールに近いイメージだと石原は語っています。
 社会情勢に想いを巡らせながらポールのような幹の間を彷徨い、森で木に囲まれる経験。それこそが今回の展示「Walking in the forest」にとっては重要だったのであり、それが作品のモチーフ選びにも反映されているのです。
 
 シグアートギャラリーの展示室は、解放感や見通しの良さを持ちながら曲面の壁が入り組むように配置された独特な空間です。今回の展示で石原は、森の風景や木立で迷い歩くように佇む人を描いた作品を巧みに配置することで、鑑賞者にもウォーキングを追体験させようとしているようにも思えます。会場の特性をうまく利用した展示構成であると言えるでしょう。
 

《Walking in the forest1》(部分)2022、紙、ペン

《Walking in the forest5》(部分)2022、紙、ペン

 

森を歩きながら、こう考えている



 森を彷徨いながら深めた思索が今回の展示に結びついたわけですが、ではその思索を経て、石原は何を見出し、それはどのように作品や作風に影響を与えているのでしょうか?

 石原のこれまでの作品は、ここまで説明してきた通り社会問題の構造を制作に取り入れるなどやや現実を客観視し作品化するところが特徴の一つでした。ところが今回の展示作品では、森で妄想した光景や、ゲーテの「ファウスト」から題材をとって魑魅魍魎が跋扈する「ワルプルギスの夜」を描いたりしています。今までになかった想像上の世界を扱うようになったのです。

《劇場》2022、綿布、岩絵具、水干


 また、今回の展示作品について石原は「絵画の世界と自分が別れきっていない状態にしたかった」、「作品と自分の間に木があるのではなく木の中に自分がいる感じにしたかった」とも語っています。
 木に囲まれているような作品配置や自分の想像を絵に描き込んでいることなどを踏まえると、今までのように物事を一歩引いた視点から捉えるのではなく、事態の渦中に身を置きそこで考えているリアルな感情や想いを作品化してできたのが今回の展示だと言えるでしょう。
 

 ここで最初の引用に話題を戻します。「草枕」の舞台となったのは日露戦争の時代でした。偶然にも、石原が作品を構想していた時期から今日まで世界を巻き込んだロシアとウクライナの戦争が続いています。
 「草枕」は俗世間からの隔絶の実現が一つの主題だと言われているようです。石原も今回の展示では、作品によって「いろんな物事が起きているはずなのに隔絶されている感覚を描きたかった」と語っていました。漱石が俗世間からの隔絶をどう評価していたかについては議論がありますが、そこから100年以上経った現代の隔絶を、石原は良いものとしては捉えていません。「フィルターバブル」や「蛸壷化」という言葉で示されるインターネット以後のコミュニケーション環境が実現した隔絶は、石原が今まで警鐘を鳴らしてきた事態に他ならないからです。
 
 人は世間から隔絶されたい時、山路を歩いたり森を歩いたりするものなのかもしれません。しかし石原にとっての森は、人や魑魅魍魎の影が見え隠れする場所でした。見えそうで見えない、逃れようにも逃れられない。隔絶すればいいのか、しない方が良いのか。俗世間と、社会と、世界と、私たちはどのように付き合っていくのが良いのか……。「Walking in the forest」は、石原が森を舞台に、社会と自分自身との間で もがいて生まれた等身大の展示と言えるのではないでしょうか。
 
 「草枕」で主人公の青年画家は小説の終わりに作品のアイデアを得ますが、石原の制作はそうスッキリとはいかないようです。今回の展示に寄せた言葉の最後を石原は「森は深くなる」という言葉で締め括っています。現在進行形で深まっていく石原の思索と作品世界の中を彷徨うような展示です。ぜひご覧ください。

(スタッフ S)


●開催概要
「石原葉 Walking in the forest」

会場:Cyg art gallery
(〒020-0024 岩手県盛岡市菜園1-8-15 パルクアベニュー・カワトク cube-Ⅱ B1F)
日時:2022年6月25日(土)ー7月13日(水)
10:00–18:30/会期中無休
入場無料

・展示詳細はこちら:https://cyg-morioka.com/archives/1833

・作品やグッズを豊富に取り扱うオンラインショップはこちら:https://cyg-morioka.stores.jp 

●展示について

1988年宮城県生まれ、山形県を拠点とする石原は「価値観の違う人々との共生」をテーマに活動を展開してきました。
絵画制作においては、インターネットの普及以後の社会で生きる私たちが無自覚に他者に重ねてしまうフィルターを思わせる、白い絵具で表面を覆ったり削ったりする行為を加えた人物画や風景画を手がけています。また「シアトリカリティ」(演劇性)を造形論として捉えることでバラバラな視点を持つ現代人が一時的に立場を共有して作品を受容する方法を研究し、実際に演劇集団に参加するなど多分野に活躍の場を広げています。
タイトル「Walking in the forest」は石原の周囲の生活環境や実際の体験から導きだした、作中のメタファーとしての木々に関する思考から付けられたものです。
今回の展示は、私たちが持つそれぞれの世界観の見直しを迫る石原の作品を北東北で見ることができる初めての機会となります。
ぜひご覧ください。

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●展覧会に寄せて・石原葉の言葉
 
昨年の冬、私は暇さえあれば近くの花咲山という山を歩いた。久々に雪の多い冬で、地表から何十センチと雪が積もり、靴底は雪を踏み締めているのに現実感がない。山を降りればすぐ人里だというのに木々に囲まれ道行は白く、物思いにふけるのに適していた。

芥川龍之介の作品に『藪の中』という短編がある。結ばれたばかりの若い夫婦が強盗に襲われ夫は殺される。聞き取りをする検非違使に目撃者や当事者は語るが少しずつ齟齬があって実態は分からないまま。「真相は藪の中」の語源にもなった話である。決して大木ではない木々でも視野を隠すにはちょうど良い。隠れたパーツが違えば見えてくる風景も違う。タイムラインに流れてくる感染者数も、死傷者数も数字に整理されてしまえば彼らの日常は見えないし、ネット上に流れる少女の笑顔はAIで作ることが出来る。
それでも正しいか正しくないかは脇に置いて、木々の隙間から見えてしまったものに感情を持たざるえない。その風景を誰かと共有できなくとも。

Walking in the forest. 森の中を歩く。随分前に雪は溶けた。裸の木々が生い茂り始め、森は深くなる。

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