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拝啓、未来で豊かに生きる私へ。

23歳の私から、何年後かの、モノに溢れた世界で生きる私へ。

『今日のことをどうか忘れないで生きて欲しい』


*本日の記事は過激な写真を載せておりますので苦手な方は飛ばすか、薄目か、ブラウザバックして頂きますよう、お願い致します。



とても長い記事になっていますが、最後まで読んでいただけると有難いです。



屠殺見学しない?

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タイトルからなんのこっちゃと思った方もいらっしゃると思いますが、

今回の記事は私が人生で初めて、

"鶏がどうやって殺されているか" 見学し、

その鶏を食べた時のことについて書きます。



普段私たちがよく手に取る鶏肉。

それらがスーパーに並べられるまでの背景。


屠殺現場を見る機会なんて中々ありません。

なぜそのような経緯に至ったのか。


普段お世話になっている、寺尾さん一家に、

『妹が少し鶏を飼っていて、あえて雄と雌を選別しないでやってるねんけど、雄を肉にするみたいなんで行けたら見学する?』

と誘っていただいたのがきっかけでした。


これまで記事を読んでくださっている方はご存知だと思いますが、

私は現在、プラントベースという食事スタイルを取っていて、お肉を食べることは最近では殆どありません。

その選択をするに至るまで、環境問題は勿論、アニマルフェルフェアや畜産動物達について自分なりに色々と勉強しました。


ネットや本で仕入れた情報、そこから感じた思いを口にするのは簡単だと思いますが、


実際に自分で体験して確かめてみたい。

そしてその上でどう感じるのか知りたい。


前々から強く願っていた事なので、

即答で返事をし、実際に見学させてもらえることになりました。



前日入り

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12日土曜日の19時ごろ、寺尾さんとご家族の皆様と一緒に東京を出発し、静岡へ向かいました。


話が決まってからこの日まで、正直な所は不安と恐怖でいっぱいで、泣き喚いてしまってすごく失礼なことをしてしまうのでは、と思い悩む日々を過ごしました。

車に乗ってる最中、寺尾さんやご家族の皆様には私の止まらないお喋りをずっと聞いて貰いながら心のどこかではどうしようもない不安を抱えて、目の前の道を眺めていました。


3時間ほどの長距離の運転をしていただき、ようやく静岡の妹さんのお家へ到着したのは22時ごろ。

明日の出発が7時と早かったので、

寺尾さんの奥さんのフミさんと子供のたいちゃんと川の字で並びながら、すぐに就寝しました。


明日はどんな景色が待っているんだろう。




愛知へ向かう当日の朝

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6時、不安からなのか、いつもは朝の弱い私ですが気持ちいいほどすんなり目を覚ましました。


お庭を覗くと、小屋では"ホシノブラック"という品種の鶏達が元気にご飯を食べていました。

夜中の2時、3時ごろ、何度か"コケコッコー!"と大きな声を聞いたのを思い出しました。



お庭の鶏達の中から、

今日運んでいく9羽を選びカゴに入れていきます。


カゴに入った鶏達はその大きさにしては少し窮屈なように見えましたが、暴れたり叫んだりすることなく、不思議なくらい、静かでした。

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噛まれることを覚悟で指を出して撫でると、こちらを見ながら顔を擦り付けてきました。

とてもびっくりしたと同時に、

その瞬間何故か自分が酷く残酷な人間で、偽善者のような人間に思えてしまい、急いで指を引っ込めて、お家の中に戻りました。


車の中に9匹の鶏達が入ったカゴを詰め込み、

7時ごろ、愛知に向けて静岡を出発しました。




愛知県"鳥勝"

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お肉の販売、捌き、屠殺の引き受けを受け付けている昔ながらのお店、

愛知県"鳥勝"というお店に到着。


お店のご主人と奥様のとても優しそうなお二人が出迎えてくださり、鶏達を引き渡しました。


お店の入り口スペースには、鶏のお肉のレシピや想いなどが書かれたものが並べられていて、

その時が来るまで、それを読むことで意識を移し、深呼吸を繰り返して手の震えを必死に抑え、感情を落ち着かせる事に専念していました。


お店のスペースや、コロナ禍ということもあり、

2.3人ずつでその現場を見学する事になりました。




人の手で殺される、その瞬間

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その場所に入った瞬間のあの臭いを、

私は忘れることが出来ないと思います。


獣のにおいというか、すっぱいというか。

生暖かくてツンとした匂い。


一歩踏み入った瞬間、脳裏に焼き付くような感覚を私の全身で感じました。



カゴに入れられた鶏を1羽、羽を掴んで取り出し、

首を持って頸動脈を無音で、静かに、切る。

暴れながら、泣き叫んでいる鶏達は首を持たれた瞬間、目を閉じて静かになっていました。

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切られた後、首を下にしてこの穴に入れ、血を抜き失血死するのを5分ほど待ちます。


初めは大人しかった鶏達は、

絶命するまでの少しの時間、

震えながら力一杯手を伸ばしていました。


泣くな、泣くな、と必死に目に力を入れて

その光景をただ呆然と見ていた私でしたが、


私たちの代わりに鶏達を殺してくれている鳥勝のお店のご主人が、

泣き叫ぶ鶏の首を

『よしよし』

と一言、

静かに撫でながらナイフで動脈を切った時、

それまで我慢していた何かがプツンと切れて

溢れて出る涙を止めることが出来ませんでした。


『ありがとうございます。』

鶏達に、ご主人に。

感謝の気持ち以外何も出て来ませんでした。

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完全に絶命した後、鶏をお湯に付けてザブザブと洗う湯漬けをしてから脱羽機にて羽を綺麗に取り去ります。


一瞬にして、さっきまで生きていた鶏達が、

ニワトリから鶏肉へ変わった気がしました。


4羽の鶏達がカゴから取り出されてから綺麗に毛がなくなるまでの間。

とても丁寧でスピーディーな流れだったのですが

体感としては何故か非常に、長く感じました。


それまで強烈に感じていた臭い、音、温度などの

全てが"無"に思えるような異空間に

入り込んだような気がしていました。


それほどに衝撃的で、一瞬も目を逸らせないほど

集中して見ていたんだと、、

いえ、見なければいけない使命感に駆られていたのだと思います。




残さない

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綺麗に処理された後の鶏達は、

ご主人と奥様の手によって、丁寧に、慎重に、

小肉と言われる骨の隙間にある僅かなお肉ですら

残さず、大切に捌かれていきました。

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大手などでは手間がかかるためそのまま捨てられるであろう部位や、切り取ってもらえないような所まで、高度なテクニックで捌きながら、とても丁寧に説明して下さりました。


印象的だったのは、

平飼いで、元気に活発に成長した鶏達からは

基本的に、軟骨は取れないということ。


私達が普段口にする鶏肉(ブロイラー)は、歩く環境もままならない中で急激に大きく成長させられる為、手足の力が発達せずに体の大きさに耐え切れなくなります。

生後わずか45日前後で出荷です。


対して地鶏は生後120日前後で出荷され、筋肉や身体もしっかりと発達する為、
軟骨が『骨そのもの』になるそうです。


以前は大好きでよく焼き鳥屋さんでも頼んでいた軟骨に対する気持ちが、変わりました。


本当に私は、何も知らずに、考えることなく

ただ、食べていただけだったんだなと。




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あっという間にさっきまでの鶏達が、ご主人と奥様の手によって、私達がよく見るスーパーで売られている形へと姿を変えていきました。


本当に陳腐な感想しか出てこないことが悔やまれるのですが、

ただただ『凄い』の一言で、

たくさんの部位が切り取られていく間、無心でそれを観察していました。


汗を流しながら一つずつ、丁寧に捌いていくご主人と奥様に感謝の気持ちでいっぱいで、


同時に私達が普段手にするお肉の背景にある

人の手のありがたさを改めて痛感しました。





心から感謝して食べる

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綺麗にパックに詰められたホシノブラックを頂き

最後まで丁寧にお見送りをしていただいたご主人に感謝の気持ちを伝え、"鳥勝"のお店を出た後、

私たちは静岡に戻りました。



車の中では初めは言葉を発せず、

というより何を喋っていいのかわからなくて、

色んな思いを自分の中で整理していました。



静岡の寺尾さんの妹さん家に到着後、

すぐに頂いたお肉をフミさんや寺尾さん達が

たくさんの調理法で下拵えしてくださり、

お庭でのBBQが始まりました。

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さっきまで生きていた鶏達の

色んな部位をみんなで一つずつ、味わいました。


胸肉、ささみ、もも肉、砂肝、せせり、皮、内臓


当日まで不安に思っていた

『食べられないかもしれない』という思いは

全くの杞憂で、

どの部位を食べても、ただひたすらに

『美味しい』と感じました。


寺尾さんの妹さん家族が大切に、一生懸命

育ててくれた鶏達がシンプルに美味しかった

というのも勿論絶対そうだと思います。


ですがそれ以上に、私の鶏肉に対しての思いが

今までのそれと違っていたんだと思います。


寺尾さんの妹さんご家族によって大切に育てられてきた鶏達を、

鳥勝の方の手によって丁寧に捌いて頂き、

自然の中で風を感じながら、

優しい寺尾家の皆様と共に食卓を囲んで食べる。


心から幸せを感じることができ、

これ以上なく豊かだと感じる瞬間でした。


願わくばこの先ずっと、

こうして心から豊かだと思える食事だけを

とっていたい。


そう思いました。




生き方の価値観を変える

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1泊2日の弾丸車旅を終えて、

私は大きなきっかけを貰えたと思っています。


"食事を通して心から豊かになる"


ずっとスープカレーを通して伝えたかった想いを身をもって体験できた2日間でした。


衝撃的な場面を目にし、色んな思いが溢れた日ではありましたが、ポジティブに捉えると、

これからの生き方を学ぶきっかけになりました。


食べ物、服、雑貨、生き物

沢山のモノで溢れるこの世の中で、

何に心を動かされ、何を選択して生きていくのか


沢山食べることが本当の幸せに繋がるのか。

沢山の服に囲まれることは本当に豊かなのか。


心から幸せに、豊かに生きていく上で

当たり前に''ある" ということは

幸せなように見えて実は、

一番そこから遠いのではないだろうか。



"ある"ということに疑問を持ち、

"ない"ことで"ある"を大切に感じられる。



私はきっと、世の中はそうゆう風な仕組みに

なっているんだと思うのです。


自分で幸せを感じる仕組みを作る。

そのために、"ない"ことは必要不可欠なのです。


人が今より一歩先に、真に豊かになれる世界を

目指すためには、幸せの定義を考え直すこと。


私は今回の経験で感じたことを、ずっとずっと、

忘れずに生きていきたいと思います。


それがきっと、私の幸せの道に近づくきっかけになると思うのです。


そして願わくば、これを読んでくださった人が

一人でも多く何かを感じて動いてくれたらいいな

と、思っております。



凄まじく長い記事になってしまい申し訳ありません。ここまで読んでくださって、本当に、ありがとうございました。失礼致します。



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