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【 #現代4コマ 】「概念の4コマ」試論─現四通信6月号─

1. はじめに神は4とコマとを創造された。

2. コマは形なく、むなしく、やみが枠のおもてにあり、神の霊がコマのおもてをおおっていた。

3. 神は「4コマあれ」と言われた。すると4コマがあった。

4. 神はその4コマを見て、良しとされた。神はその4コマとやみとを分けられた。

『4コマ創世記 1章のうち1-4節』
要出典

 先ごろ発行された『現四通信 2024年6月号』の「現代4コマ批評選集」に評論を寄稿させていただいた。そこではいとととの『2.25の4コマ』を取り扱っている。これは4コマらしいかたちを持たない特殊な作品だ。批評の内容については記事を参照いただきたい。

『2.25の4コマ』いととと

 さて、その批評のなかに以下のような一節がある。

我々が4コマと呼んでいるそれは、「概念の4コマ」という認識装置を通して世界を観測した結果発見されたものだ。同時に「概念の4コマ」は生成装置でもあり、そのフォーマットに従うことで容易に4コマを生み出せる。形而上の4コマは形而下の4コマを創造すると言い換えることもできよう。

現四通信6月号「現代4コマ批評選集」より引用

今回は「概念の4コマ」についての論考を試みたい。(ちなみに以下の記事でも少しだけ触れている。)


「現代4コマ」とは?

 4コマの新たな姿を希求する活動的なやつである。現代アートではないという解釈をする人が多い。詳解は以下の記事に任せる。現代4コマをまったく知らないという方は、ぜひ先に【ようこそ】を一読いただきたいと思う。

2024年8月2日から4日の3日間、現代4コマのグループ展を開催予定! 続報はもうしばらくお待ちいただきたい。

6月15日追記
公式発表がなされました! ぜひご確認ください!


「4コマ」の分類について

 形而上、形而下という概念を導入したからには、それに合わせた「4コマ」の分類を新たに設ける必要がある。万物は「4コマ」であるという仮定のもと、人間が「4コマ」をそれであると識別できるかの可否を基準としたとき、以下のように区分できる。なおここでいう形而上、形而下とは、単にかたちがあるかないかという意味合いが強い。

①形而下、識別できる
②形而上、識別できる
③形而下、識別できない
④形而上、識別できない

 ①はわれわれが「4コマ」と呼称している物事の大半を包括する。②はかたちのない「4コマ」、イメージとしての輪郭は定まっているがかたちあるものに昇華されていない「4コマ」などを指す。③および④は人間の認識の領野から解放された「4コマ」であり、極めて純粋なものであろう。

「概念の4コマ」という装置について

 形而上の世界から形而下の世界へと「4コマ」を出力する装置、つまり前節にて示した②から①へとかたちある「4コマ」を生み出す装置。それが「概念の4コマ」である。なお装置自体にかたちはないため、これは形而上に存在するものと考えられる。その役割には「認識」と「生成」、そして「付加」の3つが挙げられる。

認識装置としての「概念の4コマ」

『Mの4コマ』んぷとら

(類作:『MJの4コマ』んぷとら『ヨングラス』桜桃)

 われわれはあらゆる物事から4コマを認識しようとする。それはさながら4コマのメガネをかけて世界を観測するかのようである。
 
観測という作用には「探求(能動的観測)」と「発見(受動的観測)」とがある。前者はみずからの意思をもって4コマを観測しようと行動、思考するものだ。対して後者は不意に生じる観測である。

「概念の4コマ」のメガネをかけて「4コマ」を自分から探す
「概念の4コマ」のメガネをかけて「4コマ」を不意に見つける


生成装置としての「概念の4コマ」

『製麺機からうにょん』んぷとら

 「4コマ」を生成する過程は、穴が空いている板からなにかを押し出すのに似ている。イメージは「概念の4コマ」を通過することで「4コマ」のかたちに収斂し、思い通りのそれが生成されるのである。

「概念の4コマ」を通してイメージを「4コマ」のかたちにする


付加装置としての「概念の4コマ」

『はんこ』トウソクジン

 前述の通り、「概念の4コマ」は「4コマ」を認識・生成する装置であった。しかしその根底にはもうひとつ重要な機能が隠されている。それはあらゆるものに「4コマ」の意味性を付加するというものだ。それは押印にたとえられるだろう。
 そして付加装置の効果範囲は、我々が体験しているリアルから解放された現実の延長線、「概念の現実」にまで及ぶ。この作用によって「4コマ」足り得るものとなった事例には、「コマ4表現(現代4コマwiki)」や「コマ十表現(現代4コマwiki)」、「白紙ズム(現代4コマwiki)」、そして現四通信で扱った『2.25の4コマ』などが挙げられるであろう。これらは従来「4コマ」と呼称されていた事物のかたちを伴っていないにも関わらず「4コマ」としての文脈、背景を与えられたために「4コマ」と呼ばれるようになった。これは「概念の4コマ」を宿す人物によって拡張された世界、「概念の現実」に存在するものである。

「概念の4コマ」を判子のように扱い、
あらゆるものに「4コマ」の文脈を付加する

 

付加から認識・生成へ

 一度「4コマ」の定義が与えられたものは、「概念の4コマ」を通して認識・生成できるようになることを指摘しておかなければならない。つまり「4コマ」の定義域が拡大するにつれて、「概念の4コマ」は重層的あるいは可変的な理念となる。「4」を見て「4コマだ!」と思考が働いたとき、「概念の4コマ」は「4」のかたちをしたメガネになっているのである。
 

「概念の4コマ」の問題点

 「概念の4コマ」はあくまで理念の域を出ず、また誰しもが宿しているものではない。それは「概念の現実」も同様である。現代4コマをよく知る者とそうでない者とでは見ている世界が違うのだ。
 おそらく現代4コマを知らない人物は、「コマ4表現」を「4コマ」と認識することはできない。これはもはや主観的経験を共有できるか否か、という脳科学の問題にまで片足を踏み入れる議論に発展するだろう。
 高度な文脈を付加され「概念の現実」のなかで「4コマ」とみなされた作品が多くなりすぎると、現代4コマがあまりにも難解な芸術運動となってしまう可能性があるため、注意が必要である。

余談

 『Mの4コマ』と『製麺機からうにょん』の作者んぷとら氏は、生成装置としての「4コマ」について先見的な解釈を示している。


良記事

あらゆる快楽を認め、高めあうダイレクトで純粋な表現行為の溜まり場であれ。それを踏まえて、我々は自慰行為を示威する。
厭いも、欲求不満も、全てを肯定して形にする。そして製麺機から、うにょんと出すのだ。

上記記事より引用
太字は引用者による

週四現代2024年4月号

――――それでは、今回の新作「製麺機からうにょん」についてお聞かせください。

なんていうんだろうね、4コマの流動的なところっていうか、どうしても移り気な性質っていうのあると思うんだけど、それを形にしてあげたい、っていうのはずっと頭の隅っこにあってね。
今回、ようやく応えることが出来た、って思ってるんだよ。

上記記事より引用


おわりに

 本稿は「現四通信」に補足するかたちで、現代4コマにおける理念的な装置「概念の4コマ」を提唱し、その考察を試みるものであった。現代4コマの本質を読み解こうとする試みは幾度もなされているが、これからも続けていかねばならない。この論考にも至らぬ点はあるだろう。ゆえにいま一度「4コマ」について考えてみてほしい。
 「4コマ」とは何か? 何が「4コマ」なのか? その問いに終わりはない。おそらくはあらゆるものが「4コマ」となったとしても。

 『2.25の4コマ』は4コマの枠を取り払った。この作品の誕生により、4コマは宇宙の法則、そして4次元の法則になろうとしている。
「概念の現実」のなかにはどのような4コマが存在しているのだろう。なにかが3つ描かれた画面を4コマと呼ぶに至ったとき、きっとあなたも私も、そしてこの宇宙さえもが4コマになる。

現四通信6月号「現代4コマ批評選集」より引用


関連リンク


きのじ氏による現代4コマの論考記事。「現代4コマは4コマ漫画へのさらなる引き算の挑戦である」という仮説のもと、明快な解説がなされている。


現代4コマwiki



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