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問いかけても話してくれない

寂しくてどうしようもなくて、不安薬のお世話になる。

父親は、今まで生活をしていた場所にいる。

朝、父親におはようと声をかける。

今までと同じように、父親に声をかける。

今までは、父親が淹れてくれていた日本茶を淹れる。

用事で出かけるときは、「お父さん、出かけてくるよ。」と声をかけてから出かける。

外出から帰ってきた時は、「お父さん、ただいま。」と声をかける。

寝る前は、「お父さん、おやすみ。」と今までのように、父親へ声をかける。

それらは、今までと何も変わらない。

変わってしまったのは、父親のいた場所で、今にも話しかけるんじゃないかとした表情の遺影だけである。

私は今までと変わっていないのに、変わってしまったのは父親。

いつまでも続くと思っていた何気ない会話がもう無いのである。

自然に、父親の亡骸に自然に声がけをしていたのであるが、昨晩、突如として虚しさを感じたのである。

朝は、いつも通り起きた。

でも、父親の遺影を直視できない。

そのまま、2階に上がって、ベットでゴロゴロした。

お昼になったからと、1階の住人となり、今日は、買い込んだロールキャベツをブイヨンで煮て食した。

虚しさにつぶれそうになって、Twitterを覗いた。

プログラミング学習をしている同志たちの活躍ぶりを見て、自分もプログラミング学習がしたくなった。

今、手元にあるのは、ipadだけである。

自宅では、新しいPCを使って、動画を見ながら100本ノックの最中であった。

もしかしたら、とプログラミング学習のサイトを覗いたら、ipadに対応しているのがわかった。

そこからは、父親の見守る中、Pythonの問題を解いていった。

悩むほどに集中していく。

集中していくほどに、虚しさを忘れることができた。

おやつにミスドを食し、糖分補給をしたら、見事、ワンランク上の問題を自力で解けたことに喜びを感じた。

もちろん、Tweetしながら。

今日はほどほどにしておこうと、プログラミング学習のサイトを閉じた。

夕方になり、暗くなると、再び、虚しさを感じる。

しかしながら、プログラミング学習をした事によって、気分はだいぶ上向きになった。

Twitterでは、こうも呟いた。

今年中に、ミシンを点検してもらおうと思う。うちのミシンは、30年選手である。買い替えなら、ハンドメイド構想は頓挫してしまう。もし、ミシンが健在ならば、ブランドのネームの発注をかけようと思う。

父親の穴を埋めるべく、自然と新たな決意を胸に。


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