記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

日常とアートの交差点 埼玉県立近代美術館 コレクション展etc.


はじめに

 本記事は「MOMASコレクション」(2024.6.8-8.25)と「県展」、「埼玉二紀展」のレポートとなっている。本稿執筆時に開催されている企画展示、「吉田克朗展─ものに、風景に、世界に触れる」はいずれ別の記事にしようと思う。

よかったよぉ
こちらはまたいずれ……

***

 私は埼玉県民だ。詩を投稿しているココア共和国を見るとどこ住みか書いてあるため、いまさら変に隠すつもりはない。
 またつい9ヶ月くらい前までは、美術館へと足を運ぶことは稀であった。ゆえに県民なのに、埼玉県立近代美術館に入館したこともなかったのである。

 しかし近ごろの私はよく美術館へ行く人になった。そして今年。「アブソリュート・チェアーズ」展を観るため満を持して県美に行ったとき、この施設をすっかり気に入ってしまった。

 上掲の記事にて紹介しているのだが、ここでもこの美術館の魅力について触れたい。

 余談だが「アブソリュート・チェアーズ」は現在、愛知県美術館へと巡回している。期間は7.18-9.23だ。おすすめの展覧会のためぜひ行ってみてほしいし、私の記事もよろしければ読んでいただけるとうれしい。

埼玉県立近代美術館と北浦和公園について

 埼玉県立近代美術館(MOMAS)は埼玉県さいたま市浦和区の北浦和公園内に所在する美術館だ。

北浦和公園入口
「アブソリュート・チェアーズ」をやっていたとき
埼玉県立近代美術館 外観

 公園内そして美術館の周辺には、さまざまな彫刻が鎮座していてとてもおもしろい。また公園自体が結構広く、地域住民の憩いの場となっている。
 日常とアートが緩く交差する地点と言えそうだ。

↓屋外彫刻のリスト

エミリオ・クレコ《ゆあみ》(1968)
公園内へ足を踏み入れるとはじめに出てくる彫刻

 県美は「椅子の美術館」を自称しており、デザイン椅子を蒐集しているのだが、そのコレクションは「椅子の美術館」という名に恥じない。それらの椅子の一部は館内のいたるところに設置されていて、実際に座るという貴重な体験ができる。

 MOMASコレクション(常設展)は近現代の芸術品が展示されている。個人的にはかなり好みのコレクションだ。おそらく年に4回くらい、展示品の大きな入れ替えがある。

 地下1階の一般展示室では、けっこうな頻度で公募展の展示等に貸し出されている。下調べせずとも、ふらっと立ち寄れば何か開催されているかもしれない。
 今回紹介する「県展」「埼玉二紀展」も、あまりリサーチしていない状態で観覧したら、かなりよかったため記事にする次第である。

***

 そんなわけでいままでマークしていなかったのがもったいないくらい、いろいろ盛りだくさんな美術館だ。
 今回は少しでも県美の雰囲気を味わってもらえたらと思う。

MOMASコレクション

 6月某日、北浦和の地に降り待つ。MOMASコレクションの展示入れ替えがあったとのことで、それを鑑賞するためだ。ひとつ前のコレクション展は、先に紹介した私の記事で触れている。

前期:2024年6月8日-7月21日
後期:2024年7月23日-8月25日
前後期で展示品の入れ替えあり

※本記事では前期の展示を紹介する。

シュルレアリスム宣言100年!

 コレクション展の展示室前には、必ず一脚のデザイン椅子が展示されている(ここにあるのは座れない椅子)。
 今期はマッキントッシュの《ヒルハウス1》のようだ。1903年にデザインされたものとは思えないくらいモダンな意匠で惚れ惚れする。

チャールズ・レニー・マッキントッシュ
《ヒルハウス1》(デザイン:1903年)

─MOMASコレクション入場─

セレクション

 今期のセレクションでは1910年代末から40年代半ばのフランスを中心とした、絵画や彫刻、版画が展示されているようだ。
 ふたつの大戦にまたがるこの時代、いったいどんな芸術が生まれたのだろうか。

●ドラン!

アンドレ・ドラン《浴女》(1925年)

 1900年代にはフォーヴの画家として活躍し、またキュビスム初期の展開にも関わったというアンドレ・ドラン。独特な量感の表現は見受けられるものの、アヴァンギャルドの時代と比べるとやはり古典的な主題、描き方になっている。

●レオナール・フジタ!

レオナール・フジタ(藤田嗣治)《横たわる裸婦と猫》(1931年)

 エコール・ド・パリとして知られる藤田。緞帳のような重々しさに深い青紫を備えた背景。そこに乳白色のベッドと裸婦が浮かび上がる。顔を覗かせる猫がかわいい。

●キスリング!

キスリング《リタ・ヴァン・リアの肖像》(1927年)

 暗い部屋のなか、美しい瞳の女性が鮮やかなスカーフを身に纏い、行儀よく座っている。キスリングの名前を聞いたことはあるけど、作品を観るのは初めてかも。

●シャガール!

マルク・シャガール《二つの花束》(1925年)
《二つ花束》一部
《二つの花束》一部

 幻想的な画を描く画家、マルク・シャガール。自己へ襲いかかる郷愁に対し、鮮やかな花束を添えているかのようだ。
 花の房は大胆な筆致で描かれており、そこに生まれた凹凸へと手を伸ばしたくなる。

●ピカソ!

パブロ・ピカソ《生物》(1944年)
《生物》一部

 ひとつ前のMOMASコレクションでも展示されていたこちらの画。とても好きな作品である。
 キャプションによれば、こちらの画は第二次世界大戦中、ナチス・ドイツ占領下のパリで描かれたものだそう。
 死の瘴気が漂うなかでも、こんなにも生命力に満ちあふれた静物画を描ける画家はそういないだろう。こちらもいいマチエールをしている。

シュルレアリスム宣言100年

 詩人アンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言(シュルレアリスム第1宣言)」を発表してから100年の節目となる2024年。今年はシュルレアリスムが熱い! 3月には板橋区立美術館にて「シュルレアリスムと日本」を観たところだった。

 まさか県美がシュルレアリスムを特集してくれるとは。キュビスムの次に興味を持った芸術運動であったため、なおさら楽しみだ。

***

 ここではシュルレアリスム(超現実主義)の細かい話題には触れない。私もまだ咀嚼しきれていないし、語り始めるときりがなくなってしまう……。
 ただし『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』の最も有名な一節はここに引用しておこう。

 シュルレアリスム。男性名詞。心の純粋な自動現象(オートマティスム)であり、それにもとづいて口述、記述、その他あらゆる方法を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれた思考の書きとり。

「シュルレアリスム宣言(1924年)」
『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』、
アンドレ・ブルトン著、巌谷國士訳、
岩波文庫、1992年、p.46より引用

 シュルレアリスムについて知りたくなった方は、上掲の『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』(岩波文庫)と、『シュルレアリスムとは何か』(ちくま学芸文庫)の2冊を読むとよい。
 東京都美術館では、シュルレアリスム運動とも関わりのある画家、ジョルジョ・デ・キリコの展覧会が開催されている。こちらも要注目だ。

***

 さて、そろそろ県美の展示を観ていこう。

●アルプ!

ジャン・アルプ《バラを食べるもの》(1963年)

 どこか有機的な曲線が特徴である、アルプの芸術。バラかどうかはわからないけど、いまにも何かを食べようとしているようだ。
 アルプの彫刻は東京国立近代美術館で開催中の「TRIO」や、今期の「MOMATコレクション」でも観ることができた(下の記事内では言及なし)。

●ミロ!

ジョアン・ミロ《ジャグリングをする道化師》(1980年)

 不思議な画を描くジョアン・ミロ。それは有機的であり記号的でもあり。楽しげでもあり憂鬱でもあり。その見え方は、心身の状態によって変わることだろう。

●デルヴォー!

ポール・デルヴォー《森》(1948年)

 ちょっとアンリ・ルソーの《夢》に似ているなと思った。

アンリ・ルソー《夢》(1910年)
Public domain

 鬱蒼と茂る不可思議な森のなかに、場違いな裸婦と汽車の姿がある。シュルレアリスムでよく用いられるデペイズマンという手法によるものだ。

●マン・レイ!

マン・レイ《レイヨグラフ》
(c.1925、1963年シルバープリント)

 マン・レイのレイヨグラフ! ここに描かれているのは、いったい何を写して生まれた形象なのだろうか。

●マッタ!

ロベルト・マッタ《入口は出口にあり》(1983年)

 こちらに迫ってくるような画。入ったと同時に出口が向こうから襲来するかのようだ。

●古賀春江!

古賀春江《コンポジション》(1930年頃)

 ここからは日本人芸術家の作品となる。まずは古賀春江。「シュルレアリスムと日本」でも「TRIO」でも彼の芸術を観ることができた。日本におけるシュルレアリスムの先駆的な作家である。
 タイトルと画面構成から、こちらはシュルレアリスムというよりキュビスムっぽい感じがする。

●瑛九!

瑛九《作品(42)》(1936年)

 マン・レイらの手法に影響を受け、みずからのフォトグラムを「フォトデッサン」と呼んだ瑛九。
 先に紹介したマン・レイの作品より形象ははっきりしているが、風景のなかで赤ん坊が宙返り(?)しているという状況描写は甚だ不思議である。

●堀田操!

堀田操《墓標》(1954年)

 「シュルレアリスムと日本」では堀田の《断章》(1953年)という作品が展示されていた。私はそれを大いに気に入り、同展の記事内で長い考察を残しているからよろしければ見ていただけると幸いだ。
 《墓標》も《断章》と同じく、洪水が過ぎ去ったあとであるかのように青く、そして退廃した風景が描かれている。ここに立つ墓標の下に埋まっているのは、いったい何者なのだろうか?

●?

因藤壽《こんばんは》(1951年)

 あんまりシュルレアリスムっぽさはないけど、なんかかわいいな……。

●草間彌生!

草間彌生《生きものの巣》(1975年)

 ものすごく怖い画だ……。とても生きているとは思えないものたちが無造作に集められている。というか草間彌生ってこういうのも描いていたんだな。

●シュルレアリスム関連の資料たち

たくさんある!

─MOMASコレクション終わり─

 いやー充実してたな。決して数が多いわけではないのだけど、とても見応えがある。もちろん展示品の半分も紹介できていないため、今期のコレクション展を観たい方は、機会があればご自身で足を運んでみてもらいたい。
 ただし前後期で展示品の入れ替えはあるようだから、ここで紹介したものを後期に観られない可能性があることは注意されたい。

第72回 県展

2024年5月29日-6月20日(会期終了)

北浦和公園入口にて撮影

 MOMASコレクションを観に行った日には、地下1階で県展の展示が行われていて、こちらも相当に見応えがあった。ごく一部ではあるが気になったものを紹介していこう。

●かっっっこよ

長澤幸子《想う》

 うまく言葉にできない……。かっこよくないですか?
 人間をフロッタージュしたかのような人物像に鮮烈な赤の背景。右側には虹色の帯があって、人物像(椅子?)がそこにかかっているのがとてもいい。

●おいおい……(歓喜)

亀井広明《光量子コンピュータ》
《光量子コンピュータ》部分、斜め上から

 これはやってますわ……。表現の幅を大きく拡げられるから、ミクストメディアって夢があるな。色味と立体が迫力満点の作品だ。

●あの日の記憶

小林辰也《利根河畔》

 河畔で遊んだあの日の記憶を想起させられる。それは実際あったことなのかすらわからない、とても抽象的な記憶。でも確かに心象風景に残っている、そんな情景が描かれているかのよう。

●美しい色遣い

橘貴紀《春》

 ちょっとぼんやりした輪郭と、季節の補正がかかったような淡いパステルカラー。とある美しき春の記憶だ。猫かわいい。

●いい……!

鷹啄栄峰《遠い記憶から今に》

 こぼれ落ちた記憶の断片が(絵画のなかでは幾重にも線を重ねるように描かれているが)一筋の線条となって、過去と現在を繋いでいるようにも見える。とてもかっこいい。

─県展終わり─

 かなり大規模な展示だったため、隅から隅まで鑑賞できたとはとてもいいがたいが、気になって写真に残したものからさらに厳選して5点を紹介した。
 まだ見ぬ芸術家に出会えるのがこういう展覧会の楽しみなところだ。

第50回記念 埼玉二紀絵画彫刻展

2024年7月16日-7月21日

ワクワク

 日は変わって7月某日、「吉田克朗展」を観覧したあとのこと。この日は埼玉二紀展が地下1階で開かれていた。立ち寄るしかない!

─埼玉二紀展入場─

特別企画1 細野稔人先生追悼展

 埼玉二紀の創設メンバーで、彫刻部を支える存在だったという細野稔人氏。今年亡くなられてしまったとのことで、同氏の遺作を展示する追悼展だった。お悔やみ申し上げます。

ふむ
ふむふむ
見応えある!

●なんだこれは!

細野稔人《ぶどうの雲》(2011年)

 円筒の上にぶどうを模した雲が、さらにその上には教会が乗っている。アンバランスな造形だけど違和感を感じないのが不思議だ……。

●かわいい

細野稔人《ねこ》(2008年)
細野稔人《梟》(2001年)

 荒削りにも見える塑像には、動物の野性とかわいらしさが刻まれている。

●女性像

細野稔人《風を待つ》(2012年)
細野稔人《サンダルをはくヴィナス》(2009年)
細野稔人《桃源郷》(2007年)
細野稔人《座る》(1961年)
細野稔人《眠れるヴィナス》(2005年)
細野稔人《アスリート》(2004年)

  量感が控えめでほっそりとした女性像だ。県美に入館すると観ることができる、マイヨールの彫刻と比べてみよう。こちらはふっくらとした量感が特徴的。

アリスティド・マイヨール《イル・ド・フランス》(1925年)

 細野先生、何とは言いませんが私はあなたの作品から、並々ならぬフェティッシュを受信しましたよ。

特別企画2 第76回ニ紀展受賞推挙作家

ふむ

●かわいい~

三田村雨龍《東京馬鈴薯芽出る》
第76回二紀展 準会員推挙
三田村雨龍《黄金甘薯芽出る》
埼玉二紀展 邑田賞

 かわいい! どちらもイモから芽が出た様子を表現した彫刻だ。そこに目を付けるの天才過ぎる。
 放っておかれたことによる自己主張と、わずかな怒気をイモから感じるのは初めてだ。芽が出ないように気をつけないと……。

埼玉二紀展出品作

 埼玉二紀展の出品作だ。いくつかの作品を気に入って写真に収めてきたけど、ここでは特に気になったひとりの画家の作品について紹介したいと思う。

山本智之《時の忘れもの》
山本智之《私だけの真実》
山本智之《忘却の果てに》
第76回二紀展 会員賞
山本智之《やさしい夢》
山本智之《私はいつもここにいる》

 気になったその人の名は山本智之。本展のなかで最も異質で最も惹かれた。

 どこかで見たことのあるモチーフの、無作為かつコラージュ的な配置。あり得ないところから現れる顔や手。不可思議だけど、現実世界の延長線上に実在しそうな、そんな世界観。少しシュルレアルなエッセンスを感じる。

 暗示的なタイトルからは現在と過去、真実と虚偽、現実と夢、記憶と忘却といった二項対立の原理を並置するような意図を感じ取れる。
 山本氏の作品に映し出されているのは過去に忘れてきたような、いやいま記憶したかのような情景だ。特に概念としての「昭和」の雰囲気というか、ノスタルジーをひしひしと感じる。
 ……そういえば、昔よく行っていた公園には鉄道車両があった。鉄道は遠い記憶と直接繋がっているのだろうか。

 これらの作品は「昭和」を象徴するような似像(イコン)を配置することで生まれる、多面的な似姿(シミュラークル)としての「昭和」の一面を表現しているのかもしれない。
 「昭和」という概念は非常におぼろげなまま、人びとのなかに刷り込まれている。たとえそれが現実の記憶であっても、虚偽にまみれた夢であっても、忘れ去られた真実であっても。昭和生まれでもそうでなくとも、みなそれぞれの「昭和像」を持っているのだ。
 そんな多面的、多層的な「昭和」という概念の一面を描き出したのが、山本氏の作品なのではなかろうか。私たちは作品を見てはじめて、これは「昭和」の似姿であると認識するのだ。これらの絵画は、人びとの集団幻覚から生まれた「昭和」というユートピアを覗き見る窓のひとつ、とも言い換えられるかもしれない。

 たびたび登場する赤い糸。これはきっと私たちひとりひとりの指に繋がれている。この退廃的なユートピアを象徴する少女との、運命を受け入れあちら側へ行くのか。それとも断ち切ってこちら側にとどまるのか。その選択を迫られているように感じる。
 必ず存在する鉄道のモチーフは、ユートピアに移動手段があることを示唆しているとも捉えられる。たとえ錆び付いていても、運命の糸を引いた者のためなら動き出してくれる。郷愁に誘われて、画のなかに飛び込んでしまいそうだ。

 誰かの思い出の集合体。そのひとつの面を──いや5つの側面を見せられた。案外向こう側も楽しそうだ。私は赤い糸をたどってみようかな──。

 久しぶりにがっつり考察……否、妄想してしまった。思い違いがあったら申し訳ない。しかしこういう不意の出会いも大切にしていきたいと強く思った。

とってもよかった

─埼玉二紀展終わり─

おまけ

 展覧会の話はもうこれで終わりなのだけど、せっかくなので県美にまつわることをもう少し書いておこう。

座れる椅子

 県美の館内でいま座れる椅子を3点紹介したい。実際はもっと座れる椅子があるから、館内で探してみてね!

●唇!

スタジオ65《ボッカ》(デザイン:1970年)

 いまはMOMASコレクションの一角に設置されている。見た目通りふかふかしていて、いい座り心地だ。

●透明だ!

フィリップ・スタルク《ラ・マリー》(デザイン:1981年)

 1階の吹き抜け周りに設置されている。透明で美しい。座り心地は普通かな。ちなみにフィリップ・スタルクは、浅草にある金色の「あれ」を設計した人でもある。

●深く座れる

ハリー・ベルトイア《ダイヤモンド・ラウンジチェア NO.421》(デザイン:1952-53年)

  1階の吹き抜け周りに設置されている。座面や背もたれ、肘掛けがすべて一体となっていておもしろい。深く座れるのでとても落ち着く。

屋外彫刻

 「アブソリュート・チェアーズ」の記事で触れなかった、北浦和公園の屋外彫刻をふたつご覧いただこう。いや、気づかなくて紹介できなかったと言った方が正しいか。

●構造物と枯れ木じゃねぇか!

上:田中米吉《ドッキング(表面)No.86-1985》(1985-86年)
下:重村三雄《風景の外側》(1972年)

 このサイトを閲覧するまで存在を知らなかった。景観に溶け込みすぎだろ! かたや美術館の構造物、かたや枯れ木。ここまでではないけれど、北浦和公園の彫刻たちはみな風景の一部となっている。

おわりに

 推し美術館の紹介記事となった。いままで行かなかったぶん、これからはことあるごとに訪れたい。
 「吉田克朗展」はもう何度か行ったら執筆しようと思う。記事を分けたのはボリュームが大変なことになりそうだから、そして公募展の記憶が鮮明なうちに書き留めておきたかったからである。

 公募展は思わぬ出会いがあるかもしれないから、もし開催されていたら見逃さないようにしよう! と皆さんにお伝えしたところで筆を置こうと思う。
 ここまでご覧いただき、誠にありがとうございました。

参考文献(刊行年順)

●『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』、アンドレ・ブルトン著、巌谷國士訳、岩波文庫、1992年
●『シュルレアリスムとは何か』巌谷國士、筑摩書房、2002年
●『シュルレアリスムと日本』速水豊・弘中智子・清水智世編著、青幻社、2024年

関連リンク


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?