【コギトの本棚・エッセイ】 「映画館 in 名古屋」

この種の原稿は、だいたい一般化しないといけないと相場が決まっていますが、今回は個人的な思い出をつらつら書いてみようかと思います。映画についてです。というか、極私的映画館原体験についてです。

一番初めの映画館体験は、おばあちゃんと共にありました。
どんないきさつだったのか、詳細に覚えていませんが、なぜか僕は、三歳年下の弟を連れ、おばあちゃんと共に、名鉄電車に乗って、名古屋駅の映画館へ向ったのです。あれは、どこの映画館だったのか……、おそらく今はもうないにちがいありません。
観た映画は『ゴーストバスターズ』、これこそ僕が一番初めに観た映画になります。
なぜだか、わかりませんが、僕はこの『ゴーストバスターズ』という映画に
心奪われていました。猛烈に観たいと思いました。
親にせがむと、おばあちゃんにお鉢が回ったんだと思います。
それにしても『ゴーストバスターズ』のどこが、七歳の少年の心をつかんだのか謎です。
「アメリカ人が幽霊を退治する話」、いつの世も、幽霊退治や妖怪退治の類は子供の心をつかむのかもしれません。
にしても、『ゴーストバスターズ』は、その種の話としては、少し異例な気もします。

そもそも、実家は、元来、あまり映画館などに子供を連れていく家庭ではありませんでした。
工場を経営していたことが影響していたのか、子供まで含めた家族の生活のほとんどが仕事を中心に回っていました。本だけは仕事に支障をきたさないということなのか、祖父も父もよく読んでいたようで、家にはたくさんありましたが、映画や美術館やそういったなにか文化的な催し物に赴くという文化はありませんでした。
くわえて、僕の子供の頃は、映像文化史的にテレビが全盛期の時代だったように思います。
あえて時間を費やして映画館へ行くという価値がおそろしく低く見積もられていたような気がします。
けれども、映画館で映画を見るというのは一種特権的だという認識は常にありました。
暗い空間で見知らぬ人が何百人も集まって、一つの物語を見るということは、なにか祭儀的であると同時に背徳感のある行為だと子供ながらに感じていました。

ともかく、僕たちは映画館に着きました。
映画館の最前列に僕、弟、おばあちゃんの順に並んでビル・マーレイ扮するゴーストバスターたちに酔い痴れました。
というのはウソで、なんとなく居心地がわるい思いをしていました。
孫のわがままでむりやり『ゴーストバスターズ』を見させられるはめになったおばあちゃんに非常に気兼ねしていたのでした。
やがて、シガニー・ウィーバーがズールという悪魔にとりつかれ、獣のようになっていくのが、やけにエロくて、もう気まずさは最高潮です。
映画が終わって、映画館を出た後、おばあちゃんもなんか気まずい様子だったことを覚えています。
(後年、映画界のはしくれになんとかしがみついた初年度、『ロスト・イン・トランスレーション』という映画に参加した折、身近にビル・マーレイその人と接した時、なんだか因果応報を感じたものでした)

その他の映画館へ行った記憶は大方失っているようです。
かろうじて、年に一度の『大長編ドラえもん』を二度程、母に連れられ観に行ったことを覚えてるくらいです。
あとは、『東映まんが祭』くらいですか。
それらの映画は、一周遅れで、地元の文化会館にやってくるのでした。
地元の子供達が文化会館に集まってきます。
中には知った顔の同級生もいます。
小学校とは違う場所で、しかもこれから映画を観るという場所で同級生と顔を合わせるのは、なんだか気恥かしいような気分です。
そういう気分を味わわされるというのも、映画及び映画館が特権的たるゆえんのような気がします。
一人で映画を観に行き、知り合いと顔を合わせた時の、あのくすぐったさと気恥かしさ、あの感覚は今でも変わっていません。

次によく覚えているのが、おそらく僕が9歳、1986年の夏、お盆の折、親戚たちが母方の祖父の家へ集まった時のことです。
母方の祖父は、父方の祖父とは違い、非常に文化的な人でした。
絵画に写真に映画に読書、仕事は女方にまかせ、自分は大事に出ていく、あとはひねもす文化的行為に酔い痴れるという、当時では珍しい家庭のシステムだったのです。
祖父の提案で、孫たちだけで映画でも観に行ったらどうだということになりました。
僕はいとこのお兄さんたちに連れられ、名古屋駅まで赴きました。
当時は、名古屋駅の前の通りに、映画館がいくつも並んでおり、手書きの看板が軒を連ねていました。忘れもしない今はなき名宝会館という映画館です。ぱっと目に入ったのが、ジャッキー・チェン監督主演作『サンダーアーム/龍兄虎弟』とシガニー・ウィ―バー主演、ジェームズ・キャメロン監督作『エイリアン2』の二本立てです。
その頃、いとこのお兄さんたちはジャッキー・チェンに夢中でした。その影響で、僕もジャッキーのことが好きでした。
全員一致で、「よし、観よう」ということになったのですが、僕にはもう一本の『エイリアン2』が懸念でした。
「コワいのやだ、でもジャッキーは観たい」と念を押す僕に、仕方なく、『サンダーアーム』だけ観て帰ることになりました。
今考えれば、映画的に言ってその選択は間違いです。
なんとしても「エイリアン2」を観るべきなのですが、子供の僕にはそれがわかりません。
映画館に入ると折よく「エイリアン2」のラスト辺り。(当時は、途中入場・退場は至って普通の行為でした)
僕は、目をつぶって「サンダーアーム」が始まるのを待ちました。
映画が終わり、表へ出たみんなはジャッキーに興奮していました。
しかし、心酔しているかというとそうでもなかったように思います。
ひとまず、そうしなければならないという感じで、みなジャッキーの真似をするのです。
ジャッキー・チェンの映画は、いつも子供をそうさせてしまうだけのそこはかとないつまらなさが漂っていました。
いかにリテラシーの低い子供でも、ジャッキー映画の奥に潜むこのややこしいつまらなさを感じ取っていたのです。
しかし、なぜそこはかとないつまらなさを感じながらも、あんなにジャッキーは子供を熱狂させたのか、今ではわかりません。
クンフーというものが魅力の源なのかもしれません。
それにしても、なぜ僕はあそこで「エイリアン2」を見逃してしまったのか、僕の映画人生における痛恨の極みです。

その後、しばらく、十代半ばになるまで、僕は映画館暗黒時代に突入することになります。
中学校に入るまではほとんど映画館へ立ち寄らなくなりました。
ちらほらとレンタルビデオ店が現れた時代でもあります。
僕の映画館原体験は以上のようなささいなこと、ほんとの映画体験の蓄積はこのVHSという愛すべきソフトと共にあるのですが、それはまた別の機会に。

いながききよたか 【Archive】2014.12.04

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