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コギトの本棚・エッセイ

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ここでは主に随筆や独り言を取り上げてお届けします。
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2020年5月の記事一覧

【コギトの本棚・エッセイ】 「こどもについて」

昔、『ジュニア』という映画があった。アーノルド・シュワルツェネッガーとダニー・デビートのダブル主演である。
同じ主演キャスト二人で作られた『ツインズ』という映画が好評だったのか、監督もアイヴァン・ライトマン、主演も同じという布陣で作られた同作は、かすかな記憶を頼りに思い出してみてもさして重要な作品とは思えない。
しかし、忘れがたいものもあって、それは同作のテーマが『男性の妊娠』だったことだ。

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【コギトの本棚・エッセイ】 「列ハラ」

あらゆる公明正大さみたいなものがけっこうな害悪だと考えている節がありまして、常に普遍的な正義を執行しようとしている人間はいつかしっぺ返しを食らうものです。

たとえば、他人に迷惑をかけることを常に指弾する人は、果たして他人に迷惑をかけずに生き続けられるのでしょうか。そんなことはありません。
おそらく他人に迷惑をかけたことがあるだろう彼、にも関わらず常に他人を指弾する、大いなる矛盾です。僕はこの矛盾

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【コギトの本棚・エッセイ】 「狩猟行」(二)

尾根の中腹に腰を下ろし、青空を見ていた。

セコ役の初老は木立に降りて行ったまま姿が見えない。時折、野鳥の鳴き声が聞こえるばかりで、鹿の気配すら感じられない。

やがて借りていた無線があわただしくなる。見学者への好意でセコとタツの間で交信される会話が聞こえるようにしてもらっているのだ。

が、それを聞いても僕には詳細な状況がつかめない。ただ、どうやら猟犬が鹿を捕らえ、備えているいずれかのタツの方へ

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【コギトの本棚・エッセイ】 「狩猟行」(一)

ここ数年、ある考えに憑かれている。憑かれるなんていうとおおげさである。であるが、まあ自分にしてはけっこう固執している方かなと思う。

その考えとは野生の動物を狩ることについてである。

山に入り、武器を携え、野生の動物を見つけ出し、倒し、山を下り、解体して、食す。 この一連の流れを何度も夢想している。なぜこんな考えに憑かれたか、よくわからない。ただいくつかの契機はあった。

今ではどうかわからない

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【コギトの本棚・エッセイ】 「欲望スイッチ」

先日、五歳になる息子と車に乗っている時のこと、試しに志ん朝の「そば清」を聞かせてみました。

果たして五歳の男児に落語は楽しめるものかと興味が湧いたのでした。

すると、冒頭、マクラの部分から彼はバカ笑いを始めたのです。

『ほお、わかるのか』と思ったのもつかの間、息子の言った一言ではっとしました。

彼はバカ笑いしながら「なに言ってるかわかんなーい」と言ったのでした。(一応、彼は「そば清」のおは

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【コギトの本棚・エッセイ】 「コギトについて少し」

【コギトの本棚・エッセイ】 「コギトについて少し」

シナリオ執筆で年頭から唸っている。普段のサイクルより重いのでなかなか時間が取れずにいる。そもそも映画を観に行けていない。読んだ本も数冊、衣食住もままならない。

ライターにとっての文章は糞のようなもので、食わなければ出ない。この場合食うとは、カタカナで言うところのいわゆるインプットというやつである。食い溜めはできる。が、限界がある。少々腹が減ってきている。

食えはしないが考えることはできる。世の

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【コギトの本棚・エッセイ】 「テロの味」

スリランカへ行ったことがある。

スリランカといえば、「インド洋の宝石」という通り名のごとく、南国リゾート地、かの有名なジェフリー・バワがデザインした高級ホテルに石の城シーギリヤ、かつて植民地時代イギリス人の保養地だった名残色濃い英国式のゴージャスなホリデイを想像するかもしれない。

今、訪れるならば、あるいは上述のようなトロピカルリゾートを満喫できたかもしれない。けれど、僕がスリランカを訪れたの

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【コギトの本棚・エッセイ】 「年年歳歳」

なんだか、もう1400年も前のこと、中国の劉さんという人がとある詩を残したそうだ。

『年年歳歳花相似、歳歳年年人不同』
(年年歳歳花は相似たり、歳歳年年人は同じからず)

毎年毎年花は変わらず咲くけど、毎年毎年花を見る人は変わっていくなぁっつうことらしいですが、ようは自然は変わらないけど、人間は変わっちゃうってことですな。

でも果たしてそうかなぁ、いや別に劉さんにケチをつけたいわけでもなんでも

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【コギトの本棚・エッセイ】 「祖国はありや」

数年前から事務所にも禁煙の波が押し寄せ、入口を出たところに設置された灰皿の前でタバコをふかしていると、打ち合わせに訪れたとある監督さんに声をかけられた。

先週の原稿を読んだとのこと。聞けば同じ郷里である。

文化不毛などと悪しざまに書いたのでおしかりを受けるかと思いきや、少なからず共感を得たとのこと。思わず恐縮するとともに、見ず知らずの脚本家の文章にも目を通す勤勉さに感心した。

僕と彼の郷里と

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【コギトの本棚・エッセイ】 「文化不毛」

気が付いたら40になって、おまけに東京に住み、文士とは名ばかりの売文屋をやりつづけている。売文の方も最近はいまいち買い手がつかない。どうしたものか。

売れるなら売れるだけいいかと言えばそうでもなく、書くときなんかは必死でなんとか発注元に気に入られるよう書いてはみるが、出来上がった後しばらくして甘い文章だったなと気づいたりすると幻滅する。それを元に出来上がった映像が甘さに加えただの監督の自己満足で

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【コギトの本棚・エッセイ】 「怖いもの」

五歳の息子が聞いてきた。

「パパのコワいものはなに?」

彼は、というか、子供は、赤ん坊のころから自我を獲得するにつれ怖いものも獲得していく。そしてその怖いものをいつのまにか克服することによって強くなる。

例えば大きい音、暗闇、親からの分離等々。

五歳の彼は今、ちょうどそれらの怖いものを克服しつつあるらしい。

三才の彼は「鬼が来る」という言葉だけで怖がっていたが、今の彼は怖がりながらも強が

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【コギトの本棚・エッセイ】 「手当ての意味」

僕の通っていた中学校は、カトリック校だった。実はカトリック校は珍しい。ミッションスクールのほとんどはプロテスタント系である。

しかし、まあ、キリスト教になじみがない僕たちにとって、カトリックとプロテスタントの違いなどいまいちピンとこないし、とりあえず同じキリスト教校ということでいいのではないだろうか。

授業には「宗教」という時間があった。もちろんキリスト教について学ぶ時間である。

僕はこの「

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【コギトの本棚・エッセイ】 「小学生不平等起源論」

かのジャン・ジャック・ルソーは「そもそも人間は社会を獲得した瞬間から不平等である」と言ったそうです。

この言葉は、「なるほど、頷ける」と誰もが思うのではないかと僕は思います。では、人生で初めて「不平等」を感じたのはいつでしょうか?

忘れもしない小学四年生の時です。僕にはイデ君という親友がいました。
いや、親友ではなかったかもしれません。俄かに自信がなくなってきましたが、とにかく、イデ君は僕のこ

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【コギトの本棚・エッセイ】 「映画館 in 名古屋」

この種の原稿は、だいたい一般化しないといけないと相場が決まっていますが、今回は個人的な思い出をつらつら書いてみようかと思います。映画についてです。というか、極私的映画館原体験についてです。

一番初めの映画館体験は、おばあちゃんと共にありました。
どんないきさつだったのか、詳細に覚えていませんが、なぜか僕は、三歳年下の弟を連れ、おばあちゃんと共に、名鉄電車に乗って、名古屋駅の映画館へ向ったのです。

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