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何もしなないことは実は大切な選択肢です。 先日、ワクチン接種をしてきたんですが、副反応で何もできない日が続いて焦りました。 noteの更新もできない。勉強もできない。ツイートすらできない。 こうなると、みんなから忘れられてしまいそうで不安になるわけですね。 「何もしない」と頭が整理されるでも、意外と何もしないことで、得られるものもあるんです。 もちろん、あたまも、こころも休まることで、エネルギーが回復するというのもあるのですが、 一番の成果は、最近学んだことが頭の
イレギュラーな予定が入った影響で、いつもと違う時間帯に帰宅した。 そうしたら、いつも通る公園で、夜桜の下で花見をしている人達がいた。僕は横切っただけなので、話の内容は聞こえなかったが、お弁当をつまみながらぽつぽつと会話している。 また、スケボーの練習をしている青年がいた。南米系と思しき家族の一団がいた。 よく通る場所なのに、普段とは違う風景があった。 僕が見ている景色は、本当に一部でしかない。 同じ場所、人、もの。一部だけを切り取って、わかった気になっている。
残業が長引いたので、ラーメンを食べて帰ることにした。 初めてのラーメン屋にトライ。 店には私だけ。 ラーメンが出てきた。 しかし、私しかいないのに、 ピピピピっ ピピピピっ と、タイマー音が時折鳴る。 私はこれはたいてい麺の茹で上がりを示すものだと思っているが、、、 私しか店内にいない。 そして、私のラーメンはここにもうある。 ??? それに、テイクアウト用を作っている様なお店ではなさそうである。 このタイマー音の正体や如何に。
8時30 近くの病院に開いているか 電話をかけたが 繋がらず 脚を直角90度の横寝の体勢で寝る 9時30 猛烈な空腹で目が覚める ハイハイでとりあえずトイレに向かうが 空腹で死にそうになり 引き返し お尻の痛みに耐え 倒れこみながら バナナをむさぼり食べた お尻の痛みに耐え 途中放屁しながら トイレにハイハイで行き オムツがわりのナプキンを変え おにぎりを食べ ベッドで横になりこれを書く
昨日の補足であるが、 昨日、祖母の思いを書き忘れたので、補足しておこうと思う。 祖母は、旦那と死別後、父親の父との間に子供を設ける事となった訳であるが、祖母の願いは、自分の子供達がバラバラにならないために、苗字を変えずにしたという話である。 お陰様で、アジフライの子供の頃のたくさんの叔父、叔母に囲まれた親戚の集まりの記憶は、楽しい記憶と美味しい記憶ばかりである。 祖母の判断は、ありがたかったのかもしれない。 さて、実家の名義を変更するべく、登記の支度を始めた。 本
昨日、アキバまで足を伸ばしたので、よほど疲れていたのか、今日の午前中は、ぐったりしてました。 JRで30分の旅だったので、それほど長距離移動したわけではないのですが、このところの疲れも溜まっていたのか、午前中は、使い物になりませんでした。 しかし、昨日アキバで、大学の様子を垣間見れた感じがして、そして、父親も同業で、それらの電気部品を扱っていた事を再確認して、あっ、これ実家にあった部品だとか、父親の姿を探すような旅でもありました。 昨日の帰りに久しぶりに本屋に寄ったんで
寂しくてどうしようもなくて、不安薬のお世話になる。 父親は、今まで生活をしていた場所にいる。 朝、父親におはようと声をかける。 今までと同じように、父親に声をかける。 今までは、父親が淹れてくれていた日本茶を淹れる。 用事で出かけるときは、「お父さん、出かけてくるよ。」と声をかけてから出かける。 外出から帰ってきた時は、「お父さん、ただいま。」と声をかける。 寝る前は、「お父さん、おやすみ。」と今までのように、父親へ声をかける。 それらは、今までと何も変わらな
夜中、森の中で赤いワゴン車に複数のゾンビ乗り込んできた。私は、抵抗虚しく体のあちこちを嚙まれそうになった瞬間、目が覚めた。 大きく息を吸い、現実に戻ってきた事にほっとする。スマホで時間を確認すると深夜12時。心臓に悪い夢を見たためか、パジャマは汗でぐっしょりしている。起き上がり、体をタオルで拭き、別のパジャマに着替える。起きるには早すぎるのでもう一度布団に入り、眠りにつく。 私は、昔から不安に飲み込まれやすい。鍵を閉めた、水を出しっぱなしにしていないか、暖房を切っているか
この記事は、私が得意な自己啓発です。自己啓発が嫌いな方は読まないようにしてください。 最終的には、勇気がないだけだゾウというオチになりますw。 *どっかで読んだ話に飼われた象の話がありましてね。 簡単に説明すると、まず象とて、小さい時は首輪とか繋がれてたら逃げられないわけですよ。 (腕輪でもいいけど) でも、何年もするとガンガン大きくなっていきますよね。 そうすると本気を出せば逃げられる可能性が出てくる。 例えば、小さい木とかに繋げられていたら木ごとぶっ倒して逃げられ
世の中には2種類のストレスがあります。 それは良いストレスと悪いストレスです。 良いストレスとは成長に向けて頑張っている時に感じるストレスであり、このストレスは人生を向上させていくうえでは必要なモノです。 なので良いストレスは一定数は必要だと言えます。 逆に悪いストレスは無いほうが良いと言えます。 悪いストレスとは人生の不安や人間関係の悩みなど「無力感を感じる」ような、慢性的なストレスが悪いストレスだと言えます。ローンの支払いや賃金が低いという金銭的なストレス、また
セミはみんみん、日差しも強い、けど今日は雨🌂明日の靴を見つけましょう。狼がやってきた。木の枝には、リスが遊びに来ています。
まぁ、時間がないのでざっくり簡潔にまとめます。人気のあるエッセイをいくつか読むと、やっぱり人気のあるエッセイには読ませる力があるんだなとあらためて思った次第です。さて人気のあるエッセイはどういうところが人気なのでしょうか。現在の社会情勢でしょうか。それともエッセイで披歴されたちょっとした雑学でしょうか。いえ、それよりももっと大事なものがあります。たしかに今あげたものはエッセイの人気に一役買ってはいるでしょう。しかしそういうものが書かれていたところでエッセイを読む理由にはなり
私はここに色々な話を書く。 まじめな話。笑える話。 ほっこりした家族や友達との話。 頭の中に思い浮かんだ架空のショートストーリー。 戦略的にブログやnoteをやっている人のノウハウのようなものを読むと、よく「自分のカラーや書きたいことは絞ったほうがいい、その方が読む人が固定され、そのジャンルに強い人としてファンが増えるようになる」というようなことが書かれているものもたまに目にする。 しかし私はこの「バラバラのジャンルの話を取り留めもなく出していく」スタイルが自分には合って
今年の春から、心療内科でカウンセリングを受けている。 私のなかに生まれるネガティブな感情が、抗うつ剤および抗不安剤の摂取により減衰を見せているが、それでも残存しているように感じること。それがもはや「症状」に拠るのか、私の思考のクセに拠るのか判別できないこと。 それを医師に相談したところ、臨床心理士によるカウンセリングを提案された。 私が受けているのは「認知行動療法」というものらしい。 大雑把にいうと――少なくとも私の理解では、ということだが――、考え方のネガティブなく