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そして僕は天の国へ



① 或る心臓についての忘備録


これは紛れもなく真実の物語である。
奇跡的に条件の合致する心臓の提供者が突如現れ、すぐに移植を待つ患者の元へ運ばれる事が決定した。
一刻を争う事態の中、移送先の病院までの最短距離と安全策とが検討された結果、輸送ヘリコプターを使い激戦区を大きく迂回して運ぶ方法が選ばれた。
しかし、まさかこんな最果ての離れ小島にまで反体制ゲリラが潜んでいるとは誰も予想し得なかったのである。

ヘリコプターが島の上空に差し掛かった時である。
椰子の木の茂みから放たれた砲弾は、肉親を惨殺された怨念を載せて、心臓を搭載した輸送ヘリコプターの中心へと命中した。
爆破された機体の破片の多くは海中へ沈んでいったが、心臓の入った箱は爆撃時の衝撃で島の方へと飛ばされ、波打際へと転がり落ちた。


そして、一帯に南国の静けさが戻ってきた──
その時である。
何処からともなく、一匹の大型類人猿が海辺に姿を現した。
そして海岸に転がっている心臓の入った箱へ近づくと、興味深そうに匂いを嗅ぎ、箱をそっと抱き抱えると、そのまま森の奥へと持ち去って行ったのである。

そして、一体どうやって箱から心臓を取り出したのか知らない、おそらく地面に落ちた時に錠が壊れていたのだろう、いつしか心臓は森の中にある巨大なブロメリアの一種の葉の内部に収まり、たっぷりとした溶液の中に浸っていた。

偶然にもこの島は大昔から孤島であったが故に独自の生態系を形成し維持しており、ジャングルの中は彩り豊かな生命力に溢れ、多様な固有種がのびのびとそれぞれの生を謳歌していたのである。
植物達と動物達は、思いがけずやって来た心臓の形と血の匂いを各々の内部に記録し、新しいジャングルの一員として自然に迎え入れた。

こうして心臓はこの島の生態系へと組み込まれ、それを守るブロメリアは常時心臓へ水と必要な養分を運び、心臓は腐る事もなく、食べられる事もなく、今日に至るまでその形状と機能を保持し続けている。

月光が豊潤に地上を照らす夜、熱帯雨林の生きとし生けるものが酔ったように眠りにつく満月の晩など、ブロメリアに抱かれた心臓は月の明かりに呼応するように、大自然の懐の中でその身をゆったりと脈打たせるのであった。


Ⅱ 真空より入電あり


埃っぽい部屋、錆びついたドアノブ、カビ臭い壁紙、椅子に掛けたままのシャツ、不鮮明な額入り家族写真、バネの飛び出たソファ、黄ばんだ数年前のカレンダー、足が折れそうなテーブル、不揃いの食器、乾き切った蛇口、役割を放棄した花瓶、がらくたで溢れたチェスト、書きかけの手紙、眠りこけたカーテン、生真面目に密閉を固持する木枠の窓、もう沈みたい夕日、突然鳴り響く電話、血液が脳に集まる、入電あり入電あり、第二廃合電信局より入電あり、発信元は囚われたままの過去、置いて来た未来、野生の真空、もしもしお電話です、遠い海の彼方からあなた様に入電です、いえ内容は分かりません、どうしますか、はい私ですか、私は電話交換手です、ええそうです、でもこの仕事、決して楽ではないですよ、頭は使うし、指は疲れる、喉はカラカラ、椅子は固くて、お尻も痛いんです、定時まで働いたら、家に帰って食事して、テレビでコメディショーを見るんです、これで月給は三十、お金が貯まったら、私旅に出たいんです、行きたい場所があって、それでどうしますか電話、はいではお持ちくださいね、今繋ぎますから、はいどうぞお話しください、ええ今繋がりましたよ、繋がりました、お話しください相手様と、大丈夫盗聴なんかしません、さあ耳を当てて、あなたにしか聞こえません、あなたに繋がっているんですどうぞ、突然四隅から縮み始める部屋、乱暴にガチャガチャ動くドアノブ、縦横に亀裂の入る壁、頭上に迫ってくる天井、鮮やかに蘇る家族写真、いきなり破裂するソファ、年月の重みでドシンと落ちるカレンダー、踊り出すテーブル、急沸騰する花瓶の水、暴風で割れる窓、引きちぎられるカーテン、転がり回る椅子、飛び交う食器、赤い水が出て来る蛇口、引き出しの開閉が止まらないチェスト、行方不明の手紙、覚醒した太陽、チカチカと点滅する電球、鼓膜を突き刺す高周波音、斜めになってゆく床、手の汗で滑り落ちそうになる受話器、電話口の向こうから聞こえる空白の音、狂ったようなノック音、ドッドッドッドッドッドッ、もしもし?もしもしハロウ喂?誰だ電話をかけてきたのは──


三 仕組まれた帰郷


「ええそうです、僕の父ですが」
アルベルト・フーゲルは電話口の相手にそう応えた。
するとギィ…と玄関のドアが開いた。
「今日はあまり産んでいなかったよ」
そう言いながら鶏小屋から集めてきた卵の籠をテーブルに置いたのは、アルベルトの父親であった。
「どうしたアルベルト」
「いや…今、変な電話がかかってきて」
「変な電話?」
「うん。お父さんはいるかと聞かれたので、僕の父ですと答えたら、ガチャンと電話を切ったよ」
「…相手の名前は?」
「名乗らなかった」
父親は考え込み、やがて押し殺すように言った。「アルベルト。ここを出よう」
「えっ?」
「明日にでも引っ越そう。そうだ、マオ島へ行こう。ツテがあるんだ」
「お父さん。どうしたの急に」
「ここも駄目か…もう…もう言わなきゃいかん。アルベルト。お前は養子だと言ったな。でも実際は少し違うんだ。あの日…俺は住宅街の惨状の中に赤ん坊のお前を見つけた。お前は全身血まみれで、どこを怪我しているのか分からなかった。だが息があったし温かかった。お前の周りに倒れていた大人達は誰も動いていなかった。俺はお前を抱き上げて走った。そして俺は…お前を盾にして投降したんだ!俺は色んな連中から恨まれているし、それにお前も、俺を恨んで当然なんだ。でもいつか絶対に、お前を返したいと思ってきた。でも、何処にどうやって返せばいいか分からないままここまできてしまった。すまない。本当にすまない」
父親は床に突っ伏して泣いた。
「お父さん。僕を返すって何処に?僕の家はここだよ」
アルベルトは父親の元に跪き肩を抱いた。
「お父さん。生きていることが最も大切なんだ、そうでしょう?」
そこへ、ドアをノックする音が聞こえた。
アルベルトが立ち上がって言った。
「ユーリアさんかな?いつもより時間が早いけど」
父親ははっと息を飲んだ。
「アルベルト!ドアから離れろ!」
そう叫ぶのと、アルベルトがドアノブを回すのとはほぼ同時であった。
次の瞬間、銃口がドアをこじ開け、部屋に爆音が響いた。
数秒後、バタバタと走り去る足音が遠くへ聞こえなくなると、アルベルトはゆっくりと身を起こして、父親の方を見た。
父親は仰向けに床に倒れていた。
アルベルトはふいに胸の辺りに違和感を感じ、下を覗いた。
アルベルトの胸の真ん中にはぽっかりと大きな穴が開いていた。
アルベルトはその穴へ手を入れた。
穴の中は冷たく、信じられない程虚しく、指と手の平が縮こまるようで、アルベルトは思わず小さな咳をした。
世界に新しい穴が生まれた。
アルベルトの胸に大きく開いた穴を、虚ろな乾いた風は吹いてゆくのだった。


Si そして僕は天の国へ


「…ドアといものは大体、そういった決意のもとに開閉が行われる訳です。しかし窓はその点において時折無防備です。その時が危険なのです。多くの人が窓はドアより簡単に開けてしまう傾向にあります。さあ空気でも入れ替えようか、なんてカラカラと…。まったく油断しているのですね。もしくは無知なのかそれとも…いやこれは言わないでおきましょう。それでは時間ですから今日はここまでです」

「先生、今日もありがとうございました。先生私、先日『塞がれた日常』という本を見つけたんです。今私達が取り扱っているのと同じ作者ですよね。壁の穴について詳しく書かれていて面白いです」

「ああ穴ですね。ええご存知の通り、私たちの身体は穴だらけです。穴が無ければ私達は何も感じる事が出来ないばかりか生きてゆく事すら出来ません。ですから、機会がある毎に穴の役割に意識を向けて、ときどきその重要性を再確認する必要があります。穴が塞がれてしまっては大変ですからね。ところで君の塞がれた日常という本ですが…その本は本当に存在しますか?例えば君は、その本を何処で手に入れましたか?」

「えっ?その本は…何処って確か…カナル2nd通りです。先週末買い物の途中、歩行者天国になっているのを見つけて、本が敷き詰められたワゴンが道路に並んでいて…結構な人で賑わっていましたよ」

「カナル2nd通りに歩行者天国…。本当にそんなものがあったでしょうか?そこに本のワゴンが?よく思い出してください。本当にそうだったかどうか。重要な事かもしれませんから。またその本が本当に在るかどうか、家に帰って確認してみるんです。君は、君のすべてを君が持っている訳ではありません。私もそうです。それに関する勘違いはよくある事なんです。例えば君の心臓です。自分の一番近く、ほぼ中心にありながら、多くの人はそれを一生見る事はなく、また他の誰かに見られる事もない。故にその存在は不確かであるとも言えます。そもそも自分で直に確認した訳でもないのに、なぜ胸の中に在ると信じているのでしょう?ただ体に感じる鼓動だけで。ほんの僅かな振動だけで。その目で確かめた訳でもないのなら、実際に有るのかどうかを疑う余地があるとは思いませんか。これは極論ではなくシンプルな話なのです。そして君が真実だと信じていたものがそうではない事が分かったとしても、決して動揺しないことです。明日、いつものように家のドアを開けたら、目の前が見渡す限り何も無い世界になっていたとしても、心を乱されないことです。そこに新しい発見がある可能性だって否めないのですからね。誰もが黒と言ったって、君が白だと思うなら、必ず確認する事が大切です。そうして黒であったにせよ白であったにせよ、自ら手にしたことだけが、最も確実な真実なのですよ。さあ、勇気を出して確認してみてください。君の心臓は、本当にそこにあるでしょうか?」




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